5 / 37
第ニ章:壁に潜む過去
第五話:解体の手応え
しおりを挟む
朝もやが晴れる頃、堀田屋敷の蔵の前で、龍吉たちの改修作業が始まった。
龍吉が連れてきたのは、信頼できる手伝いの職人が二人。彼らに指示を出す声も少なく、龍吉自身もすぐに作業に没頭した。
まずは、火災で焼損した古い壁の解体からだ。槌や鑿(のみ)を使い、黒く煤けた土壁を剥がしていく。乾いた土埃が舞い上がり、壁が崩れる鈍い音が響く。
手伝いの職人たちは黙々と作業を進めるが、龍吉はただ壊すのではない。剥がした土壁の破片を手に取り、その質感や色、混ざっている藁すさの量などを注意深く観察する。
「おい、龍吉さん。こんな古壁、さっさと剥がしちまえばいいだろう。何をそんなに見つめてるんだい?」
一人の職人が声をかけた。龍吉は顔を上げず、破片を指先で砕きながら答えた。
「…壁には、記憶が宿る」
「記憶たぁ、また随分と詩的な言い方だねえ」
職人は笑ったが、龍吉は真顔だった。壁は、ただの建材ではない。そこに使われた土は、何百年も前にこの地に降り積もり、人々の営みを見守ってきた。壁を練り上げた職人の手癖、塗り重ねられた年月の層、そして、壁の傍らで交わされたであろう人々の声。
壁は、そのすべてを「土の記憶」として刻み込んでいる。左官は、その記憶を読み解き、新たな壁に受け継ぐのだ。
龍吉は、特に火災で不自然な焼け方をした箇所や、検分で気になった微細な亀裂が入った部分を重点的に解体した。壁の厚みは、吾平や家老の言う通り、通常の蔵壁より厚く、何度も塗り重ねられた形跡があった。
しかし、その塗り方には、どこか不自然なムラがある。特定の層だけが、他の層と比べて薄かったり、使われている土の種類が違ったりするのだ。
(…これは、一度剥がしてから、再び塗り直した痕か?)
龍吉は、その不自然な層に鏝の先を当て、感触を確かめた。まるで、壁の中に何かを隠すために、一度壁を壊し、隠し物を入れた後に、急いで塗り直したかのようだった。
竹小舞を外していくと、壁の裏側が露わになる。竹の組み方にも、地域の伝統や職人の癖が出る。龍吉は、竹小舞の組み方からも、この蔵が建てられた時代や、過去に改修を手掛けた職人たちのことを推測しようとした。しかし、ここにも不自然な点があった。
特定の箇所だけ、竹小舞が新しく組み直されており、他の部分と明らかに違う組み方をしていたのだ。しかも、その組み方は、通常の壁を作るには不向きな、どこか脆弱なものに思えた。
「ここだ…」
龍吉の指先が、特定の竹小舞を差した。それは、前回の検分で、壁に不自然な亀裂が入っていた箇所の裏側にあたる部分だった。竹小舞は雑に組まれ、その隙間には、新しい土が不十分に塗り込められているだけだった。
これでは、壁の強度が著しく落ちる。防火性も期待できない。
(壁を弱くする細工…? なぜだ?)
秘密を守るために「堅牢な壁」を求めているはずなのに、なぜ壁の一部を意図的に弱くするような細工が施されているのか。
それは、内部の秘密を守るためではなく、外部から侵入するための「仕掛け」だったのではないか。そして、あの不審火は、この脆弱な部分を狙って起こされた可能性がある。
作業中、吾平が何度か蔵の様子を見に来た。龍吉たちの作業を監視しているような視線。龍吉が特定の壁を注意深く解体しているのを見ると、吾平の顔色が変わるのが分かった。
「龍吉殿、作業は順調でございますか? くれぐれも、丁寧に、しかし迅速にお願いいたしますよ。将監様もお急ぎでございますゆえ」
吾平はそう言いながら、龍吉の手元を覗き込もうとした。龍吉は無言で吾平の視線をかわし、作業に集中するふりをした。
吾平の焦りこそが、この壁に何か重要なものが隠されていることの証拠だった。
解体が進み、壁の構造がどんどん明らかになっていく。蔵の壁は、想像以上に複雑な構造をしていた。古い土壁、その上に塗り重ねられた層、補強のための木材。それらは、蔵が持つ長い歴史と、そこに暮らした人々の変遷を物語っているかのようだった。
そして、その歴史の中に、あの不審火と、それを引き起こした「影」の痕跡が塗り込められている。
龍吉は、壁の「土の記憶」に耳を澄ますかのように、静かに、しかし確実に解体を進めていく。
そして、壁の最も古い層、最初にこの蔵に塗られたであろう土壁に触れた時、彼の指先に、これまでとは違う確かな「手応え」が伝わってきた。
それは、土や竹とは異なる、硬く、冷たい感触だった。壁の内部に、何か異物が埋め込まれている。しかも、その異物は、蔵の構造や壁の塗り方から推測される、何か特別な意味を持つ場所、おそらく、あの不自然な亀裂や塗り替え跡が示唆していた場所に、正確に隠されていた。
静かに、龍吉は鑿(のみ)を構え、その部分の土壁を剥がし始めた。壁の奥から、何が現れるのか。息を呑むような緊張感が、蔵の中に満ちていく。
物語は、壁に隠された過去の秘密が、今、白日の下に晒されようとしている。
龍吉が連れてきたのは、信頼できる手伝いの職人が二人。彼らに指示を出す声も少なく、龍吉自身もすぐに作業に没頭した。
まずは、火災で焼損した古い壁の解体からだ。槌や鑿(のみ)を使い、黒く煤けた土壁を剥がしていく。乾いた土埃が舞い上がり、壁が崩れる鈍い音が響く。
手伝いの職人たちは黙々と作業を進めるが、龍吉はただ壊すのではない。剥がした土壁の破片を手に取り、その質感や色、混ざっている藁すさの量などを注意深く観察する。
