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第六章:古き神々の涙と因果の病
第百八話:風の囁き、病の知らせ
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水神の嘆きは、僅かながら和らいだものの、江戸の町を覆う因果の病は、その姿を変えながら、新たな苦痛を人々に与え始めた。
玄庵診療所では、相変わらず患者たちが列をなしていたが、その症状は、これまでの土や水にまつわるものとは、明らかに異なっていた。
その日、診療所に運び込まれてきたのは、中年の男だった。
彼の顔は赤く腫れ上がり、全身にはまるで蕁麻疹のように不気味な赤い斑点が浮き出ている。呼吸は荒く、激しい咳き込みを繰り返すたびに、苦しげな呻き声が漏れた。その体からは、どこか乾いた、埃っぽい匂いが漂っていた。
「先生、この者、昨日の夕方から急に咳が出始めて、今朝になったら、こんな姿に……。医者にも診せましたが、原因がわからぬと……」
男を担ぎ込んできた親族が、不安げな顔で訴えた。玄庵は、男の胸に耳を当てた。その肺からは、まるで風が吹き荒れるかのような、異様な音が聞こえる。
「これは……風の因果だな」
玄庵の言葉に、おみつは息を呑んだ。彼女の鼻腔を、今度は「乾いた悲しい風の匂い」と、微かな「砂埃」のような気配が刺激した。それは、風神の、言いようのない深い悲しみが、この男の身に現れているかのようだった。
「風の因果……ですか?」
おみつが問い返すと、玄庵は静かに頷いた。
「ああ。人々の無関心が、風の神を悲しませ、その嘆きが、この男の身に病として現れている」
玄庵は、男の顔を覗き込み、その瞳の奥に広がる怯えの色を読み取っていた。男は、激しい咳き込みの合間に、うわ言のように呟く。
「風が……風が……止まらない……」
その言葉は、まるで風の神の怒りを、その身に感じ取っているかのようだった。
そこへ、古尾が慌ただしく診療所に飛び込んできた。その顔には、普段の飄々とした表情を失い、焦燥の色が浮かんでいた。
「玄庵さん! おみつさん! 大変だ! 江戸の町中に、奇妙な胞子が舞い始めたって噂だぜ! それに触れた奴が、みんな咳き込んだり、皮膚が腫れたりしてるってよ!」
古尾の報告は、玄庵の予感を裏付けるものだった。因果の病は、もはや特定の個人に留まらず、風に乗って運ばれる奇妙な胞子によって、江戸全体へと、広がりを見せている。
「それは……風神の、因果の涙が形を成したもの。人々の無関心が、風の神を悲しませ、その嘆きが、胞子となって、この世に病をもたらしているのだ」
玄庵の言葉は、静かだが、その中に、有無を言わせぬ響きがあった。
「おいおい、玄庵さん、まさか、この病気と、その奇妙な胞子が関係あるってのか?」
古尾が、信じられないといった様子で問いかけた。
「関係ある、というより、同じ根源から生まれている。人々の風への無関心と、感謝の欠如。それが、風神の悲しみを呼び起こし、今、この男の身に、そして江戸全体に、病として現れているのだ」
玄庵の言葉に、古尾は顔色をさらに悪くした。
「そんな馬鹿な……。風なんて、目に見えねぇもんだろ? そんなものに神様がいるなんて……」
古尾の言葉は、多くの人間の心情を代弁しているようだった。風は、目に見えず、掴むこともできない。それゆえに、人々は風の恵みを当たり前のように享受し、その存在を軽んじてきた。
「風は、命を育み、病を運び、全てを浄化する。しかし、その力を軽んじ、風の通り道を塞ぎ、その恵みを当たり前のように享受するばかりで、感謝の心を忘れた時、風神は嘆きを流す。その嘆きが、奇妙な胞子となり、人々の身に、病として現れるのだ」
玄庵の言葉に、おみつは胸を締め付けられた。この男が、単なる病に苦しんでいるのではない。風神の、途方もない悲しみと怒りが、その身に宿っているのだ。
「先生……この男を救うには、どうすれば……」
おみつは、玄庵に問いかけた。薬や術だけでは、この病を治すことはできない。それは、痛いほど理解していた。
