【完結】『大江戸妖怪診療所～奇病を治すは鬼の医者～』

第七章：歪められし神意、神罰の執行者

第百十四話：歪む天象、偽りの神罰

　神罰の執行者の胎動を知った玄庵たちは、新たな脅威への警戒を強めていた。

　しかし、彼らの予感を嘲笑うかのように、江戸の空は、突如としてその様相を大きく変え始めた。

　ある日、江戸の町を強烈な日照りが襲った。連日、容赦なく照りつける太陽は、大地を乾かし、川の水を蒸発させ、人々の喉を渇きで焼いた。作物は枯れ果て、井戸水は底をつき、町には渇きに苦しむ人々の呻きが満ちた。
それは、まるで、天の神々が怒り、恵みの雨を拒んでいるかのようだった。

　「先生、こんな日照りは、生まれてこの方見たことがありません……。まさか、これも因果の病なのでしょうか……」

　おみつは、干上がった井戸水を眺めながら、玄庵に問いかけた。その声には、深い不安が滲んでいた。

　玄庵は、空を見上げた。容赦なく照りつける陽光は、確かに生命の力を奪っていく。しかし、その熱気の中に、彼はどこか不自然な「淀み」を感じ取っていた。それは、自然の摂理によるものではなく、何者かの悪意によって作り出されたものだ。

　「これは、自然な神々の怒りではない。誰かの意図によって、天の恵みが歪められている」

　玄庵の言葉に、おみつはハッとした。彼女の心には、これまで感じたことのない、強烈な「虚偽の熱気」が押し寄せてくる。それは、神の力が、ねじ曲げられ、悪用されている証拠だった。

　その夜、江戸の町に、神罰の執行者を名乗る者たちの声が響き渡った。

　「聞け、堕落した人間どもよ！　この日照りこそ、天の神々が下した神罰である！　お前たちの驕り、自然への冒涜が、この旱魃を招いたのだ！」

　低い、しかし力強い声は、町中に響き渡り、人々の心に深い恐怖を植え付けた。

　「悔い改めよ！　さもなくば、さらなる神罰が下されるであろう！」

　声は、空へと消えていったが、人々の心には、言いようのない不安が残った。日照りが彼らの生活を脅かす中、この「神罰」という言葉は、彼らの心をさらに追い詰めるものだった。

　「まさか、これが……」

　おみつは、震える声で呟いた。
彼女は、その声に込められた「歪んだ信仰」と「絶望」の感情を感じ取っていた。執行者たちは、人々の信仰心を利用し、恐怖を煽り、混乱を引き起こそうとしているのだ。

　翌日、江戸の町は、今度は豪雨に見舞われた。天から降り注ぐ雨は、大地を叩きつけ、町を水浸しにした。昨日までの日照りが嘘のように、全てを洗い流すかのような激しい雨は、多くの家屋を押し流し、田畑を泥水で埋め尽くした。

　「この豪雨もまた、神罰である！　清められよ、穢れたる魂よ！」

　再び、神罰の執行者の声が響き渡る。彼らは、天候を自在に操り、人々を翻弄しているかのように見えた。

　玄庵は、診療所の窓から、荒れ狂う雨空を見上げていた。日照りの時と同様、この豪雨もまた、自然の摂理を超えた「歪み」を伴っていた。雨の粒一つ一つに、無理やり引き出された神の怒りと、それを増幅させる、穢れた霊力が感じられる。

　「彼らは、天の神の力を、歪んだ神の依代を用いて、意図的に操っているのだ。これは、真の神罰ではない。偽りの神罰だ」

　玄庵の言葉は、確信に満ちていた。彼の知識は、彼が師から学んだ古文書に記された「歪んだ神の依代」の記述と、その力を操る者たちの手口と一致していた。

　竜胆は、ずぶ濡れになりながら診療所に駆け込んできた。彼の顔は、怒りと焦燥に満ちている。

　「玄庵！　この天候の異変は、何なのだ！？　町では、この日照りも豪雨も、全て神罰だと騒ぎ立てている！　人々は恐怖に怯え、混乱しているぞ！」

　竜胆の声には、珍しく動揺が混じっていた。退魔師として、彼はこれまで妖怪や穢れと戦ってきたが、このような「天災」を装った攻撃には、為す術がなかった。

　「これは、神罰の執行者の仕業だ。彼らは、天候を操り、人々を恐怖に陥れようとしている」

　玄庵の言葉に、竜胆は目を見開いた。
　「ならば、どうすればよい！？　この天候を元に戻すには、どうすれば……！」

　「彼らが操る力は、神々の力を歪ませたもの。真の神の依代は、自然の摂理を保つものだが、歪んだ依代は、それを破壊し、混乱をもたらす。この天候の歪みを正すには、彼らが使う依代の力を、浄化する必要がある」

　玄庵の言葉に、おみつは己の浄化の力を感じ取った。彼女の力は、因果の穢れを清めるだけでなく、神々の悲しみそのものを癒やすことができる。ならば、歪んだ神の依代によって引き起こされたこの偽りの神罰も、彼女の力でどうにかできるのではないか。

　「私に、できることはありますか、先生！」
　おみつの声には、強い決意が宿っていた。

　「ああ、おみつ。お前の浄化の力は、歪められた神の力を清めることができる。そして、その清らかな力は、人々に真の神意を伝える道となるだろう」

　玄庵の言葉に、おみつは深く頷いた。彼女は、患者たちの苦痛を和らげるだけでなく、この江戸の町全体を覆う偽りの神罰の闇を晴らすために、自身の力を使うことを誓った。

　夜の帳が下りた江戸の町には、豪雨の音が響き渡り、人々の不安を煽っていた。しかし、玄庵診療所の灯りは、その闇の中で、揺るがぬ希望の光を放っていた。

　彼らは、神罰の執行者の放つ「偽りの神罰」を打ち破り、真の神意を取り戻すため、戦いの第一歩を踏み出す準備を始めていた。