「おい、龍吉さん。こんな古壁、さっさと剥がしちまえばいいだろう。何をそんなに見つめてるんだい?」
一人の職人が声をかけた。龍吉は顔を上げず、破片を指先で砕きながら答えた。
「…壁には、記憶が宿る」
「記憶たぁ、また随分と詩的な言い方だねえ」
職人は笑ったが、龍吉は真顔だった。壁は、ただの建材ではない。そこに使われた土は、何百年も前にこの地に降り積もり、人々の営みを見守ってきた。壁を練り上げた職人の手癖、塗り重ねられた年月の層、そして、壁の傍らで交わされたであろう人々の声。
壁は、そのすべてを「土の記憶」として刻み込んでいる。左官は、その記憶を読み解き、新たな壁に受け継ぐのだ。
龍吉は、特に火災で不自然な焼け方をした箇所や、検分で気になった微細な亀裂が入った部分を重点的に解体した。壁の厚みは、吾平や家老の言う通り、通常の蔵壁より厚く、何度も塗り重ねられた形跡があった。
しかし、その塗り方には、どこか不自然なムラがある。特定の層だけが、他の層と比べて薄かったり、使われている土の種類が違ったりするのだ。
(…これは、一度剥がしてから、再び塗り直した痕か?)
龍吉は、その不自然な層に鏝の先を当て、感触を確かめた。まるで、壁の中に何かを隠すために、一度壁を壊し、隠し物を入れた後に、急いで塗り直したかのようだった。
竹小舞を外していくと、壁の裏側が露わになる。竹の組み方にも、地域の伝統や職人の癖が出る。龍吉は、竹小舞の組み方からも、この蔵が建てられた時代や、過去に改修を手掛けた職人たちのことを推測しようとした。しかし、ここにも不自然な点があった。
特定の箇所だけ、竹小舞が新しく組み直されており、他の部分と明らかに違う組み方をしていたのだ。しかも、その組み方は、通常の壁を作るには不向きな、どこか脆弱なものに思えた。
「ここだ…」
龍吉の指先が、特定の竹小舞を差した。それは、前回の検分で、壁に不自然な亀裂が入っていた箇所の裏側にあたる部分だった。竹小舞は雑に組まれ、その隙間には、新しい土が不十分に塗り込められているだけだった。
これでは、壁の強度が著しく落ちる。防火性も期待できない。
(壁を弱くする細工…? なぜだ?)
秘密を守るために「堅牢な壁」を求めているはずなのに、なぜ壁の一部を意図的に弱くするような細工が施されているのか。
それは、内部の秘密を守るためではなく、外部から侵入するための「仕掛け」だったのではないか。そして、あの不審火は、この脆弱な部分を狙って起こされた可能性がある。
作業中、吾平が何度か蔵の様子を見に来た。龍吉たちの作業を監視しているような視線。龍吉が特定の壁を注意深く解体しているのを見ると、吾平の顔色が変わるのが分かった。
「龍吉殿、作業は順調でございますか? くれぐれも、丁寧に、しかし迅速にお願いいたしますよ。将監様もお急ぎでございますゆえ」
吾平はそう言いながら、龍吉の手元を覗き込もうとした。龍吉は無言で吾平の視線をかわし、作業に集中するふりをした。
吾平の焦りこそが、この壁に何か重要なものが隠されていることの証拠だった。
解体が進み、壁の構造がどんどん明らかになっていく。蔵の壁は、想像以上に複雑な構造をしていた。古い土壁、その上に塗り重ねられた層、補強のための木材。それらは、蔵が持つ長い歴史と、そこに暮らした人々の変遷を物語っているかのようだった。
そして、その歴史の中に、あの不審火と、それを引き起こした「影」の痕跡が塗り込められている。
龍吉は、壁の「土の記憶」に耳を澄ますかのように、静かに、しかし確実に解体を進めていく。
そして、壁の最も古い層、最初にこの蔵に塗られたであろう土壁に触れた時、彼の指先に、これまでとは違う確かな「手応え」が伝わってきた。
それは、土や竹とは異なる、硬く、冷たい感触だった。壁の内部に、何か異物が埋め込まれている。しかも、その異物は、蔵の構造や壁の塗り方から推測される、何か特別な意味を持つ場所、おそらく、あの不自然な亀裂や塗り替え跡が示唆していた場所に、正確に隠されていた。
静かに、龍吉は鑿(のみ)を構え、その部分の土壁を剥がし始めた。壁の奥から、何が現れるのか。息を呑むような緊張感が、蔵の中に満ちていく。
物語は、壁に隠された過去の秘密が、今、白日の下に晒されようとしている。
10
あなたにおすすめの小説
『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』
月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。
失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。
その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。
裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。
市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。
癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』
――新感覚時代ミステリー開幕!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる