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第三章:鬼の貌(かんばせ)、人の心
第四十一話:鬼の噂
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ある日の夕暮れ時、診療所の木戸が慌ただしく開け放たれた。
飛び込んできたのは、息を切らした古尾だった。彼の顔はいつもの飄々とした様子とは違い、珍しく真剣な面持ちをしている。
「先生、おみつ嬢ちゃん! 大変なことですぜ!」
古尾の声は、普段よりも緊迫していた。
「江戸の町で、最近妙な噂が広まってましてな。『鬼が出る』って話ですぜ」
古尾の言葉に、おみつは思わず玄庵の顔を見た。玄庵は、いつものように静かに古尾の言葉に耳を傾けているが、その瞳の奥には、どこか警戒の色が宿っているように見えた。
「鬼が出る、とは、一体どのような?」
おみつが問いかけると、古尾は声を潜めて語り始めた。
「なんでも、夜中に人気のない場所で、突然高熱を出して苦しむ者が続出してるって噂で。
そんで、その場所には、必ず異様な悪臭が残されてるって話だ。まるで、腐りかけた肉の匂いみたいで、そりゃあもうひどいもんですぜ」
古尾の説明に、おみつはゾッとした。
悪臭を伴う高熱。それは、最近診療所に運び込まれてきた患者たちの症状と酷似している。
数日前から、原因不明の高熱と体中に謎の発疹が現れる患者が、次々と玄庵の元を訪れていたのだ。
医者にも見放され、最後の望みを玄庵に託してやってくる者ばかりだった。
「その症状、最近診療所に運び込まれる患者のものと、よく似ています……」
おみつが玄庵にそう言うと、玄庵は静かに頷いた。
「ええ。まさに穢れの熱です。そして、その悪臭は、穢れが凝り固まり、腐敗した証拠でしょう」
玄庵の言葉に、古尾は顔をしかめた。
「穢れが、そんな熱を出すとは……ってことは、まさか、本当に『鬼』の仕業ってことですか?」
古尾の問いに、玄庵は直接は答えなかった。しかし、その瞳には、何か深い思案が宿っているようだった。
「噂では、その『鬼』は、一晩で何人もの人間を襲うって話で。しかも、襲われた人間は、熱にうなされて意識が朦朧としてるってだけで、他に外傷はないってのが、また不気味でさあ……」
古尾は、さらに情報を続けた。通常の妖怪による被害とは、少し様相が異なっているようだ。ただ単に襲うのではなく、人々に「熱」を与えている。
玄庵は、腕を組み、静かに瞑目した。彼の心の中では、広がる穢れの気配と、それが引き起こす症状が結びついていく。
「この穢れは、かつて私が知っていたものとは、少し様相が異なる。より強く、そして広範囲に及んでいる……」
玄庵の呟きは、ほとんど独り言のようだったが、おみつの耳にははっきりと届いた。
彼の過去を知る夜叉丸が言っていた「この世の穢れは、貴様の想像以上に根深く、そして広がり続けている」という言葉が、脳裏をよぎる。
その夜、玄庵は、診療所の奥の書斎で、古文書を読み漁っていた。普段はあまり見せない、焦りのようなものが、その表情に微かに浮かんでいるようにおみつには見えた。
おみつは、そんな玄庵の傍で、自分にできることはないかと、薬草の整理を手伝っていた。
「先生……その鬼の噂と、患者さんの症状は、何か関係があるのですか?」
おみつが尋ねると、玄庵はゆっくりと顔を上げた。
「恐らくは。この穢れは、人々の負の感情を糧にしている。それが、江戸の町で急速に広がり始めているようだ」
玄庵の言葉に、おみつはハッとした。
人々の負の感情。それは、以前、生霊の件で玄庵が語った、人間の情念の恐ろしさを思い出させる。
「そして……その穢れを意図的に広めている者がいる。それが、あの夜叉丸と、彼らが属する組織の仕業である可能性が高い」
