【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

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第七章:歪められし神意、神罰の執行者

第百十五話:狙われる霊脈

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 豪雨が去った江戸の町は、泥と瓦礫の山と化していた。

 神罰の執行者によって歪められた天象は、人々の心に深い恐怖と絶望を刻みつけた。しかし、その混乱の陰で、彼らはさらなる陰謀を進めていた。

 玄庵診療所では、天候の異変に加えて、新たな種類の患者が運び込まれ始めていた。

 彼らは、高熱や皮膚の異常ではなく、まるで何かに取り憑かれたかのように、激しく錯乱し、暴れ狂う者たちだった。

 その多くは、夜の帳が下りた頃に町を徘徊していた者や、日頃から神社の境内に足を踏み入れることが多かった者たちだ。

 「先生……この方、まるで獣のように唸り声を上げています……」

 おみつは、縄で縛られた男の姿に、顔を青ざめさせた。男の瞳は血走り、口からは泡を吹き、その全身からは、これまで感じたことのない、忌まわしい「淀んだ霊力」が放出されていた。それは、かつて玄庵が対峙した蝕組の妖怪たちが放つ穢れとは、また異なる性質のものだった。

 玄庵は、男の脈を測りながら、その体に微かな気を巡らせた。男の体内の霊脈は、まるで濁流のように荒れ狂い、本来の清らかな流れが完全に歪められている。

 「これは……霊脈の汚染だ。執行者たちが、江戸の霊脈に手を加えている」

 玄庵の言葉に、おみつは息を呑んだ。
霊脈とは、大地を流れる生命の気、すなわち神々の力が宿る場所。それが汚染されれば、大地だけでなく、そこに生きる全ての存在に影響が及ぶ。

 「霊脈が汚染されると、どうなるのですか?」

 おみつの問いに、玄庵は重い口を開いた。
 「霊脈は、神々がこの世に力を及ぼすための道であり、同時に、妖怪たちが力を得る源でもある。霊脈が汚染されれば、まずそこに宿る神々の力が歪められ、次に、その力を糧とする妖怪たちが狂暴化する」

 玄庵の言葉を裏付けるかのように、診療所の外から、不穏な叫び声が聞こえてきた。それは、狂暴化した妖怪たちの、悲痛な咆哮だった。

 その時、古尾が慌ただしく診療所に飛び込んできた。彼の顔には、疲労の色が濃く、その瞳には、恐怖が滲んでいた。

 「玄庵さん! おみつさん! 大変だ! 町中の妖怪たちが、次々と正気を失って暴れ始めてる! 穏やかだったはずの奴らが、まるで血に飢えた獣みてぇに、人間に襲いかかってるんだ!」

 古尾の報告は、玄庵の予感を裏付けるものだった。狂暴化した妖怪たちは、因果の病とは異なる、新たな脅威として、江戸の町を混乱に陥れ始めていた。

 「やはり……執行者たちは、霊脈を汚染し、妖怪たちを意図的に狂暴化させているのだな」

 玄庵の言葉に、古尾は信じられないといった様子で首を振った。
 「そんな馬鹿な! 妖怪を操るなんて、一体どうやって……」

 「彼らは、歪んだ神の依代の力で、神々の力を歪ませた。その汚染が、今度は霊脈を通じて、妖怪たちにまで及んでいるのだ」

 玄庵の言葉に、おみつは、診療台の男の苦痛と、外で暴れる妖怪たちの咆哮が、まるで共鳴しているかのように感じられた。

 彼女の心には、狂暴化した妖怪たちの「悲痛な叫び」が、直接的に響いてくる。それは、彼らが自らの意思で暴れているのではなく、何者かの力によって、無理やり歪められていることの証だった。

 「先生……この妖怪たちは、苦しんでいます……。彼らは、こんなことを望んでいない……」
 おみつの言葉に、玄庵は静かに頷いた。

 そこへ、竜胆が、怒りに満ちた表情で診療所に駆け込んできた。彼の刀は、血に濡れている。

 「玄庵! 江戸の町は、もう地獄絵図だ! 妖怪どもが、何の理由もなく人々を襲い始めた! これは、ただの妖怪の仕業ではない! 奴らの背後に、何者かの悪意を感じる!」

 竜胆の声には、これまでにないほどの激しい怒りが込められていた。彼は、人々を守るという信念を胸に、狂暴化した妖怪たちと戦ってきたのだろう。

 「竜胆。彼らは、神罰の執行者の仕業だ。彼らは、霊脈を汚染し、妖怪たちを狂暴化させている。それが、因果の病の新たな原因となり、妖怪だけでなく、人々にまで影響を及ぼし始めているのだ」

 玄庵の言葉に、竜胆は目を見開いた。霊脈の汚染。それは、退魔師の常識をも超える事態だった。

 「ならば、どうすればよい!? この狂暴化した妖怪たちを、どうすれば止められる!?」

 玄庵は、一瞬の沈黙の後、静かに口を開いた。彼の視線は、錯乱する患者と、外から聞こえる妖怪たちの咆哮の間を往復する。

 「霊脈の汚染は、根源的な問題だ。通常の術では、一時的に鎮めることはできても、根本的な解決にはならぬだろう。彼らが狙うのは、単なる混乱ではない。おそらく、霊脈そのものを掌握し、江戸の、いや、この国の理を歪めようとしている」

 彼は懐から、小さな羅盤を取り出した。羅盤の針は、狂ったように揺れ動いている。

 「この羅盤は、霊脈の流れを示す。霊脈の汚染は、特定の場所で顕著に現れるはず。その源を突き止め、汚染された霊気を浄化しなければならない」
 玄庵の言葉には、冷静な分析と、次なる行動への明確な意思が感じられた。

 おみつは、玄庵の言葉に強く頷いた。
 「先生、私にも手伝えることがありますか? 私の力で、霊脈の歪みを……」

 玄庵は、おみつの真剣な眼差しに応えるように、ゆっくりと語りかけた。
 「ああ、おみつ。お前の浄化の力は、この霊脈の歪みを清める上で、最も重要な鍵となるだろう。だが、霊脈は複雑に絡み合っている。まずは、その汚染の根源を特定する必要がある。古尾、竜胆、手を貸してくれ」

 古尾は、自身の情報網を駆使し、最近特に不審な動きを見せる廃墟や地下道に関する情報を集め始めた。
竜胆は、狂暴化した妖怪たちの出現場所を記録し、その動きから霊脈の汚染源を推測しようと試みた。
彼らは、それぞれの持ち場で、この新たな脅威に立ち向かうための準備を進めていた。

 夜の帳が下りた江戸の町は、狂暴化した妖怪たちの咆哮と、人々の悲鳴が入り混じる、混沌とした場所と化していた。

 しかし、玄庵診療所の灯りは、その闇の中で、揺るがぬ希望の光を放っていた。
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