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第2章:託されし願い
第19話:読み解かれた痕跡
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「あの人」の家の一室には、夜が更けるのも忘れ、二人の男が古い和紙の切れ端を前に唸っていた。
錆びた箱から現れたのは、お梅の夫が遺した、越後屋の違法な取引を示すと思しき記録の断片だった。
「あの人」は商売で使われる符丁や隠語に明るかった。照明用の油皿の灯りを頼りに、彼は一つ一つの文字や記号を丁寧に追っていく。宗次は傍らで、その作業を見守った。宗次には理解できない符号や数字の羅列だが、それが尋常ならざる重みを持っていることは肌で感じていた。
「この『波の魚』という符丁は、恐らく異国から持ち込まれた品のことだろう。海岸近くの隠し場所を示していることが多い」
「あの人」が指差す先には、波のような記号と魚の絵、そして特定の数字が並んでいる。
「この金額……法外だ。正規の取引ではありえない。そして、この『影』という記号は、関わった人物か、あるいは別の場所を示しているのかもしれぬ」
「あの人」は、商人としての知識と勘を総動員し、断片的な記録を繋ぎ合わせていく。それはまるで、バラバラになった絵の具の破片から、元の絵を想像するような作業だった。宗次は、「あの人」の解説を聞きながら、お梅の夫がどれほど危険な秘密を握ってしまったのかを実感した。彼は、越後屋の金儲けの根幹に関わる、知ってはならない事実を知ってしまったのだ。
記録の中には、特定の地名や建物らしきものを指し示す符丁も含まれていた。そして、宗次がお梅から託された、あの迷子札と共にあった木片と同じ形の記号が、いくつかの記述の傍に見つかった。
「この木片の形は……特定の場所を示す鍵だったのかもしれぬ。あるいは、これらの記録が隠された場所への目印か……」
「あの人」が木片を見つめながら呟いた。
記録を読み進めるうちに、越後屋が行っていたのは、単なる抜け荷だけではないことが分かってきた。それは、幕府の禁制品に指定されているような、危険な品物(例えば、武器の類いや、当時貴重だった情報など)の密輸、あるいは不正な金融取引にも関わっていることを強く示唆していた。
「越後屋は、表向きの顔とは裏腹に、幕府をも欺くような大掛かりな悪事を働いていた……」
「あの人」の声には、驚愕と同時に、怒りが滲んでいた。お梅の夫は、このような巨悪の片棒を担がされそうになったか、あるいはその片鱗に触れてしまったために消されたのだ。
さらに読み進めると、記録の中のいくつかの記述が、特定の期日と場所を示唆していることに気づいた。「あの人」は、それが越後屋が次に違法な取引を行う日時と場所を示しているのではないかと推測した。
「もし、これが越後屋の次の取引の記録だとしたら……」
「あの人」は顔を上げた。その目には、危険な光が宿っていた。
「これを押さえれば、奴らの悪事を白日の下に晒すことができるかもしれぬ。お梅の夫の無念を晴らし、お梅の願いを叶える、最大の好機となる」
しかし、それは同時に、計り知れない危険を伴う。越後屋は、宗次の動きを既に警戒している。彼らの取引現場に踏み込めば、前回のような生ぬるい襲撃では済まないだろう。命を落とす可能性が極めて高い。
宗次もまた、記録を見つめていた。この紙切れ一枚が、お梅の夫を死に追いやった元凶であり、お梅を苦しめ、そして赤子を迷子にした原因なのだ。これを押さえなければ、越後屋の悪事は止まらず、赤子の安全も永遠に保証されない。
「あの人」は宗次の顔を見た。
「しかし、これは危険すぎる。あなた一人で行かせるわけにはいかぬ」
「あの人」は、自分も共に現場へ向かうと言った。しかし、宗次は首を横に振った。
「あなたは、これを読み解くことができる唯一の人物です。万が一のことがあれば、全てが無駄になってしまう。それに、あなたは越後屋に顔を知られているかもしれません」
宗次は、自分こそがこの任務に適任だと感じていた。武士としての戦闘経験、そして浪人として身軽に動ける立場。そして何より、お梅の願いを見届けるという強い決意がある。