玄庵の瞳に、強い光が宿った。それは、怒りにも似た、しかし、確かな決意の光だった。
玄庵の「癒やされぬ傷」と、そして彼が背負う運命が、新たな局面を迎えようとしていることを、おみつは感じ取った。
飛び込んできたのは、息を切らした古尾だった。彼の顔はいつもの飄々とした様子とは違い、珍しく真剣な面持ちをしている。
「先生、おみつ嬢ちゃん! 大変なことですぜ!」
古尾の声は、普段よりも緊迫していた。
「江戸の町で、最近妙な噂が広まってましてな。『鬼が出る』って話ですぜ」
古尾の言葉に、おみつは思わず玄庵の顔を見た。玄庵は、いつものように静かに古尾の言葉に耳を傾けているが、その瞳の奥には、どこか警戒の色が宿っているように見えた。
「鬼が出る、とは、一体どのような?」
おみつが問いかけると、古尾は声を潜めて語り始めた。
「なんでも、夜中に人気のない場所で、突然高熱を出して苦しむ者が続出してるって噂で。
そんで、その場所には、必ず異様な悪臭が残されてるって話だ。まるで、腐りかけた肉の匂いみたいで、そりゃあもうひどいもんですぜ」
古尾の説明に、おみつはゾッとした。
悪臭を伴う高熱。それは、最近診療所に運び込まれてきた患者たちの症状と酷似している。
数日前から、原因不明の高熱と体中に謎の発疹が現れる患者が、次々と玄庵の元を訪れていたのだ。
医者にも見放され、最後の望みを玄庵に託してやってくる者ばかりだった。
「その症状、最近診療所に運び込まれる患者のものと、よく似ています……」
おみつが玄庵にそう言うと、玄庵は静かに頷いた。
「ええ。まさに穢れの熱です。そして、その悪臭は、穢れが凝り固まり、腐敗した証拠でしょう」
玄庵の言葉に、古尾は顔をしかめた。
「穢れが、そんな熱を出すとは……ってことは、まさか、本当に『鬼』の仕業ってことですか?」
古尾の問いに、玄庵は直接は答えなかった。しかし、その瞳には、何か深い思案が宿っているようだった。
「噂では、その『鬼』は、一晩で何人もの人間を襲うって話で。しかも、襲われた人間は、熱にうなされて意識が朦朧としてるってだけで、他に外傷はないってのが、また不気味でさあ……」
古尾は、さらに情報を続けた。通常の妖怪による被害とは、少し様相が異なっているようだ。ただ単に襲うのではなく、人々に「熱」を与えている。
玄庵は、腕を組み、静かに瞑目した。彼の心の中では、広がる穢れの気配と、それが引き起こす症状が結びついていく。
「この穢れは、かつて私が知っていたものとは、少し様相が異なる。より強く、そして広範囲に及んでいる……」
玄庵の呟きは、ほとんど独り言のようだったが、おみつの耳にははっきりと届いた。
彼の過去を知る夜叉丸が言っていた「この世の穢れは、貴様の想像以上に根深く、そして広がり続けている」という言葉が、脳裏をよぎる。
その夜、玄庵は、診療所の奥の書斎で、古文書を読み漁っていた。普段はあまり見せない、焦りのようなものが、その表情に微かに浮かんでいるようにおみつには見えた。
おみつは、そんな玄庵の傍で、自分にできることはないかと、薬草の整理を手伝っていた。
「先生……その鬼の噂と、患者さんの症状は、何か関係があるのですか?」
おみつが尋ねると、玄庵はゆっくりと顔を上げた。
「恐らくは。この穢れは、人々の負の感情を糧にしている。それが、江戸の町で急速に広がり始めているようだ」
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「そして……その穢れを意図的に広めている者がいる。それが、あの夜叉丸と、彼らが属する組織の仕業である可能性が高い」
玄庵の瞳に、強い光が宿った。それは、怒りにも似た、しかし、確かな決意の光だった。
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