【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

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第三章:鬼の貌(かんばせ)、人の心

第四十三話:おみつの機転

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 刺客が去り、診療所にはまだ張り詰めた空気が残っていた。

 玄庵は、倒れた刺客の意識を確認し、静かに縛り上げる。古尾もまた、その手際を見ながら、珍しく神妙な顔つきで周囲を警戒していた。

 おみつは、破られた障子や散乱した薬草を見つめ、改めて事態の深刻さを痛感していた。

「先生、大丈夫ですか……?」

 おみつが問いかけると、玄庵は静かに首を振った。

「問題ない。だが、彼らは諦めぬだろう」

 玄庵の言葉通り、夜が更け、再び不穏な気配が診療所に忍び寄っていた。

 今度は、先ほどよりも微かで、より狡猾な殺気だ。玄庵はそれに気づき、おみつに低い声で指示を出した。

「おみつ、奥の部屋に隠れなさい。決して出てきてはならぬ」

 玄庵の言葉に、おみつは一瞬ためらった。
しかし、彼の真剣な眼差しに、逆らうことはできない。おみつは、古尾と共に奥の部屋へと身を隠した。

 障子を隔てた向こう側で、再び戦いの気配が始まった。
斬りつける音、何かが砕ける音、そして、低く響く玄庵の声。

 おみつは、障子の隙間から、その様子を覗き見た。

 今度の刺客は、先ほどの者たちとは違い、身の丈ほどの鎖鎌(くさりがま)を巧みに操る男だった。

 彼は、闇に紛れて素早く動き、玄庵の動きを封じようとする。玄庵は、相変わらず素手で応戦しているが、鎖鎌のリーチと予測不能な動きに、わずかに苦戦しているように見えた。

 鎖鎌が玄庵の腕を掠め、彼の着物が裂ける。
その隙を突き、男はさらに鎖を絡め取ろうと迫った。

 その時、おみつの脳裏に、以前玄庵から教わった薬草の知識が閃いた。

(そうだ、あの薬草なら……!)

 おみつは、意を決して奥の部屋を飛び出した。
古尾が「お嬢ちゃん!?」と声を上げるのも構わず、素早く薬棚に駆け寄る。

 目当ての薬草を掴むと、男の視線を引きつけるため、わざと大きな音を立てて薬棚の薬瓶を倒した。

「何奴!」

 鎖鎌の男は、物音に気を取られ、一瞬だけ玄庵から注意を逸らした。
その僅かな隙を、玄庵は見逃さなかった。彼は一歩踏み込み、男の鎖鎌を掴み取ろうとする。

 だが、男もまた、経験豊富な刺客だ。
すぐに玄庵の意図に気づき、鎖鎌を素早く引き戻す。

 その時、おみつは掴んだ薬草を、男の顔めがけて勢いよく投げつけた。

「くらえっ!」

 投げつけられたのは、以前、玄庵から「強い眠気を誘う」と教わった曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の根を乾燥させ、粉末にしたものだった。

 男は咄嗟に顔を背けたが、粉末の一部が彼の目に舞い込んだ。

「ぐっ……目、目が!」

 男は、突然の刺激に視界を奪われ、その動きが鈍る。彼は曼珠沙華の粉末が、ここまで強力なものだとは思っていなかったのだろう。その隙を、玄庵は決して逃さなかった。

 玄庵は、躊躇なく男に肉薄し、その首筋に手刀を打ち込んだ。男は、小さく呻き声を上げると、鎖鎌を取り落とし、そのまま意識を失って床に倒れた。

 戦いが終わり、診療所には再び静寂が戻った。
玄庵は、倒れた刺客を一瞥すると、ゆっくりとおみつに視線を向けた。おみつは、薬草の粉末が残る手を震わせながら、玄庵の視線を受け止めた。

 玄庵は、何も言わなかった。
ただ、その瞳の奥には、おみつの咄嗟の機転と行動力を認めるような、そして、彼女の成長を喜ぶような、微かな光が宿っているように見えた。

 それは、言葉以上に雄弁な、玄庵からの承認の証だった。

 古尾も、奥から出てきて、呆れたような、しかし感心したような顔でおみつを見つめた。

「へっへっへ、お嬢ちゃん、あんたもなかなかやるもんですぜ。まさか、そんな荒っぽい使い方をするとは思いませんでしたがね」

 おみつは、古尾の言葉に、ようやく緊張の糸が解け、大きく息を吐いた。初めての戦いで、咄嗟に体が動いたことに、自分自身でも驚いていた。

 玄庵は、再び静かに薬草の整理を始めた。しかし、その手つきは、以前よりもわずかに穏やかになっているようにおみつには感じられた。

 おみつの機転は、単に玄庵を助けただけでなく、二人の間の絆を、より一層強固なものにしたのだった。
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