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第六章:古き神々の涙と因果の病
第百十話:火を司る者の異変
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風神の嘆きが江戸の町に奇妙な病をもたらす中、玄庵診療所には、また新たな異変を抱えた患者が運び込まれてきた。それは、これまでの土、水、風の因果とは異なる、熱と痛みに苦しむ者たちだった。
最初の患者は、四十代半ばの鍛冶師だった。彼の体は、高熱にうなされ、肌は真っ赤に爛れ、まるで火傷を負ったかのように水膨れができていた。
顔には炭の汚れがこびりつき、しかしその皮膚の奥から滲み出る赤色は、ただの火傷ではないことを示していた。
「先生……この熱は、尋常ではありませぬ……。いくら水をかけても、体の熱が引かないのです……」
鍛冶師の妻が、涙ながらに訴えた。男は意識が朦朧としており、うわ言のように「熱い……火が……」と呻くばかりだ。
玄庵は、鍛冶師の体にそっと触れた。
その肌から伝わる熱は、尋常ではなかった。まるで、彼自身の体が、燃え盛る火炉と化しているかのようだった。
彼の鼻腔を、焦げ付くような、しかしどこか悲しい「火の匂い」が刺激した。それは、これまで感じたどの因果とも異なる、新たな神の嘆き。
「これは……火の因果。火神の、嘆きが顕れている」
玄庵の言葉に、おみつは息を呑んだ。彼女の脳裏に、これまでの土、水、風の因果が、次々と蘇った。そして今、火。人々の暮らしに不可欠な、四つの元素が、次々と病となって現れているのだ。
「火神の嘆き……ですか?」
おみつが問い返すと、玄庵は静かに頷いた。
「ああ。火の恵みを当然のように享受し、その力を軽んじた結果だ。この男は、鍛冶師。火を扱う生業を持つ者が、最も火神の嘆きを受けやすい」
玄庵の言葉を裏付けるように、鍛冶師の体から、微かに熱気が立ち上るのが見えた。彼の苦痛は、火神が、人間によって粗末に扱われたことへの、怒りと悲しみを映し出しているかのようだった。
その日の午後、さらに二人の患者が診療所に運び込まれた。一人は料理人で、全身が火膨れで覆われ、まるで生きたまま炙られたかのようだった。
もう一人は風呂屋の番台で、体中が煤にまみれ、高熱にうなされている。彼らもまた、日頃から火を扱い、その恩恵を受けていた者たちだった。
「玄庵さん! おみつさん! 今度は火だ! 町中の火を扱う連中が、次々と高熱に倒れてるって噂だぜ!」
慌ただしく駆け込んできた古尾が、額の汗を拭いながら報告した。彼の顔には、これまでにも増して、焦燥の色が濃く浮かんでいる。
「やはり……。火神の因果は、広範囲に及んでいるな」
玄庵の言葉に、古尾は信じられないといった様子で首を振った。
「おいおい、そんな馬鹿な。土、水、風に続いて、今度は火だと? まるで、この世の全てが、人間に怒ってるみてぇじゃねぇか!」
古尾の言葉は、まさにその通りだった。人々の暮らしを支える根源的な力が、次々と病となって人々に襲いかかっている。
「その通りだ、古尾。人々が、自然の恵みを当たり前のように享受し、その裏にある神々の存在と感謝の心を忘れた結果、その悲しみが病として現れているのだ」
玄庵の言葉に、おみつは改めて自身の力を思い出した。彼女の浄化の光は、人々の心に宿る罪悪感を視覚化し、それを和らげることができる。しかし、この広がり続ける因果の病を前に、彼女一人の力で何ができるのか。
「先生……この方たちを救うには、どうすれば……」
おみつは、不安と焦燥に駆られながら、玄庵に問いかけた。
玄庵は、静かに目を閉じた。
彼の脳裏に、太古の儀式の光景が蘇る。人々が火を敬い、火の恵みに感謝を捧げ、その安全を願う姿。それは、現代の江戸では忘れ去られた、古き信仰の姿だった。