玄庵は、静かに目を閉じた。
彼の脳裏に、太古の儀式の光景が蘇る。人々が風を敬い、風の恵みに感謝を捧げ、その穏やかな流れを願う姿。それは、現代の江戸では忘れ去られた、古き信仰の姿だった。
「彼を救うには、風神の悲しみを癒やす必要がある。彼自身の心に、風への畏敬と、その恵みへの悔い改めを促すこと。そして、この江戸の町全体に、風への感謝の念を取り戻させることだ」
玄庵の言葉は、あまりにも途方もない響きを持っていた。個人の意識を変えるだけでも難しいのに、町全体の意識を変えるなど、並大抵のことではない。
「しかし、どうやって? 目に見えぬ風の神様を、どうやって人々は信じるのでしょう?」
おみつの問いに、古尾が小さくため息をついた。
「簡単なこたぁねぇな。だが、昔はちゃんとやり方があった。風を司る神を祀る神社があったんだ。そこで祈りを捧げ、風の恵みに感謝し、その穏やかな流れを願う。そうやって、人間と風神は共存してたんだ。まぁ、今となっては、廃れた神社も多いがな」
古尾の言葉に、玄庵は静かに頷いた。
その夜、玄庵診療所では、男の激しい咳き込みが、静かな夜の闇に響き渡っていた。玄庵は、彼の枕元に座り、その体に微かな気を送り続けている。
おみつは、その隣で、男の手にそっと触れ、自身の共感の力で、彼の心に宿る罪悪感を和らげようと試みていた。
彼女の浄化の光が、男の体を包み込み、皮膚の斑点が、わずかながらも引いていくのが見て取れた。
古尾は、診療所の隅で、そんな二人の様子を静かに見守っていた。
普段の彼なら、こんな深刻な状況に顔を出すことはないだろう。だが、風に乗って運ばれる胞子は、妖怪にも無関係ではない。
「ったく、神様ってのも、怒らせると厄介だぜ……。人間どもは、そろそろ、自分たちの行いを悔い改めねぇと、本当に取り返しのつかねぇことになるかもしれねぇな」
古尾は、そう呟くと、大きく息を吐いた。
この風の奇病は、単なる病ではない。それは、人々が忘れ去った風神への信仰と、風への感謝の念を取り戻すための、神々からの最後の警告なのかもしれない。
玄庵とおみつは、この新たな試練に対し、いかに立ち向かうのか。
夜の帳が下りた鬼灯横丁には、重い、しかし確かな決意の灯が揺れていた。
玄庵診療所では、相変わらず患者たちが列をなしていたが、その症状は、これまでの土や水にまつわるものとは、明らかに異なっていた。
その日、診療所に運び込まれてきたのは、中年の男だった。
彼の顔は赤く腫れ上がり、全身にはまるで蕁麻疹のように不気味な赤い斑点が浮き出ている。呼吸は荒く、激しい咳き込みを繰り返すたびに、苦しげな呻き声が漏れた。その体からは、どこか乾いた、埃っぽい匂いが漂っていた。
「先生、この者、昨日の夕方から急に咳が出始めて、今朝になったら、こんな姿に……。医者にも診せましたが、原因がわからぬと……」
男を担ぎ込んできた親族が、不安げな顔で訴えた。玄庵は、男の胸に耳を当てた。その肺からは、まるで風が吹き荒れるかのような、異様な音が聞こえる。
「これは……風の因果だな」
玄庵の言葉に、おみつは息を呑んだ。彼女の鼻腔を、今度は「乾いた悲しい風の匂い」と、微かな「砂埃」のような気配が刺激した。それは、風神の、言いようのない深い悲しみが、この男の身に現れているかのようだった。
「風の因果……ですか?」
おみつが問い返すと、玄庵は静かに頷いた。
「ああ。人々の無関心が、風の神を悲しませ、その嘆きが、この男の身に病として現れている」
玄庵は、男の顔を覗き込み、その瞳の奥に広がる怯えの色を読み取っていた。男は、激しい咳き込みの合間に、うわ言のように呟く。
「風が……風が……止まらない……」
その言葉は、まるで風の神の怒りを、その身に感じ取っているかのようだった。
そこへ、古尾が慌ただしく診療所に飛び込んできた。その顔には、普段の飄々とした表情を失い、焦燥の色が浮かんでいた。
「玄庵さん! おみつさん! 大変だ! 江戸の町中に、奇妙な胞子が舞い始めたって噂だぜ! それに触れた奴が、みんな咳き込んだり、皮膚が腫れたりしてるってよ!」
