【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

文字の大きさ
69 / 150
第四章:穢れの源流、交錯する運命

第六十九話:竜胆の奮闘

しおりを挟む
 江戸の町に穢れが蔓延し、奇病が猛威を振るう中、退魔師・竜胆はたった一人、悪しき瘴気に立ち向かっていた。

 彼の顔には疲労の色が濃く、額には絶えず汗が滲んでいる。だが、その瞳に宿る正義の光は、決して揺らぐことはなかった。

「くそっ……どこまで広がるつもりだ……!」

 竜胆は、穢れに侵された路地裏で、苦しむ老人の姿を目の当たりにした。老人の肌には黒い痣が浮かび上がり、意識は混濁している。穢れの瘴気が、まるで生き物のように、人々の負の感情を吸い上げて膨張していくのが分かった。

 彼はすぐさま霊符を取り出し、老人の身体に貼り付けた。霊符から放たれる清らかな霊力が、穢れを一時的に退ける。

「これで一時凌ぎにはなる。だが、根本を断たねば意味がない……!」

 竜胆は、歯噛みした。彼は、この奇病が、先日玄庵と共闘した村で蔓延していた穢れと同じものであることを理解していた。蝕組の狙いは、玄庵を隠れ里に釘付けにし、その間に江戸を穢れで染め上げることなのだ。

 町のあちこちで、穢れに憑りつかれた妖怪や、人間の負の感情から生まれた悪霊が暴れ始めていた。それらは人々の心を蝕み、暴行や窃盗、さらには殺人にまで手を染めさせる。江戸の秩序は、音を立てて崩れ去ろうとしていた。

 竜胆は、剣を抜き放ち、次々と現れる穢れの使徒たちを退けていく。彼の剣は、正確かつ迅速に、穢れを纏う妖怪の急所を捉え、浄化する。しかし、その数はあまりにも多く、次から次へと新たな穢れが生み出されていく。

「きりがない……このままでは、江戸は……!」

 竜胆は、自身の霊力が限界に近づいているのを感じていた。玄庵のような圧倒的な浄化の力を持たない彼にとって、穢れの根源を断つことは不可能に近い。

 その時、背後から新たな妖気が迫るのを感じた。振り返ると、それは穢れを纏った巨大な鬼だった。その鬼は、人の憎悪と絶望が凝り固まったかのような、おぞましい姿をしている。

「ガアアアアアアッ!」

 鬼が咆哮を上げ、竜胆に襲いかかった。竜胆は咄嗟に身を翻し、攻撃を避ける。しかし、鬼の膂力はすさまじく、周囲の建物が次々と破壊されていく。

「厄介な……こんな大物が、この町にまで……!」

 竜胆は、冷や汗をかいた。この鬼は、単なる穢れの使徒ではない。相当な力を持つ妖怪が、穢れによって歪められた姿なのだ。

 竜胆は、鬼と一進一退の攻防を繰り広げた。彼の剣技は冴え渡り、霊符を巧みに操って鬼の動きを封じようとする。だが、鬼の身体は穢れによって強化されており、並大抵の攻撃では通用しない。

 その時、鬼の攻撃を避けきれず、竜胆は左肩に深い傷を負った。血が滲み、彼の表情に苦痛が走る。

「くっ……!」

 痛みで動きが鈍った隙を突き、鬼が再び襲いかかった。竜胆は、もはや避ける術がないと悟り、覚悟を決めた。

 しかし、その瞬間、どこからともなく飛んできた一本の矢が、鬼の目を貫いた。

「グギャアアアアッ!」

 鬼が苦悶の叫びを上げ、後ずさる。

 竜胆が驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、数人の狩人たちだった。彼らは、穢れに憑りつかれた獣を狩るために、山から降りてきた者たちだった。

「坊主! 大丈夫か!」

 狩人の一人が声をかけた。彼らの表情は疲弊しているものの、その瞳には、町を守ろうとする強い意志が宿っていた。

「なぜ、貴様らがここに……」

 竜胆が問いかけると、狩人は答えた。

「最近、町の様子がおかしいと聞き、様子を見に来た。こんなひどい穢れ、放っておけるわけがねえ!」

 狩人たちは、穢れに侵された人々を救うために、自らの危険を顧みず、この場に駆けつけてくれたのだ。彼らは、穢れの知識はないが、異常を察知し、自ら動くことができる、勇敢な者たちだった。

