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第八章:敵の帰還、最終決戦
第百三十二話:戒の側近、悲しき過去
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狛犬の像が静かなる鎮まりを取り戻し、一行はさらに祭祀場の奥へと進んだ。
闇は一層深く、空気は重く淀んでいる。踏みしめる足元からは、古の神々の嘆きにも似た響きが伝わってくるかのようだった。しかし、おみつの内から放たれる清らかな気は、周囲の穢れを押し返し、一行を護るように輝いていた。
薄闇の中、一つの影が姿を現した。それは、人の形を保ちながらも、その身から放たれる霊力は、並の妖怪をはるかに凌駕している。顔には深い悲しみを湛え、その瞳には、かつての光を失った、虚ろな色が宿っていた。
「ここから先へは、一歩たりとも通さぬ」
その声は、乾いた風のように虚ろであったが、その奥には、鋼のような固い意志が感じられた。
玄庵が、静かにその影を見据えた。
「お主もまた、戒の歪んだ神意に囚われし者か」
「……我が名は虚(うつろ)。戒様こそが、この穢れに満ちた世界を浄化し、真の安寧をもたらす御方。貴様らの浅はかな干渉は、許されぬ」
虚は、その手から黒い茨を繰り出した。それは、祭祀場の木々の根元から生じたかのような生命力を持ち、見る間に成長し、玄庵たちへと襲いかかる。その茨は、ただの植物ではない。触れる者を穢し、その魂を蝕む、恐ろしい力を秘めていた。
竜胆が素早く結界を張るが、茨は執拗にその隙間を狙ってくる。古尾は身軽に茨をかわし、玉藻は鋭い爪で茨を切り裂いた。しかし、茨は尽きることなく現れ、彼らを追い詰めていく。
「虚、お主の瞳には、悲しみが宿っている。戒の理想に、何を求めたのだ」
おみつは、茨の攻撃を避けながら、虚に語りかけた。彼女の言葉は、虚の心の奥底へと、静かに響いていく。
虚の動きが一瞬、止まった。その表情に、微かな動揺が走る。
「貴様に……何が分かる……」
「あなたの心には、深い傷があるのでしょう? それを癒そうと、戒様の言葉に救いを求めたのですね」
おみつの声は、澄んだ鈴の音のように、祭祀場に響き渡る。虚は、ふいに攻撃の手を止め、顔を上げた。その瞳に、過去の光景が宿っているかのように、焦点が定まらない。
古尾が玄庵に囁いた。
「この虚という男、元は人間だったらしい。家族を疫病で失い、絶望の淵にあったところを、戒に拾われたとか……」
玄庵は、静かに頷いた。やはり、戒に与する者たちは、皆、心に深い傷を負い、救いを求めている者たちなのだ。
「苦しみを癒すことは、破壊では叶わぬ。真の安寧は、過去を乗り越え、未来へと歩むことでしか得られぬもの」
玄庵の言葉が、虚の心を揺さぶる。虚の顔が、苦痛に歪んだ。彼の脳裏には、疫病に倒れた愛する家族の姿が、鮮明に浮かび上がったのだろう。絶望の淵で、彼は戒の言葉に救いを求め、彼の掲げる「穢れなき新世界」に、失われた家族との再会という、歪んだ希望を見出してしまったのだ。
「嘘だ……! 戒様は……戒様だけが、私に救いを与えてくださる!」
虚は、自らを鼓舞するように叫び、再び茨を繰り出した。しかし、その力は、先ほどよりも弱まっている。おみつの言霊が、彼の心の奥底に眠る、純粋な魂に触れたのだ。
おみつは、一歩、また一歩と虚へと近づく。
「戒様は、あなたを利用しているだけ。あなたの悲しみにつけ込み、その絶望を、世界を破壊するための力に変えようとしているのです!」
