【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

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第四章:穢れの源流、交錯する運命

第七十三話:反撃の狼煙

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 生命の泉のほとりでは、玄庵がおみつの浄化の力を借りて影と激しく渡り合っていた。

 おみつの純粋な光が穢れの根源である「負の感情」を癒やし、玄庵の「鬼」の力が残された穢れを押し戻していく。

「馬鹿な……こんな小娘の力で、この穢れが……!」

 影は、信じられないといった様子で、歯噛みした。彼の顔には、焦りと、そして深い苛立ちが浮かんでいる。彼の絶対的な自信が、今、小さな人間の娘の力によって、根底から揺らいでいた。

「影! 貴様の歪んだ救済は、ここで終わる!」

 玄庵は、そう叫ぶと、おみつの光を纏いながら、影に向かって一歩踏み出した。彼の身体はすでに満身創痍だったが、その瞳には、確かな勝利への光が宿っていた。

 その時、隠れ里の入り口から、新たな妖気が近づいてくるのを感じた。それは、穢れに染まった、おぞましい妖気だった。影の刺客が、ついにこの生命の泉に到達したのだ。

「フフフ……玄庵。残念だったな。お前がここに来ることは、最初から織り込み済みだ。お前がここに釘付けになっている間に、私の配下たちが、この里を完全に穢れに染め上げてくれる!」

 影は、高笑いした。彼の目的は、玄庵を単に倒すことだけではない。この里を完全に穢れに染め上げ、それを足がかりに世界を穢れで満たすことだった。

 里の入り口から現れたのは、黒い装束をまとった数体の妖怪だった。彼らは、穢れの瘴気を身に纏い、その瞳は憎悪に濁っていた。彼らは、蝕組がこれまで玄庵の前に送り込んできた刺客の中でも、特に強力な者たちだった。

「先生、向こうにも敵が……!」
 おみつが、不安げに叫んだ。

 玄庵は、影と刺客たちの両方に意識を向け、わずかに眉をひそめた。この状況で、両方を相手にするのは困難だ。

 その時、里の奥から、里の長である天狗が、息を切らしながら駆けつけてきた。彼の傍らには、わずかに穢れの苦しみから回復した里の妖怪たちが数体、玄庵を見上げていた。

「玄庵様……我々が、刺客たちを食い止めます! どうか、玄庵様は影様との決着に集中してください!」

 天狗が、力強く叫んだ。彼の身体にはまだ穢れの痕が残っているが、その瞳には、故郷を守ろうとする強い意志が宿っていた。他の妖怪たちも、それぞれの武器を構え、蝕組の刺客たちに立ち向かう構えを見せた。

 玄庵は、彼らの覚悟に、静かに頷いた。彼の顔に、わずかな安堵の表情が浮かぶ。

「天狗、そして皆……頼む!」

「お任せください!」

 天狗はそう言うと、他の妖怪たちを率いて刺客たちに向かって突進した。彼らは、穢れによって心まで蝕まれそうになった経験から、二度と蝕組の思い通りにはさせないと決意していた。

 一方、江戸では、古尾と玉藻、そして玄庵に救われた多くの妖怪たちが、竜胆と共に穢れと戦い続けていた。

「へへ、こんな時のために、とっておきの秘策があるんでさぁ!」

 古尾は、にやりと笑うと、懐から古びた巻物を取り出した。その巻物には、いくつもの小さな封印が施されている。

「古尾、それはまさか……!?」

 竜胆が、古尾の巻物を見て驚きの声を上げた。その巻物は、古狐の一族に代々伝わる、広範囲にわたる幻惑の術が記されたものだった。竜胆もその存在を耳にしたことはあったが、まさか古尾が携えているとは夢にも思わなかった。

「ああ、そうでさぁ。こんな時に使わずに、いつ使うんでさぁ!」

 古尾は、そう言うと、巻物に施された封印を、次々と解き放っていった。巻物から、古びた墨の匂いと共に、強大な妖気が放たれる。

「喰らえ! 古狐の秘術! 幻惑の森!」

 古尾がそう叫ぶと、江戸の穢れに染まった空気が歪み始めた。穢れによって生み出された悪霊や、人々に憑りついた妖怪たちの視界が、まるで幻のように揺らぎ、見る者の目を欺く。蝕組の配下たちは、突然の幻惑に混乱し、互いに攻撃し始めた。

「な、なんだこれは……!?」

「敵はどこだ!?」

 悪霊や憑き物たちは、幻惑の中で、同士討ちを始める。古尾の術は、直接的な攻撃力はないが、敵の目を欺き、その動きを封じることに特化していた。

「へへ、こんな時に拙者の情報屋の腕前が役に立つとはな!」

 古尾は、得意げに笑った。彼は、蝕組の配下たちの動きや、それぞれの得意な戦術を把握していたのだ。その情報をもとに、彼らを最も効果的に混乱させる幻惑を仕掛けていた。

 玉藻もまた、古尾の幻惑術の中で、素早く動き回る。彼女は、幻惑の中で唯一、真実の姿を捉えることができるため、敵の隙を的確に見つけて、古尾や竜胆、そして他の妖怪たちに伝える役割を果たしていた。

「ニャー、あっちに隙あり!」

 玉藻の合図を受け、竜胆と集まった妖怪たちは、幻惑の森の中で、蝕組の配下たちの最も脆弱な部分を攻撃する。

 彼らは、古尾の秘術によって生まれた混乱に乗じ、反撃を開始した。玄庵に救われた妖怪たちは、それぞれが持つ能力を最大限に活かし、穢れの瘴気を押し戻し、人々に憑りついた悪霊を退けていく。

 一方、隠れ里の生命の泉のほとりでは、影が古尾の秘策に気づき、苛立ちの表情を浮かべていた。

「まさか、あの古狐が、そのような術を……! だが、小細工に過ぎぬ! 真の力には勝てぬぞ!」

 影は、玄庵への攻撃の手を緩めず、さらに穢れを増幅させた。彼の目的は、玄庵の「鬼」の力を完全に引き出し、それを制御不能にすることだ。

 しかし、古尾の秘策は、玄庵にとって大きな助けとなっていた。江戸での戦いが有利になったことで、玄庵は背後の心配をすることなく、影との戦いに集中できるようになったのだ。

「影……貴様の歪んだ思想は、もう通用しない。この里を、そしてこの世界を、貴様には滅ぼさせぬ!」

 玄庵の言葉は、確固たる決意に満ちていた。彼の力は、穢れの濁流を押し返し、生命の泉に、かすかな清らかな光を灯し始めていた。

 古尾の秘策は、この反撃の重要な鍵となった。

 そして、それは、玄庵がこれまで築き上げてきた、人間と妖怪の絆の力が、今、最大の危機を乗り越えるための原動力となっていることを示していた。

 戦いは、新たな局面を迎える。
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