【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

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第六章:古き神々の涙と因果の病

第百十二話:複合する神々の影

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 江戸の町は、まるで万華鏡のように、その病の姿を変え続けていた。

 土、水、風、火。それぞれの神の嘆きが、人々に奇妙な病をもたらす。

 玄庵診療所には、連日、新たな患者たちが運び込まれたが、その症状は、もはや一つの神の因果だけでは説明しきれない、複雑な様相を呈し始めていた。

 その日、運び込まれてきたのは、町外れに住む農夫だった。彼の体は、まるで大地に根を張る木のように固く、皮膚はひび割れて土くれのようになっている。

 だが、その顔は蒼白で、唇は紫に変色し、呼吸は水中で溺れるかのように苦しげだった。そして、時折、乾いた咳とともに、全身に不気味な赤い斑点が浮き出る。

 「先生……この熱は土の病かと思いましたが、なぜか水も、風も……」

 農夫を担ぎ込んできた息子が、困惑した顔で訴えた。玄庵は、農夫の体にそっと触れた。その肌から伝わる冷たさと、体内に宿る高熱が、矛盾した熱気を放っている。

 彼の鼻腔を、土の匂い、水の匂い、そして乾いた風の匂いが、同時に押し寄せた。そして、その奥に、焦げ付くような火の匂いが微かに混ざり合っている。

 「これは……」

 玄庵の瞳に、深い驚きの色が宿った。一つの神の因果が、これほどまでに複雑に絡み合うなど、これまでになかったことだ。

 「複合する神々の影……」

 玄庵の呟きに、おみつは息を呑んだ。
彼女の心にも、農夫の体が抱える複数の悲しみが、同時に押し寄せてくる。大地を傷つけたことへの「傲慢さ」、水を汚したことへの「無責任」、風の通り道を塞いだことへの「無関心」、そして、火を粗末に扱ったことへの「怠慢」。

 「先生、この方からは、土の神様、水の神様、風の神様、そして火の神様の……全ての悲しみが感じられます……!」

 おみつが、震える声で告げた。その言葉は、まるで彼女自身が、それぞれの神々の嘆きを身に受けているかのようだった。

 そこへ、古尾が慌ただしく診療所に飛び込んできた。彼の顔色は、これまでにないほど青ざめていた。

 「玄庵さん! おみつさん! 大変だ! 江戸の町中に、奇妙な病が次々と現れ始めたって噂だぜ! 体が土のように固まる奴が、急に溺れるような苦しみを訴えたり、風の病の奴が、突然熱を出したり……! もはや、どれがどの病か、分からなくなっちまったんだ!」

 古尾の報告は、玄庵の予感を裏付けるものだった。因果の病は、もはや個々の神の嘆きとして現れるだけでなく、複数の神々の因果が複雑に絡み合い、より深刻な病となって人々に襲いかかっているのだ。

 「やはり……。人々が、全ての自然を軽んじ、その恵みを当たり前のように享受してきた結果、全ての神々の悲しみが、一度に顕れるようになったのだな」

 玄庵の言葉は、静かだが、その中に、有無を言わせぬ重みがあった。

 「おいおい、そんな馬鹿な……。こんな病、どうやって治すってんだい? 一つの神様を鎮めるだけでも大変なのに、全部となると……」

 古尾が、信じられないといった様子で問いかけた。彼の顔には、諦めの色が滲み始めていた。

 「古尾の言う通りだ。個々の神を鎮めるだけでは、もはやこの病は根本から癒やせぬ。全ての神々の悲しみを癒やし、人々の心に、全ての自然への感謝と畏敬の念を取り戻させる必要がある」

 玄庵の言葉は、あまりにも途方もない響きを持っていた。それは、個人の意識改革を超え、社会全体の意識、人々の生き方そのものに問いかけるものだった。

 その時、診療所の戸が、静かに開かれた。現れたのは、竜胆だった。彼の顔には、疲労の色が濃く、その手には、清められたばかりの小さな祠の破片が握られていた。彼は、風神の祠を清め、その場に祈りを捧げてきたのだろう。

 「玄庵……風神の祠を清めてきた。病が治るとは断言できぬが、少なくとも、患者の咳は少しは和らいだようだ……」

 竜胆の声には、微かな達成感が混じっていた。しかし、彼は、診療所の異様な雰囲気に、すぐに気が付いた。

 「これは……一体……?」

 竜胆は、農夫の病状を見て、愕然とした。土、水、風、そして火。これまで個別に現れていた因果の兆候が、全て一つの体に現れている。

 玄庵は、静かに竜胆に、複合する因果の病について説明した。人々の無関心と傲慢さが、全ての神々の悲しみを呼び起こし、それが一度に人々に襲いかかっているのだと。

 「……そんな、馬鹿な。まさか、そこまで……」

 竜胆は、信じられないといった様子で呟いた。彼の退魔師としての経験では、この現象は、もはや常識では測りきれない領域だった。

 「この病を癒やすには、もはや個々の神を鎮めるだけでは不十分だ。人々の心に、全ての自然への感謝と畏敬の念を取り戻させる必要がある。そして、それは、お前の力も必要となる」

 玄庵の言葉に、竜胆の瞳に、新たな戸惑いの色が浮かんだ。
彼は、これまでのように妖怪を追うだけでは、この因果の病は解決できないことを、より強く確信したのだ。
だが、全ての神々。それは、あまりにも広大で、途方もない相手だ。

 その夜、玄庵診療所では、複合する因果の病に苦しむ患者たちの苦痛の呻きが、静かな夜の闇に響き渡っていた。

 玄庵は、彼らの枕元に座り、その体に微かな気を送り続けている。おみつは、その隣で、患者たちの手にそっと触れ、自身の共感の力で、彼らの心に宿る罪悪感を和らげようと試みていた。
彼女の浄化の光が、患者たちの体を包み込み、病の進行が、わずかながらも緩やかになるのが見て取れた。

 古尾と竜胆は、診療所の隅で、そんな二人を静かに見守っていた。彼らの顔には、焦燥と、かすかな絶望の色が滲んでいた。

 「全く、人間ってのは、どこまで愚かなんだ……。目に見えるものばかりを追い求め、大切なものを見失っちまう。そして、その代償が、今、この形で現れているってことか……」

 古尾は、そう呟くと、大きく息を吐いた。竜胆は、固く拳を握りしめた。彼の心には、これまで経験したことのない、重い責任感がのしかかっていた。
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