おみつの言葉は、まるで真実の剣のように、虚の心を貫いた。虚の表情が、一瞬にして凍り付く。彼が信じていたものが、音を立てて崩れ去る音を聞いたかのようであった。
「いやだ……! 私は……私は……」
虚は、錯乱したように頭を抱えた。その身から放たれる穢れの茨も、力が乱れ、しな垂れていく。
「虚殿、あなたが本当に望むのは、破壊された世界ではないはずです。大切な人々との、穏やかな日々。それが、あなたの心の奥底にある、真の願いなのでしょう?」
おみつの言霊が、虚の心の凍てついた部分を溶かしていく。虚の目から、一筋の涙が流れ落ちた。それは、長きにわたり抑え込まれてきた、悲しみと絶望の涙であった。
「ああ……そうか……私は……私はただ……」
虚は、地面に膝をつき、嗚咽を漏らした。彼の身から放たれていた穢れた霊力は、急速に収束し、本来の清らかな気へと戻っていく。彼の瞳には、失われた光が、再び宿っていた。
玄庵は、静かに虚に歩み寄った。
「お主の悲しみは、理解できる。しかし、それを乗り越え、未来へと歩むことこそが、真の救済である」
虚は、玄庵の言葉に、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、もはや戒への盲目的な信仰はなく、ただ、深い疲労と、そして、かすかな希望の光が宿っていた。
「私は……どうすれば……」
「まずは、自らの心と向き合うことだ。そして、失われたものへの悲しみを、受け入れること。そうすれば、新たな道が拓かれるだろう」
玄庵の言葉に、虚は静かに頷いた。彼は、戒の呪縛から解放され、自らの意思を取り戻したのだ。
おみつは、安堵の息を漏らした。彼女の言霊の力は、歪められた存在の心に深く触れ、その根源にある悲しみを癒すことで、戒の支配から解放する。それは、破壊ではない、真の救済の道であった。
戒の側近の一人を打ち破り、一行は、再び祭祀場の奥へと進む。しかし、この先には、戒自身が待ち受けている。
そして、玄庵の内に眠る「真の依代」としての力もまた、その戦いの中で、徐々に覚醒の時を迎えようとしていた。
闇は一層深く、空気は重く淀んでいる。踏みしめる足元からは、古の神々の嘆きにも似た響きが伝わってくるかのようだった。しかし、おみつの内から放たれる清らかな気は、周囲の穢れを押し返し、一行を護るように輝いていた。
薄闇の中、一つの影が姿を現した。それは、人の形を保ちながらも、その身から放たれる霊力は、並の妖怪をはるかに凌駕している。顔には深い悲しみを湛え、その瞳には、かつての光を失った、虚ろな色が宿っていた。
「ここから先へは、一歩たりとも通さぬ」
その声は、乾いた風のように虚ろであったが、その奥には、鋼のような固い意志が感じられた。
玄庵が、静かにその影を見据えた。
「お主もまた、戒の歪んだ神意に囚われし者か」
「……我が名は虚(うつろ)。戒様こそが、この穢れに満ちた世界を浄化し、真の安寧をもたらす御方。貴様らの浅はかな干渉は、許されぬ」
虚は、その手から黒い茨を繰り出した。それは、祭祀場の木々の根元から生じたかのような生命力を持ち、見る間に成長し、玄庵たちへと襲いかかる。その茨は、ただの植物ではない。触れる者を穢し、その魂を蝕む、恐ろしい力を秘めていた。
竜胆が素早く結界を張るが、茨は執拗にその隙間を狙ってくる。古尾は身軽に茨をかわし、玉藻は鋭い爪で茨を切り裂いた。しかし、茨は尽きることなく現れ、彼らを追い詰めていく。
「虚、お主の瞳には、悲しみが宿っている。戒の理想に、何を求めたのだ」
おみつは、茨の攻撃を避けながら、虚に語りかけた。彼女の言葉は、虚の心の奥底へと、静かに響いていく。
虚の動きが一瞬、止まった。その表情に、微かな動揺が走る。
「貴様に……何が分かる……」
「あなたの心には、深い傷があるのでしょう? それを癒そうと、戒様の言葉に救いを求めたのですね」
おみつの声は、澄んだ鈴の音のように、祭祀場に響き渡る。虚は、ふいに攻撃の手を止め、顔を上げた。その瞳に、過去の光景が宿っているかのように、焦点が定まらない。
古尾が玄庵に囁いた。
「この虚という男、元は人間だったらしい。家族を疫病で失い、絶望の淵にあったところを、戒に拾われたとか……」
玄庵は、静かに頷いた。やはり、戒に与する者たちは、皆、心に深い傷を負い、救いを求めている者たちなのだ。
「苦しみを癒すことは、破壊では叶わぬ。真の安寧は、過去を乗り越え、未来へと歩むことでしか得られぬもの」
玄庵の言葉が、虚の心を揺さぶる。虚の顔が、苦痛に歪んだ。彼の脳裏には、疫病に倒れた愛する家族の姿が、鮮明に浮かび上がったのだろう。絶望の淵で、彼は戒の言葉に救いを求め、彼の掲げる「穢れなき新世界」に、失われた家族との再会という、歪んだ希望を見出してしまったのだ。
「嘘だ……! 戒様は……戒様だけが、私に救いを与えてくださる!」
虚は、自らを鼓舞するように叫び、再び茨を繰り出した。しかし、その力は、先ほどよりも弱まっている。おみつの言霊が、彼の心の奥底に眠る、純粋な魂に触れたのだ。
おみつは、一歩、また一歩と虚へと近づく。
「戒様は、あなたを利用しているだけ。あなたの悲しみにつけ込み、その絶望を、世界を破壊するための力に変えようとしているのです!」
おみつの言葉は、まるで真実の剣のように、虚の心を貫いた。虚の表情が、一瞬にして凍り付く。彼が信じていたものが、音を立てて崩れ去る音を聞いたかのようであった。
「いやだ……! 私は……私は……」
虚は、錯乱したように頭を抱えた。その身から放たれる穢れの茨も、力が乱れ、しな垂れていく。
「虚殿、あなたが本当に望むのは、破壊された世界ではないはずです。大切な人々との、穏やかな日々。それが、あなたの心の奥底にある、真の願いなのでしょう?」
おみつの言霊が、虚の心の凍てついた部分を溶かしていく。虚の目から、一筋の涙が流れ落ちた。それは、長きにわたり抑え込まれてきた、悲しみと絶望の涙であった。
「ああ……そうか……私は……私はただ……」
虚は、地面に膝をつき、嗚咽を漏らした。彼の身から放たれていた穢れた霊力は、急速に収束し、本来の清らかな気へと戻っていく。彼の瞳には、失われた光が、再び宿っていた。
玄庵は、静かに虚に歩み寄った。
「お主の悲しみは、理解できる。しかし、それを乗り越え、未来へと歩むことこそが、真の救済である」
虚は、玄庵の言葉に、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、もはや戒への盲目的な信仰はなく、ただ、深い疲労と、そして、かすかな希望の光が宿っていた。
「私は……どうすれば……」
「まずは、自らの心と向き合うことだ。そして、失われたものへの悲しみを、受け入れること。そうすれば、新たな道が拓かれるだろう」
玄庵の言葉に、虚は静かに頷いた。彼は、戒の呪縛から解放され、自らの意思を取り戻したのだ。
おみつは、安堵の息を漏らした。彼女の言霊の力は、歪められた存在の心に深く触れ、その根源にある悲しみを癒すことで、戒の支配から解放する。それは、破壊ではない、真の救済の道であった。
戒の側近の一人を打ち破り、一行は、再び祭祀場の奥へと進む。しかし、この先には、戒自身が待ち受けている。
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