126 / 150
第八章:敵の帰還、最終決戦
第百二十六話:江戸の攻防、竜胆の選択
しおりを挟む
玄庵がおみつたちと再会し、新たな決意を固めていた頃、江戸の町は、神罰の執行者たちの容赦ない攻勢により、さらなる混迷の度を深めていた。
玄庵という抑止力を失った執行者たちは、かねてより周到に練っていた計画を、一気に推し進め始めたのだ。
彼らは、江戸の霊脈の穢れを増幅させ、町中に因果の病を撒き散らした。その病は、単なる体の不調に留まらず、人々の心を深く蝕み、猜疑心や憎しみを増大させるものであった。隣人を疑い、妖怪を恐れ、ついには神仏までも呪う者さえ現れた。
診療所には、連日、苦しみに喘ぐ人々が押し寄せた。竜胆は、玄庵の不在を埋めるべく、身を粉にして治療にあたっていた。彼の術は、かつて師と仰いだ玄庵には及ばぬものの、その退魔師としての経験と、人々を救わんとする強い心は、確かに患者たちの支えとなっていた。
「竜胆様、どうか……この子の熱を、どうか……!」
母親の懇願の声に、竜胆は額に滲む汗を拭い、ひたすら術を施した。しかし、執行者たちが撒き散らす穢れは、これまで彼が経験したことのない、根深いものであった。通常の術では、もはや対処しきれないほどの規模で、病が蔓延していたのだ。
「くそっ……!」
竜胆は、奥歯を噛み締めた。その時、診療所の戸が、激しい音を立てて開いた。現れたのは、神罰の執行者の一人、竜胆がかつて接触したことのある男であった。
「相変わらず、無駄な足掻きをしておるな、竜胆よ」
男は、冷ややかな声で言った。その背後には、異形の妖怪たちが、目を血走らせ、唸り声を上げている。彼らは、執行者たちの歪んだ依代の力によって、狂暴化させられた者たちであった。
「貴様ら……これ以上、江戸の町を荒らすというのか!」
竜胆は、術を構え、男と対峙した。彼の内には、執行者たちの掲げる「浄化」という大義に、かつて一抹の共感を覚えた己への、深い悔恨があった。彼らの非情なやり方、無辜の人々を巻き込む行いは、竜胆の正義とは相容れぬものだった。
「我らは、神罰を代行する者。穢れたこの世を洗い流すことが、我らの使命。お主も、我らの大義に加わるべきであったのだ。この濁りきった世を救うには、痛みなしには成し得ぬ」
男の言葉は、まるで過去の竜胆自身の声を聞いているかのようであった。だが、今の竜胆には、迷いはなかった。玄庵や、おみつ、そして診療所に集う人々や妖怪たちとの触れ合いの中で、彼は真の救いとは何かを、肌で感じていたのだ。
「貴様らの大義とやらが、人の心を壊し、妖怪を狂わせるものならば、私は断固として、それを否定する!」
竜胆は、力の限り叫んだ。その声は、かつて彼が、強き者を打ち倒すためだけに振るっていた術に、新たな意味を与えていた。
執行者の男は、鼻で笑った。
「愚かな。その小さな力で、何ができるというのだ」
男は、狂暴化した妖怪たちをけしかけた。妖怪たちは、唸り声を上げながら、診療所へと襲いかかる。
「皆の者! 診療所を守れ! そして、この穢れを、町から追い払うのだ!」
竜胆の声に、診療所に身を寄せていた穏健派の妖怪たちが、一斉に立ち上がった。彼らは、玄庵診療所で治療を受け、人間との共存の道を模索してきた者たちである。そして、町の人々もまた、竜胆の言葉に呼応し、診療所を守るべく、それぞれの持ち場で応戦した。
竜胆の術が、狂暴化した妖怪たちを退ける。しかし、執行者の男は、不敵な笑みを浮かべ、さらに強力な穢れを放った。診療所の障子が軋み、壁に不気味な染みが広がる。
(玄庵……! 早く戻ってきてくれ……!)
