【完結】『大江戸妖怪診療所～奇病を治すは鬼の医者～』

第四章：穢れの源流、交錯する運命

第七十話：仲間たちの集結

　江戸の町が穢れに侵され、危機に瀕している頃、遠く離れた隠れ里でも、玄庵と影の激しい戦いが続いていた。

　生命の泉から溢れ出す穢れは、里全体を飲み込み、妖怪たちは苦しみ喘いでいる。

　玄庵は、自らの内に秘める「鬼」の力を解放し、穢れの濁流に抗っていた。彼の身体は限界に近づき、激しい消耗が彼を襲っていた。

「くっ……！」

　玄庵は、穢れの猛攻に膝をつきそうになる。影の力は、玄庵の過去の記憶を呼び覚まし、彼の心を揺さぶろうとしていた。

「どうした、玄庵！ その程度の力で、私を止められるとでも？ お前のその半端な覚悟では、何も守れぬぞ！」
　影の声が、玄庵の心を嘲笑う。

　その時、玄庵の傍らに立つおみつが、決然とした表情で一歩前に出た。彼女の身体から、澄んだ、しかし確かな光が放たれる。それは、穢れを浄化する微かな力であり、同時に、玄庵の心を支える温かい光でもあった。

「先生は、一人じゃない！ 私が、先生の『枷』になります！」

　おみつの声が、穢れの瘴気を打ち破るように響いた。彼女は、玄庵の手に自分の手を重ね、その掌から自身の力を玄庵へと送り込んだ。

　玄庵は、おみつの温かい光に包まれ、再び立ち上がった。彼の瞳に宿る赤い光は、もはや苦悩の色ではなく、確かな決意と、守るべきものへの愛に満ちた輝きとなっていた。

「ありがとう、おみつ……」
　玄庵は、そう呟くと、再び影に向き直った。

　その頃、江戸では、竜胆が満身創痍になりながらも、穢れと戦い続けていた。彼は、町の人々を守るため、決して諦めなかった。しかし、穢れの勢いは増すばかりで、彼の力も限界に近づいていた。

「このままでは……！」

　竜胆が、絶望に打ちひしがれそうになった、その時だった。

「竜胆様！　遅れて申し訳ありやせん！」

　背後から聞こえてきたのは、聞き慣れた飄々とした声。古尾と玉藻が、隠れ里から駆けつけてきたのだ。彼らは、玄庵の指示で、江戸の状況を探るために戻っていた。

「古尾！？　なぜお前がここに……玄庵は！？」

　竜胆が驚いて問いかけると、古尾は息を切らしながら答えた。

「先生は、隠れ里で影と戦っていやしょう！　ですが、江戸の状況も尋常じゃねぇってんで、拙者が様子を見に……」

　古尾の言葉に、竜胆の顔に安堵の色が浮かんだ。玄庵が無事であることを知り、彼はわずかながらも希望を見出した。

「だが、この穢れは……！」

　竜胆が周囲を見渡すと、町はさらなる混乱に陥っていた。人々は穢れによって狂い、互いに傷つけ合っている。

　その時、さらなる妖気が、江戸の空に満ち始めた。それは、これまで感じたことのない、多様で、しかしどこか懐かしい気配だった。

「これは……！」
　竜胆と古尾が、空を見上げた。

　江戸の空には、様々な妖怪たちの姿があった。彼らは、かつて玄庵に救われた者たちだった。

　夜な夜な奇妙な唄を歌っていた娘に取り憑いていた小さな妖怪、影を喰らっていた影喰い、大工の男に憑いていた付喪神、嘘しかつけなくなった少女を苦しめていた天邪鬼、井戸に封じられていた水の妖怪、心が枯れてしまった老人を癒やした河童、さらには、人喰い沼の主だった大蛇の妖怪までが、そこにいた。

　彼らは皆、玄庵に救われた命だった。玄庵が、力ではなく対話で、妖怪にも情けをかけた結果、生まれた絆が、今、この危機に際して結集したのだ。

「玄庵様が、お困りだと聞いて参りました！」
　影喰いが叫んだ。

「玄庵様には、我々の恩義がある！」
　付喪神が、その小さな身体を震わせながら言った。

「この町が穢れるなど、許せないでござる！」
　河童が、力強く宣言した。

　彼らは、玄庵の危機を知り、自らの意思で江戸へと駆けつけてくれたのだ。彼らは、玄庵が人間と妖怪の垣根を越えて救いの手を差し伸べたことで、新たな生きる道を見つけた者たちだった。

　竜胆は、その光景に言葉を失った。彼は、これまで妖怪を悪と断じ、調伏することしか知らなかった。しかし、玄庵は、力でねじ伏せるのではなく、心を救うことで、これほどの絆を築き上げていたのだ。彼の、妖怪に対する考えが、音を立てて崩れていくのを感じた。

「竜胆様、彼らもまた、玄庵先生の仲間でさぁ。力を貸してくれるでさぁ！」
　古尾が、竜胆の背中を押した。

　竜胆は、覚悟を決めたように剣を構えた。
「わかった……。ならば、力を貸せ！　この穢れを、共に打ち払うぞ！」

　彼の号令と共に、集まった妖怪たちが、穢れに立ち向かっていく。彼らは、それぞれの能力を活かし、穢れの瘴気を押し戻し、人々に憑りついた悪霊を退けていく。

　おみつの家族の元にも、その光景は届いていた。楓は、玄庵が残した書簡の薬草が見つからず、症状は悪化する一方だったが、空に現れた妖怪たちの姿を見て、微かに光を放った。

「玄庵先生……」

　楓は、かすれた声で呟いた。彼女もまた、玄庵に救われた一人だ。彼女の心には、玄庵への強い信頼が宿っていた。

　江戸の危機に、玄庵がこれまで紡いできた絆が、今、一つに集結しようとしていた。

　遠く離れた隠れ里で戦う玄庵を信じ、この町を守るために、竜胆と古尾、そして多くの妖怪たちが、それぞれの場所で奮闘する。

　彼らは、互いに知らずとも、玄庵の真の目的を果たすために、力を合わせようとしていた。

　玄庵が、人間と妖怪の間に築き上げてきた絆の力が、今、試されようとしていた。