 竜胆は、彼らの行動に、僅かに表情を緩めた。彼は、一人ではないのだ。

「すまない……助かった。だが、この鬼は、貴様らが相手にできる相手ではない」

 竜胆は、狩人たちに退避を促した。

「そんなことは言っちゃいられねえ! この町は、俺たちの故郷だ!」

 狩人たちは、弓を構え、鬼に挑む構えを見せた。彼らの武器は、霊力を持たないただの弓矢だ。しかし、彼らの放つ矢には、町を守ろうとする強い意志が込められていた。

 竜胆は、彼らの覚悟を見て、自らの甘さを恥じた。彼は、これまでは妖怪を一方的に悪と断じ、人間は守られるべき存在と考えていた。しかし、目の前の狩人たちは、自ら危険に飛び込み、戦おうとしている。

「……感謝する。だが、無茶はするな。奴は私が引き受ける!」

 竜胆は、再び鬼に向き直った。彼の瞳には、新たな決意の光が宿っている。彼が守るべきは、この町の人々であり、彼らの日常なのだ。

 竜胆は、全身の霊力を集中させ、剣に込めた。そして、鬼の隙を突き、渾身の一撃を放った。彼の剣が、鬼の身体を深く貫き、穢れが弾け飛んだ。

 鬼は、苦悶の叫びを上げながら、ゆっくりと崩れ落ちた。竜胆は、息を切らし、膝を突く。満身創痍の彼だったが、その顔には、確かな達成感が浮かんでいた。

 しかし、戦いはこれで終わりではない。江戸の町には、まだ多くの穢れが残っている。そして、玄庵は、遠く離れた隠れ里で、影と激しい戦いを繰り広げている。

 竜胆の奮闘は、始まったばかりだ。

 彼は、この江戸を守るため、一人で戦い続ける。そして、この戦いを通して、彼の妖怪に対する考え方にも、少しずつ変化が生まれていくのかもしれない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔
歴史・時代
江戸の長屋から、奇妙な事件を解き明かす! 発明家と世話焼き娘の、笑えて泣ける人情捕物帖! 江戸、とある長屋に暮らすは、風変わりな男。 名を平賀甚兵衛。元武士だが堅苦しさを嫌い、町の発明家として奇妙なからくり作りに没頭している。作る道具は役立たずでも、彼の頭脳と観察眼は超一流。人付き合いは苦手だが、困った人は放っておけない不器用な男だ。 そんな甚兵衛の世話を焼くのは、隣に住む快活娘のお絹。仕立て屋で働き、誰からも好かれる彼女は、甚兵衛の才能を信じ、持ち前の明るさと人脈で町の様々な情報を集めてくる。 この凸凹コンビが立ち向かうのは、岡っ引きも首をひねる不可思議な事件の数々。盗まれた品が奇妙に戻る、摩訶不思議な悪戯が横行する…。甚兵衛はからくり知識と観察眼で、お絹は人情と情報網で、難事件の謎を解き明かしていく! これは、痛快な謎解きでありながら、不器用な二人や長屋の人々の温かい交流、そして甚兵衛の隠された過去が織りなす人間ドラマの物語。 時には、発明品が意外な鍵となることも…? 笑いあり、涙あり、そして江戸を揺るがす大事件の予感も――。 からくり長屋で巻き起こる、江戸情緒あふれる事件帖、開幕!

【完結】『江戸一番の菓子屋と嘘つき娘』

月影 朔
歴史・時代
江戸日本橋の片隅に佇む、小さな甘味処「春告鳥」。 そこで看板娘として働くおみえは、笑顔と真心で客を迎える、明るく評判の娘だ。 しかし彼女には、誰にも言えぬ秘密があった―― おみえは、心優しき店主夫婦に拾われた孤児なのだ。 その恩に報いるため、大好きなこの店を守るため、「江戸一番」の味を守るため、おみえは必死にもがく。 これは、秘密と嘘を抱えた一人の娘が、逆境の中で真心と向き合い、家族や仲間との絆を通して成長していく感動の物語。 おみえは、大切な春告鳥を守り抜くことができるのか? 彼女のついた嘘は、吉と出るか、それとも凶と出るか? 江戸の町を舞台に繰り広げられる、涙と笑顔の人情譚。

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜
歴史・時代
​その男、失敗すればするほど天下が近づく天才軍師? 否、只のうっかり者 ​天運は、緻密な計算に勝るのか? 織田信長の天下布武を支えたのは、二人の軍師だった。 一人は、“今孔明”と謳われる天才・竹中半兵衛。 そしてもう一人は、致命的なうっかり者なのに、なぜかその失敗が奇跡的な勝利を呼ぶ男、“誤先生”こと呉学人。 これは、信長も、秀吉も、家康も、そして半兵衛さえもが盛大に勘違いした男が、歴史を「良い方向」にねじ曲げてしまう、もう一つの戦国史である。 ※ 表紙絵はGeminiさんに描いてもらいました。 https://g.co/gemini/share/fc9cfdc1d751

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...