竜胆は、心の中で叫んだ。彼の体は、既に限界に近かった。しかし、彼は決して諦めなかった。彼の中には、玄庵が彼に教えてくれた、命の尊さ、そして、他者を守るという、真の強さが宿っていたのだ。
江戸の町は、まさに攻防の最中にあった。執行者たちの攻勢は激化し、人々の絶望は深まるばかり。しかし、竜胆は、この小さな診療所を、希望の砦として守り抜こうと、必死に戦い続けていた。
彼の選択は、執行者との完全なる決別。そして、玄庵の帰りを信じ、仲間たちと共に、この戦乱の世に抗い続けることであった。
玄庵という抑止力を失った執行者たちは、かねてより周到に練っていた計画を、一気に推し進め始めたのだ。
彼らは、江戸の霊脈の穢れを増幅させ、町中に因果の病を撒き散らした。その病は、単なる体の不調に留まらず、人々の心を深く蝕み、猜疑心や憎しみを増大させるものであった。隣人を疑い、妖怪を恐れ、ついには神仏までも呪う者さえ現れた。
診療所には、連日、苦しみに喘ぐ人々が押し寄せた。竜胆は、玄庵の不在を埋めるべく、身を粉にして治療にあたっていた。彼の術は、かつて師と仰いだ玄庵には及ばぬものの、その退魔師としての経験と、人々を救わんとする強い心は、確かに患者たちの支えとなっていた。
「竜胆様、どうか……この子の熱を、どうか……!」
母親の懇願の声に、竜胆は額に滲む汗を拭い、ひたすら術を施した。しかし、執行者たちが撒き散らす穢れは、これまで彼が経験したことのない、根深いものであった。通常の術では、もはや対処しきれないほどの規模で、病が蔓延していたのだ。
「くそっ……!」
竜胆は、奥歯を噛み締めた。その時、診療所の戸が、激しい音を立てて開いた。現れたのは、神罰の執行者の一人、竜胆がかつて接触したことのある男であった。
「相変わらず、無駄な足掻きをしておるな、竜胆よ」
男は、冷ややかな声で言った。その背後には、異形の妖怪たちが、目を血走らせ、唸り声を上げている。彼らは、執行者たちの歪んだ依代の力によって、狂暴化させられた者たちであった。
「貴様ら……これ以上、江戸の町を荒らすというのか!」
竜胆は、術を構え、男と対峙した。彼の内には、執行者たちの掲げる「浄化」という大義に、かつて一抹の共感を覚えた己への、深い悔恨があった。彼らの非情なやり方、無辜の人々を巻き込む行いは、竜胆の正義とは相容れぬものだった。
「我らは、神罰を代行する者。穢れたこの世を洗い流すことが、我らの使命。お主も、我らの大義に加わるべきであったのだ。この濁りきった世を救うには、痛みなしには成し得ぬ」
男の言葉は、まるで過去の竜胆自身の声を聞いているかのようであった。だが、今の竜胆には、迷いはなかった。玄庵や、おみつ、そして診療所に集う人々や妖怪たちとの触れ合いの中で、彼は真の救いとは何かを、肌で感じていたのだ。
「貴様らの大義とやらが、人の心を壊し、妖怪を狂わせるものならば、私は断固として、それを否定する!」
竜胆は、力の限り叫んだ。その声は、かつて彼が、強き者を打ち倒すためだけに振るっていた術に、新たな意味を与えていた。
執行者の男は、鼻で笑った。
「愚かな。その小さな力で、何ができるというのだ」
男は、狂暴化した妖怪たちをけしかけた。妖怪たちは、唸り声を上げながら、診療所へと襲いかかる。
「皆の者! 診療所を守れ! そして、この穢れを、町から追い払うのだ!」
竜胆の声に、診療所に身を寄せていた穏健派の妖怪たちが、一斉に立ち上がった。彼らは、玄庵診療所で治療を受け、人間との共存の道を模索してきた者たちである。そして、町の人々もまた、竜胆の言葉に呼応し、診療所を守るべく、それぞれの持ち場で応戦した。
竜胆の術が、狂暴化した妖怪たちを退ける。しかし、執行者の男は、不敵な笑みを浮かべ、さらに強力な穢れを放った。診療所の障子が軋み、壁に不気味な染みが広がる。
(玄庵……! 早く戻ってきてくれ……!)
竜胆は、心の中で叫んだ。彼の体は、既に限界に近かった。しかし、彼は決して諦めなかった。彼の中には、玄庵が彼に教えてくれた、命の尊さ、そして、他者を守るという、真の強さが宿っていたのだ。
江戸の町は、まさに攻防の最中にあった。執行者たちの攻勢は激化し、人々の絶望は深まるばかり。しかし、竜胆は、この小さな診療所を、希望の砦として守り抜こうと、必死に戦い続けていた。
彼の選択は、執行者との完全なる決別。そして、玄庵の帰りを信じ、仲間たちと共に、この戦乱の世に抗い続けることであった。
0
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
死霊術士が暴れたり建国したりするお話
はくさい
ファンタジー
多くの日本人が色々な能力を与えられて異世界に送りこまれ、死霊術士の能力を与えられた主人公が、魔物と戦ったり、冒険者と戦ったり、貴族と戦ったり、聖女と戦ったり、ドラゴンと戦ったり、勇者と戦ったり、魔王と戦ったり、建国したりしながらファンタジー異世界を生き抜いていくお話です。
ライバルは錬金術師です。
ヒロイン登場は遅めです。
少しでも面白いと思ってくださった方は、いいねいただけると嬉しいです。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
戦国乱世は暁知らず~忍びの者は暗躍す~
綾織 茅
歴史・時代
戦国の世。時代とともに駆け抜けたのは、齢十八の若き忍び達であった。
忍び里への大規模な敵襲の後、手に持つ刀や苦無を筆にかえ、彼らは次代の子供達の師となった。
護り、護られ、次代へ紡ぐその忍び技。
まだ本当の闇を知らずにいる雛鳥達は、知らず知らずに彼らの心を救う。
しかし、いくら陽だまりの下にいようとも彼らは忍び。
にこやかに笑い雛と過ごす日常の裏で、敵襲への報復準備は着実に進められていった。
※他サイトにも投稿中です。
※作中では天正七年(1579)間の史実を取り扱っていくことになります。
時系列は沿うようにしておりますが、実際の背景とは異なるものがございます。
あくまで一説であるということで、その点、何卒ご容赦ください。
★2025.5.31~ 随時、加筆修正版に変更中です ★
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる