『土の記憶〜左官 龍吉捕物控〜』

月影 朔

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第ニ章:壁に潜む過去

第五話:解体の手応え

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 朝もやが晴れる頃、堀田屋敷の蔵の前で、龍吉たちの改修作業が始まった。

 龍吉が連れてきたのは、信頼できる手伝いの職人が二人。彼らに指示を出す声も少なく、龍吉自身もすぐに作業に没頭した。

 まずは、火災で焼損した古い壁の解体からだ。槌や鑿(のみ)を使い、黒く煤けた土壁を剥がしていく。乾いた土埃が舞い上がり、壁が崩れる鈍い音が響く。

 手伝いの職人たちは黙々と作業を進めるが、龍吉はただ壊すのではない。剥がした土壁の破片を手に取り、その質感や色、混ざっている藁すさの量などを注意深く観察する。

「おい、龍吉さん。こんな古壁、さっさと剥がしちまえばいいだろう。何をそんなに見つめてるんだい?」

 一人の職人が声をかけた。龍吉は顔を上げず、破片を指先で砕きながら答えた。

「…壁には、記憶が宿る」

「記憶たぁ、また随分と詩的な言い方だねえ」

 職人は笑ったが、龍吉は真顔だった。壁は、ただの建材ではない。そこに使われた土は、何百年も前にこの地に降り積もり、人々の営みを見守ってきた。壁を練り上げた職人の手癖、塗り重ねられた年月の層、そして、壁の傍らで交わされたであろう人々の声。

 壁は、そのすべてを「土の記憶」として刻み込んでいる。左官は、その記憶を読み解き、新たな壁に受け継ぐのだ。

 龍吉は、特に火災で不自然な焼け方をした箇所や、検分で気になった微細な亀裂が入った部分を重点的に解体した。壁の厚みは、吾平や家老の言う通り、通常の蔵壁より厚く、何度も塗り重ねられた形跡があった。

 しかし、その塗り方には、どこか不自然なムラがある。特定の層だけが、他の層と比べて薄かったり、使われている土の種類が違ったりするのだ。

(…これは、一度剥がしてから、再び塗り直した痕か?)

 龍吉は、その不自然な層に鏝の先を当て、感触を確かめた。まるで、壁の中に何かを隠すために、一度壁を壊し、隠し物を入れた後に、急いで塗り直したかのようだった。

 竹小舞を外していくと、壁の裏側が露わになる。竹の組み方にも、地域の伝統や職人の癖が出る。龍吉は、竹小舞の組み方からも、この蔵が建てられた時代や、過去に改修を手掛けた職人たちのことを推測しようとした。しかし、ここにも不自然な点があった。

 特定の箇所だけ、竹小舞が新しく組み直されており、他の部分と明らかに違う組み方をしていたのだ。しかも、その組み方は、通常の壁を作るには不向きな、どこか脆弱なものに思えた。

「ここだ…」

 龍吉の指先が、特定の竹小舞を差した。それは、前回の検分で、壁に不自然な亀裂が入っていた箇所の裏側にあたる部分だった。竹小舞は雑に組まれ、その隙間には、新しい土が不十分に塗り込められているだけだった。

 これでは、壁の強度が著しく落ちる。防火性も期待できない。

(壁を弱くする細工…? なぜだ?)

 秘密を守るために「堅牢な壁」を求めているはずなのに、なぜ壁の一部を意図的に弱くするような細工が施されているのか。

 それは、内部の秘密を守るためではなく、外部から侵入するための「仕掛け」だったのではないか。そして、あの不審火は、この脆弱な部分を狙って起こされた可能性がある。

 作業中、吾平が何度か蔵の様子を見に来た。龍吉たちの作業を監視しているような視線。龍吉が特定の壁を注意深く解体しているのを見ると、吾平の顔色が変わるのが分かった。

「龍吉殿、作業は順調でございますか? くれぐれも、丁寧に、しかし迅速にお願いいたしますよ。将監様もお急ぎでございますゆえ」

 吾平はそう言いながら、龍吉の手元を覗き込もうとした。龍吉は無言で吾平の視線をかわし、作業に集中するふりをした。

 吾平の焦りこそが、この壁に何か重要なものが隠されていることの証拠だった。

 解体が進み、壁の構造がどんどん明らかになっていく。蔵の壁は、想像以上に複雑な構造をしていた。古い土壁、その上に塗り重ねられた層、補強のための木材。それらは、蔵が持つ長い歴史と、そこに暮らした人々の変遷を物語っているかのようだった。

 そして、その歴史の中に、あの不審火と、それを引き起こした「影」の痕跡が塗り込められている。

 龍吉は、壁の「土の記憶」に耳を澄ますかのように、静かに、しかし確実に解体を進めていく。

 そして、壁の最も古い層、最初にこの蔵に塗られたであろう土壁に触れた時、彼の指先に、これまでとは違う確かな「手応え」が伝わってきた。

 それは、土や竹とは異なる、硬く、冷たい感触だった。壁の内部に、何か異物が埋め込まれている。しかも、その異物は、蔵の構造や壁の塗り方から推測される、何か特別な意味を持つ場所、おそらく、あの不自然な亀裂や塗り替え跡が示唆していた場所に、正確に隠されていた。

 静かに、龍吉は鑿(のみ)を構え、その部分の土壁を剥がし始めた。壁の奥から、何が現れるのか。息を呑むような緊張感が、蔵の中に満ちていく。

 物語は、壁に隠された過去の秘密が、今、白日の下に晒されようとしている。
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