「彼らを救うには、火神の悲しみを癒やす必要がある。彼自身の心に、火への畏敬と、その恵みへの悔い改めを促すこと。そして、この江戸の町全体に、火への感謝の念を取り戻させることだ」
玄庵の言葉は、あまりにも途方もない響きを持っていた。個人の意識を変えるだけでも難しいのに、町全体の意識を変えるなど、並大抵のことではない。
「どうやって、そんなことを? 火は、便利だからこそ、人々は当たり前のように使っている。今さら、感謝しろと言われても……」
古尾の言葉は、人々の心情を代弁していた。しかし、その当たり前が、神々の悲しみを増幅させているのだ。
「簡単な道ではない。だが、この病を根本から癒やすには、それしか道はない」
玄庵の言葉は、揺るぎないものだった。
その夜、玄庵診療所では、火の因果に苦しむ患者たちの苦痛の呻きが、静かな夜の闇に響き渡っていた。
玄庵は、彼らの枕元に座り、その体に微かな気を送り続けている。おみつは、その隣で、患者たちの手にそっと触れ、自身の共感の力で、彼らの心に宿る罪悪感を和らげようと試みていた。
彼女の浄化の光が、患者たちの体を包み込み、熱が、わずかながらも引いていくのが見て取れた。
古尾は、診療所の隅で、そんな二人を静かに見守っていた。彼の脳裏には、玄庵の言葉が何度も反芻されていた。
「全く、人間ってのは、どこまで愚かなんだ……。目に見えるものばかりを追い求め、大切なものを見失っちまう。だが、この病は、その代償を払わせているってことか……」
古尾は、そう呟くと、大きく息を吐いた。
この火の奇病は、単なる病ではない。それは、人々が忘れ去った火神への信仰と、火への感謝の念を取り戻すための、神々からの最後の警告なのかもしれない。
玄庵とおみつは、この新たな試練に対し、いかに立ち向かうのか。夜の帳が下りた鬼灯横丁には、重い、しかし確かな決意の灯が揺れていた。
そして、その決意の灯は、ただ病を治すためだけではない。この因果の病を通して、人間と神々、そしてこの世界そのものが、いかに深く繋がり合っているかを、人々に知らしめるための、壮大な試練の始まりでもあった。
最初の患者は、四十代半ばの鍛冶師だった。彼の体は、高熱にうなされ、肌は真っ赤に爛れ、まるで火傷を負ったかのように水膨れができていた。
顔には炭の汚れがこびりつき、しかしその皮膚の奥から滲み出る赤色は、ただの火傷ではないことを示していた。
「先生……この熱は、尋常ではありませぬ……。いくら水をかけても、体の熱が引かないのです……」
鍛冶師の妻が、涙ながらに訴えた。男は意識が朦朧としており、うわ言のように「熱い……火が……」と呻くばかりだ。
玄庵は、鍛冶師の体にそっと触れた。
その肌から伝わる熱は、尋常ではなかった。まるで、彼自身の体が、燃え盛る火炉と化しているかのようだった。
彼の鼻腔を、焦げ付くような、しかしどこか悲しい「火の匂い」が刺激した。それは、これまで感じたどの因果とも異なる、新たな神の嘆き。
「これは……火の因果。火神の、嘆きが顕れている」
玄庵の言葉に、おみつは息を呑んだ。彼女の脳裏に、これまでの土、水、風の因果が、次々と蘇った。そして今、火。人々の暮らしに不可欠な、四つの元素が、次々と病となって現れているのだ。
「火神の嘆き……ですか?」
おみつが問い返すと、玄庵は静かに頷いた。
「ああ。火の恵みを当然のように享受し、その力を軽んじた結果だ。この男は、鍛冶師。火を扱う生業を持つ者が、最も火神の嘆きを受けやすい」
玄庵の言葉を裏付けるように、鍛冶師の体から、微かに熱気が立ち上るのが見えた。彼の苦痛は、火神が、人間によって粗末に扱われたことへの、怒りと悲しみを映し出しているかのようだった。
その日の午後、さらに二人の患者が診療所に運び込まれた。一人は料理人で、全身が火膨れで覆われ、まるで生きたまま炙られたかのようだった。