古尾の報告は、玄庵の予感を裏付けるものだった。因果の病は、もはや特定の個人に留まらず、風に乗って運ばれる奇妙な胞子によって、江戸全体へと、広がりを見せている。
「それは……風神の、因果の涙が形を成したもの。人々の無関心が、風の神を悲しませ、その嘆きが、胞子となって、この世に病をもたらしているのだ」
玄庵の言葉は、静かだが、その中に、有無を言わせぬ響きがあった。
「おいおい、玄庵さん、まさか、この病気と、その奇妙な胞子が関係あるってのか?」
古尾が、信じられないといった様子で問いかけた。
「関係ある、というより、同じ根源から生まれている。人々の風への無関心と、感謝の欠如。それが、風神の悲しみを呼び起こし、今、この男の身に、そして江戸全体に、病として現れているのだ」
玄庵の言葉に、古尾は顔色をさらに悪くした。
「そんな馬鹿な……。風なんて、目に見えねぇもんだろ? そんなものに神様がいるなんて……」
古尾の言葉は、多くの人間の心情を代弁しているようだった。風は、目に見えず、掴むこともできない。それゆえに、人々は風の恵みを当たり前のように享受し、その存在を軽んじてきた。
「風は、命を育み、病を運び、全てを浄化する。しかし、その力を軽んじ、風の通り道を塞ぎ、その恵みを当たり前のように享受するばかりで、感謝の心を忘れた時、風神は嘆きを流す。その嘆きが、奇妙な胞子となり、人々の身に、病として現れるのだ」
玄庵の言葉に、おみつは胸を締め付けられた。この男が、単なる病に苦しんでいるのではない。風神の、途方もない悲しみと怒りが、その身に宿っているのだ。
「先生……この男を救うには、どうすれば……」
おみつは、玄庵に問いかけた。薬や術だけでは、この病を治すことはできない。それは、痛いほど理解していた。
玄庵は、静かに目を閉じた。
彼の脳裏に、太古の儀式の光景が蘇る。人々が風を敬い、風の恵みに感謝を捧げ、その穏やかな流れを願う姿。それは、現代の江戸では忘れ去られた、古き信仰の姿だった。
「彼を救うには、風神の悲しみを癒やす必要がある。彼自身の心に、風への畏敬と、その恵みへの悔い改めを促すこと。そして、この江戸の町全体に、風への感謝の念を取り戻させることだ」
玄庵の言葉は、あまりにも途方もない響きを持っていた。個人の意識を変えるだけでも難しいのに、町全体の意識を変えるなど、並大抵のことではない。
「しかし、どうやって? 目に見えぬ風の神様を、どうやって人々は信じるのでしょう?」
おみつの問いに、古尾が小さくため息をついた。
「簡単なこたぁねぇな。だが、昔はちゃんとやり方があった。風を司る神を祀る神社があったんだ。そこで祈りを捧げ、風の恵みに感謝し、その穏やかな流れを願う。そうやって、人間と風神は共存してたんだ。まぁ、今となっては、廃れた神社も多いがな」
古尾の言葉に、玄庵は静かに頷いた。
その夜、玄庵診療所では、男の激しい咳き込みが、静かな夜の闇に響き渡っていた。玄庵は、彼の枕元に座り、その体に微かな気を送り続けている。
おみつは、その隣で、男の手にそっと触れ、自身の共感の力で、彼の心に宿る罪悪感を和らげようと試みていた。
彼女の浄化の光が、男の体を包み込み、皮膚の斑点が、わずかながらも引いていくのが見て取れた。
古尾は、診療所の隅で、そんな二人の様子を静かに見守っていた。
普段の彼なら、こんな深刻な状況に顔を出すことはないだろう。だが、風に乗って運ばれる胞子は、妖怪にも無関係ではない。
「ったく、神様ってのも、怒らせると厄介だぜ……。人間どもは、そろそろ、自分たちの行いを悔い改めねぇと、本当に取り返しのつかねぇことになるかもしれねぇな」
古尾は、そう呟くと、大きく息を吐いた。
この風の奇病は、単なる病ではない。それは、人々が忘れ去った風神への信仰と、風への感謝の念を取り戻すための、神々からの最後の警告なのかもしれない。
玄庵とおみつは、この新たな試練に対し、いかに立ち向かうのか。
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