『土の記憶〜左官 龍吉捕物控〜』

月影 朔

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第八章:新たな依頼、新たな闇

第三十二話:地下の攻防

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 紅屋の蔵の壁の奥に現れた通路。

 その先に将軍家を揺るがす秘密が隠されていると確信した龍吉は、吉右衛門への報告を後回しにすることを決めた。

 この通路の全貌を掴んでからでも遅くはない。職人としての使命感と、真実を解き明かすための覚悟が、龍吉を単独で通路の奥へと進ませた。

 提灯の揺れる光を頼りに、通路はさらに地下深くへと伸びていく。湿気を帯びた空気が肌を撫で、土の匂いが一層濃くなる。微かに水の流れる音が聞こえ、通路が地下水路へと繋がっていることを示唆していた。

 しばらく進むと、通路はいくつかの分岐点に差し掛かった。龍吉は立ち止まり、目を閉じて壁に触れる。壁の微かな音の反響、空気のわずかな流れ、そして自身の直感に従い、最も「不自然」に感じる道を選んだ。

 その時、通路の奥から、かすかな気配がした。複数の気配だ。龍吉の体が硬直する。

「影法師」の別の一団だ。彼らは龍吉の侵入を察知していたのか、それとも、この場所で何らかの任務を遂行していたのか。

「何者だ!」

 闇の中から、低い声が響く。龍吉は迷わず、手に持った叩き鏝と鑿(のみ)を構えた。狭い通路での攻防。敵の数は前回よりも多い。彼らは、この場所の構造を知り尽くしているだろう。

 刺客たちが、闇の中から一斉に襲いかかってきた。龍吉は、叩き鏝を振るい、狭い通路で敵の動きを封じる。壁際に身を寄せ、その凹凸を利用して攻撃をかわす。
足元に置いていた漆喰の入った桶を蹴り倒し、漆喰を撒き散らして目くらましにする。

「ぐっ!」

 漆喰が顔にかかった刺客が、たたらを踏む。その隙に、龍吉は鑿(のみ)を構え、壁の隙間を縫って反撃する。
しかし、刺客たちは前回よりもさらに手練れだった。彼らは通路の暗闇や狭さを巧みに利用し、龍吉を追い詰める。

「ほう、見事な壁だ。だが、お前ごとき左官に、この地の利を覆せるものか。」

 一人の刺客が、龍吉の背後に回り込もうとする。その声は、どこか冷笑を含んでいた。龍吉は、通路の壁の一部が、以前の蔵と同じような「欺瞞の壁」になっていることに気づく。
特定の場所を叩けば、壁が崩れる仕掛けだ。彼は、その壁を背にして、刺客の攻撃を誘い込んだ。

 刺客の刀が迫る。龍吉は紙一重でかわし、その勢いを借りて壁の一部を崩す。ドサリ!という音と共に壁土が崩れ落ち、刺客の足元を塞ぐ。

「ちっ!」

 刺客は舌打ちをした。しかし、その時、別の刺客が通路の奥から現れた。彼の手に握られた短い刀が、龍吉の脇腹を浅く切り裂く。

「くっ…!」

 龍吉は痛みで呻きながらも、その場に崩れることなく踏みとどまる。彼の脳裏に、火に包まれた幼い日の記憶が蘇る。あの時の無力感。だが、今は違う。彼は職人だ。壁を作る者だ。壁に囲まれたこの場所での戦いこそ、彼の真価が問われる。

 龍吉は、壁のわずかな窪みに隠しておいた小さな袋を取り出す。中には、壁塗りに使う特別な土が混ぜられている。それを通路の床に撒き散らす。その土は、湿気と混じり、足元を滑りやすくする。

 刺客たちが、その土を踏みしめた瞬間、バランスを崩した。龍吉は、その隙を見逃さなかった。
彼は再び叩き鏝を振るい、通路の壁際に追い詰めた刺客の一人を、壁へと強く押し付ける。壁の奥からは、微かに空洞の響きが返ってくる。

 龍吉は、深手を負いながらも、職人の意地で立ち向かい、刺客の一団を一時的に退けることに成功した。彼らは、龍吉が仕掛けた罠と、予想以上の反撃に戸惑い、奥へと姿を消した。

 龍吉は息を切らしながら、壁に背を預けた。脇腹の傷がじんじんと痛む。だが、通路の奥に残された痕跡から、この通路がさらに地下深く、将軍家や幕府の更なる重要拠点へと繋がっていることを確信する。

 この地下の通路こそ、「影法師」の真の拠点へと続く道なのかもしれない。

 龍吉は、深まる闇の中、提灯の光を頼りに、その先の真実を見据えていた。
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