みんな善いことだと思ってた

月影 朔

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【エピローグ:壁の内側から(西暦2025年のあなたへ)】

第42話:最後のメッセージ

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(これは、資料ではない。これまで客観的な記録の提示に徹してきた、西暦2031年の編纂者である私から、あなた個人に向けた、最後の、そして唯一の、直接的なメッセージである)

全ての記録を、送り終えた。

資料No.001から、No.040まで。
これが、我々の国が「日本」と呼ばれていた時代に、その最期の数年間で辿った、絶望の全ての軌跡だ。

フリージャーナリスト・工藤が追いかけた、北関東の小さな町での、名もなき怪異の予兆。
自衛官・鈴木が目撃した、南海トラフの被災地で、土の中から蠢き始めた、生命への冒涜。
研究員・小林がたどり着いた、あまりにも無慈悲で、完璧な、悪夢の感染サイクル。
そして、アマチュア無線技士・三上が、その耳で聞き届けた、死にゆく島国の、無数の断末魔。

彼らは皆、それぞれの場所で、真実のかけらに手を伸ばした。だが、その声が、一つに繋がることはなかった。あまりにも巨大な災害が、あまりにもっともらしい専門家の解説が、そして何よりも、我々自身が抱いていた、疑うことなき「善意」が、彼らの声を、意味のないノイズとして、社会の喧騒の中に、かき消してしまったからだ。

ここまで、この長大で、陰鬱な記録を、最後まで読んでくれた、西暦2025年9月を生きるあなたに、最後の問いを投げかけたい。

どうか、今すぐ、画面から顔を上げて、あなたの周りを見回してほしい。
テレビをつけて、あるいは、スマートフォンのニュースアプリを開いて、調べてほしい。

あなたの住む国で、今、こんなニュースは報じられていないだろうか。

『過去に例を見ないレベルで、熊が人里を襲っている』という事件はないか?
専門家が、「異常気象による餌不足が原因だろう」と、もっともらしい解説を添えている、あのニュースだ。
人間への警戒心を失った、異常な行動をとる個体がいると、誰かが警鐘を鳴らしてはいないか。

そして、社会面の、本当に小さな、誰も気に留めないような記事で、こういった問題が報じられてはいないだろうか。

『外国人居住者たちの間で、違法な土葬が問題になっている』という、小さな記事はないか?

それらは、今のあなたにとっては、全く無関係な、別々の社会問題に見えるかもしれない。
片や、人と獣の境界線が曖昧になったことから生じる、環境問題。
片や、多文化共生社会の歪みから生じる、デリケートな人権問題。

我々の時代でも、そうだった。誰も、その二つを、結びつけて考えようとはしなかった。
いや、できなかった。

我々は、あまりにも「善良」で、「理性的」で、そして「人道的」だったからだ。

『動物愛護』
山に餌がなくて、お腹を空かせた熊が、ただ生きるために人里へ下りてきている。私たち人間が、彼らの住処を奪った結果だ。安易に「駆除」すべきではない。

『文化の尊重』
彼らには、彼らの文化がある。死者を火で焼くことに、強い抵抗を感じる宗教観がある。我々の価値観を、一方的に押し付けてはならない。

『人道的配慮』
未曾有の大災害だ。火葬場の能力が限界を超えている以上、公衆衛生を守るために、一時的にでも、ご遺体を土に還すのは、やむを得ない措置だ。死者の尊厳を守るためにも。

それらはすべて、誰もが、心の底から「善いことだ」と信じていた。

だが、それが、すべての始まりだ。

我々、分厚いコンクリートの壁の内側で、かろうじて生き永らえている『旧日本人』にとっては、それはもう、決して変えることのできない、血塗られた過去の記録だ。我々は、過ちを犯した。そして、その代償として、故郷の9割以上を失った。

だが、あなたにとっては違う。
あなたにとっては、今まさに、目の前で、リアルタイムで起きている、現実のはずだ。

どうか、気づいてくれ。
我々が「ノイズ」として無視した、その小さな点と点が、水面下で結びつき始めた時、その悪夢のサイクルは、もう誰にも止められなくなる。

この記録を送ることで、あなたのいる世界線が、我々とは違う未来を辿ることを、心の底から願っている。
この警告が、ただの陰鬱なフィクションとしてではなく、あなた自身の問題として、その胸に届くことを。

我々には、もう何もできない。
だが、あなたには、まだ。

どうか、手遅れになる前に――
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みんなの感想(1件)

角
2025.10.19

のめり込んで読ませていただきました。興味深く面白かったです。
また面白い作品楽しみにしております!
最近熊が多く町中に出てきて人に危害を追わせてしまう事件など昔ではあまり考えられない出来事が増えてきましたね。
見て見ぬふりをするよりも、気をつけて生活していきたいですね。

解除

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