【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

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第四章:穢れの源流、交錯する運命

第七十二話:おみつの力

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 隠れ里の生命の泉は、影から放たれる穢れによって黒く澱み、おぞましい瘴気をあたりに撒き散らしていた。

 玄庵は「鬼」の力を解放し、影の猛攻を受け止めながらも、穢れの浄化を試みていたが、その身体はすでに限界に近づいていた。

「くっ……!」

 玄庵の身体が大きくよろめく。
穢れの濁流は、彼の意識を飲み込み、過去の悲劇を鮮明に映し出そうとしていた。彼が、どれだけ浄化の力を放っても、影の憎悪と絶望が込められた穢れは、尽きることがない。

「どうした、玄庵! その程度か! お前は、まだその力を完全に解放できないのか! あの時と同じように、また全てを失うつもりか!」

 影の言葉が、玄庵の心を深く抉る。彼の脳裏には、穢れに飲み込まれていくかつての里と、無力だった自分自身の姿が焼き付いていた。

「先生!」

 おみつは、玄庵の苦痛に耐えかね、叫んだ。彼女の心には、玄庵を助けたいという強い願いが満ちている。その願いが、彼女の身体から、より一層強い、澄んだ光を放たせた。

 それは、まるで透明な水のようでありながら、穢れの瘴気を押し返すほどの力を持っていた。

 おみつは、玄庵の傍らに駆け寄り、その手を両手で包み込んだ。彼女の掌から、温かく清らかな光が玄庵の身体に流れ込んでいく。それは、玄庵の荒れ狂う妖気を鎮め、彼を人間として繋ぎ止めるような力だった。

「先生は、鬼なんかじゃない! 人を、妖怪を救うお医者様です! だから、負けないでください!」

 おみつの声は、澄んでいて、迷いがなかった。彼女の言葉は、玄庵が「鬼」の力に飲み込まれそうになる度、彼を人間として繋ぎ止めてきた「枷」だった。そして今、彼女の純粋な心から生まれた光は、玄庵の力の暴走を抑え、穢れに立ち向かう彼の助けとなっていた。

 玄庵は、おみつの温かい光に包まれ、ゆっくりと目を開けた。彼の瞳に宿る赤い光は、未だ激しく燃えているが、そこには狂気の色はなく、確かな理性が宿っている。

「おみつ……これは……」

 玄庵は、自身の内に流れ込む、おみつの温かい力に驚きを隠せない。それは、彼がこれまで経験したことのない、純粋で、穢れとは真逆の性質を持つ力だった。

 影は、おみつの放つ光に、顔を歪めた。

「なんだ、その力は……! 小娘が、まさか穢れを……浄化するだと!?」

 影は、信じられないといった様子で、おみつを睨みつけた。彼の理解の範疇を超えた事態だった。穢れは、人々の負の感情から生まれる。それを浄化する力を持つ人間など、これまで存在しなかったのだ。

「そんなはずはない! 穢れは、この世の真理! 滅びるべきものなどではない!」

 影は、さらに穢れを増幅させ、おみつに向かって放った。その穢れの濁流は、おみつを根こそぎ飲み込もうとする。

「おみつ、危ない!」

 玄庵が叫び、身を挺しておみつを庇おうとした。しかし、おみつは一歩も引かなかった。彼女は、目を閉じ、ただ玄庵を救いたい、この里を救いたいという純粋な願いを込めて、光を放ち続けた。

 すると、おみつの身体から放たれる光は、穢れの濁流とぶつかり合い、その勢いを弱めていく。それは、穢れを完全に消し去る力ではない。だが、穢れを押し返し、その影響を弱める、浄化の力だった。

「これは……まさか、人間が、穢れを浄化する力を……!?」

 影は、驚愕の表情で、おみつを見た。彼の歪んだ思想では、人間は穢れを生み出す存在であり、穢れを浄化するなどありえないことだったからだ。

「この力は……おみつさんの純粋な心が、生み出したんでさぁ!」

 古尾が、遠くから叫んだ。彼は、おみつが患者の心に寄り添い、共に苦悩し、喜ぶ姿を間近で見てきた。その純粋な共感力こそが、この奇跡の力を生み出したのだと、古尾は直感していた。

 玉藻もまた、玄庵の肩の上で、おみつの方をじっと見つめていた。その瞳には、おみつの成長を見守るような、温かい光が宿っている。

 おみつの力は、単なる穢れの浄化だけではなかった。彼女の光は、穢れに侵され、絶望に沈んでいた隠れ里の妖怪たちの心にも届いていた。

 妖怪たちは、おみつの光に触れ、わずかながらも正気を取り戻していく。彼らの瞳に、希望の光が宿り始める。

「これは……! 穢れが、少しずつ弱まっていく……!」

 天狗が、驚きの声を上げた。彼は、これまで決して穢れに屈することのなかった妖怪の心が、おみつの光によって癒やされているのを感じたのだ。

 おみつの力は、穢れを直接打ち砕くような派手なものではない。だが、それは、穢れの根源である「負の感情」に寄り添い、それを癒やすことで、穢れそのものを弱めていく、人間と妖怪の心を繋ぐ特殊な才能だった。彼女の共感力と、他者を救いたいという純粋な願いが、形になった力なのだ。

 玄庵は、おみつのその力に、深い感銘を受けた。彼がこれまで求めてきた「穢れの浄化」の道が、おみつの力によって、より確かなものとなる。

「おみつ……」

 玄庵は、おみつへの感謝の念を込めて、その名を呼んだ。彼の心には、新たな希望の光が灯った。

 影は、おみつの力に、混乱と苛立ちを募らせていた。彼の絶対的な自信が、今、小さな人間の娘の力によって揺らぎ始めているのだ。

「ふざけるな……! そんなものが、この世を変える力だとでもいうのか!」

 影は、理性を失いかけたように叫び、さらに強力な穢れを放った。しかし、おみつの浄化の光は、玄庵の「鬼」の力と合わさることで、穢れの猛攻を押し返していた。

 おみつの中に眠っていた、穢れを浄化する微かな力、あるいは人間と妖怪の心を繋ぐ特殊な才能が、今、覚醒し始めたのだ。

 それは、玄庵が目指す、人間と妖怪が真に共存できる世界への、大きな一歩となる力だった。
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