もう一人は風呂屋の番台で、体中が煤にまみれ、高熱にうなされている。彼らもまた、日頃から火を扱い、その恩恵を受けていた者たちだった。
「玄庵さん! おみつさん! 今度は火だ! 町中の火を扱う連中が、次々と高熱に倒れてるって噂だぜ!」
慌ただしく駆け込んできた古尾が、額の汗を拭いながら報告した。彼の顔には、これまでにも増して、焦燥の色が濃く浮かんでいる。
「やはり……。火神の因果は、広範囲に及んでいるな」
玄庵の言葉に、古尾は信じられないといった様子で首を振った。
「おいおい、そんな馬鹿な。土、水、風に続いて、今度は火だと? まるで、この世の全てが、人間に怒ってるみてぇじゃねぇか!」
古尾の言葉は、まさにその通りだった。人々の暮らしを支える根源的な力が、次々と病となって人々に襲いかかっている。
「その通りだ、古尾。人々が、自然の恵みを当たり前のように享受し、その裏にある神々の存在と感謝の心を忘れた結果、その悲しみが病として現れているのだ」
玄庵の言葉に、おみつは改めて自身の力を思い出した。彼女の浄化の光は、人々の心に宿る罪悪感を視覚化し、それを和らげることができる。しかし、この広がり続ける因果の病を前に、彼女一人の力で何ができるのか。
「先生……この方たちを救うには、どうすれば……」
おみつは、不安と焦燥に駆られながら、玄庵に問いかけた。
玄庵は、静かに目を閉じた。
彼の脳裏に、太古の儀式の光景が蘇る。人々が火を敬い、火の恵みに感謝を捧げ、その安全を願う姿。それは、現代の江戸では忘れ去られた、古き信仰の姿だった。
「彼らを救うには、火神の悲しみを癒やす必要がある。彼自身の心に、火への畏敬と、その恵みへの悔い改めを促すこと。そして、この江戸の町全体に、火への感謝の念を取り戻させることだ」
玄庵の言葉は、あまりにも途方もない響きを持っていた。個人の意識を変えるだけでも難しいのに、町全体の意識を変えるなど、並大抵のことではない。
「どうやって、そんなことを? 火は、便利だからこそ、人々は当たり前のように使っている。今さら、感謝しろと言われても……」
古尾の言葉は、人々の心情を代弁していた。しかし、その当たり前が、神々の悲しみを増幅させているのだ。
「簡単な道ではない。だが、この病を根本から癒やすには、それしか道はない」
玄庵の言葉は、揺るぎないものだった。
その夜、玄庵診療所では、火の因果に苦しむ患者たちの苦痛の呻きが、静かな夜の闇に響き渡っていた。
玄庵は、彼らの枕元に座り、その体に微かな気を送り続けている。おみつは、その隣で、患者たちの手にそっと触れ、自身の共感の力で、彼らの心に宿る罪悪感を和らげようと試みていた。
彼女の浄化の光が、患者たちの体を包み込み、熱が、わずかながらも引いていくのが見て取れた。
古尾は、診療所の隅で、そんな二人を静かに見守っていた。彼の脳裏には、玄庵の言葉が何度も反芻されていた。
「全く、人間ってのは、どこまで愚かなんだ……。目に見えるものばかりを追い求め、大切なものを見失っちまう。だが、この病は、その代償を払わせているってことか……」
古尾は、そう呟くと、大きく息を吐いた。
この火の奇病は、単なる病ではない。それは、人々が忘れ去った火神への信仰と、火への感謝の念を取り戻すための、神々からの最後の警告なのかもしれない。
玄庵とおみつは、この新たな試練に対し、いかに立ち向かうのか。夜の帳が下りた鬼灯横丁には、重い、しかし確かな決意の灯が揺れていた。
そして、その決意の灯は、ただ病を治すためだけではない。この因果の病を通して、人間と神々、そしてこの世界そのものが、いかに深く繋がり合っているかを、人々に知らしめるための、壮大な試練の始まりでもあった。
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