「あの人」は宗次の決意に触れ、逡巡した。しかし、宗次の目は揺るぎない。
「分かりました……ですが、無茶はしないでくれ。あなたの命あってこそだ」
「あの人」は、読み解いた情報から、取引が行われる可能性のある場所と日時を宗次に伝えた。街の裏手にある、今は使われていない古い蔵か、あるいは川沿いの船着き場らしき場所を示唆していた。
「取引が行われるとすれば、恐らく数日後の夜だろう。用心深く、確実に証拠を押さえるのだ」
宗次は頷き、記録の断片を再び油紙に包み、慎重に懐に収めた。「あの人」は、小判の入った巾着袋を宗次に手渡そうとしたが、宗次は受け取らなかった。
「これは、お梅殿の夫が遺したものです。あの子のために置いておいてください」
夜が明け始め、鳥の声が聞こえ始める。宗次は「あの人」に礼を言い、家を出た。手にした記録は、冷たい鉛のように重く感じられた。赤子の安全のために、そしてお梅の願いのために。宗次は、越後屋の闇の取引現場へと向かうことを決意した。
「あの人」は戸口で宗次の背中を見送った。遠ざかる宗次の後ろ姿に、かつて自分が守れなかったお梅の面影が重なるようだった。託された願いは、今、宗次という一人の浪人の手に委ねられた。
街はまだ眠っている。しかし、その片隅で、一つの秘密の記録が、巨大な悪と、そして小さな命の運命を巡る、新たな、そして最も危険な戦いの火蓋を切ろうとしていた。宗次の足音だけが、静かな夜明け前の道を響いていた。
錆びた箱から現れたのは、お梅の夫が遺した、越後屋の違法な取引を示すと思しき記録の断片だった。
「あの人」は商売で使われる符丁や隠語に明るかった。照明用の油皿の灯りを頼りに、彼は一つ一つの文字や記号を丁寧に追っていく。宗次は傍らで、その作業を見守った。宗次には理解できない符号や数字の羅列だが、それが尋常ならざる重みを持っていることは肌で感じていた。
「この『波の魚』という符丁は、恐らく異国から持ち込まれた品のことだろう。海岸近くの隠し場所を示していることが多い」
「あの人」が指差す先には、波のような記号と魚の絵、そして特定の数字が並んでいる。
「この金額……法外だ。正規の取引ではありえない。そして、この『影』という記号は、関わった人物か、あるいは別の場所を示しているのかもしれぬ」
「あの人」は、商人としての知識と勘を総動員し、断片的な記録を繋ぎ合わせていく。それはまるで、バラバラになった絵の具の破片から、元の絵を想像するような作業だった。宗次は、「あの人」の解説を聞きながら、お梅の夫がどれほど危険な秘密を握ってしまったのかを実感した。彼は、越後屋の金儲けの根幹に関わる、知ってはならない事実を知ってしまったのだ。
記録の中には、特定の地名や建物らしきものを指し示す符丁も含まれていた。そして、宗次がお梅から託された、あの迷子札と共にあった木片と同じ形の記号が、いくつかの記述の傍に見つかった。
「この木片の形は……特定の場所を示す鍵だったのかもしれぬ。あるいは、これらの記録が隠された場所への目印か……」
「あの人」が木片を見つめながら呟いた。
記録を読み進めるうちに、越後屋が行っていたのは、単なる抜け荷だけではないことが分かってきた。それは、幕府の禁制品に指定されているような、危険な品物(例えば、武器の類いや、当時貴重だった情報など)の密輸、あるいは不正な金融取引にも関わっていることを強く示唆していた。
「越後屋は、表向きの顔とは裏腹に、幕府をも欺くような大掛かりな悪事を働いていた……」
「あの人」の声には、驚愕と同時に、怒りが滲んでいた。お梅の夫は、このような巨悪の片棒を担がされそうになったか、あるいはその片鱗に触れてしまったために消されたのだ。
さらに読み進めると、記録の中のいくつかの記述が、特定の期日と場所を示唆していることに気づいた。「あの人」は、それが越後屋が次に違法な取引を行う日時と場所を示しているのではないかと推測した。
「もし、これが越後屋の次の取引の記録だとしたら……」
「あの人」は顔を上げた。その目には、危険な光が宿っていた。
「これを押さえれば、奴らの悪事を白日の下に晒すことができるかもしれぬ。お梅の夫の無念を晴らし、お梅の願いを叶える、最大の好機となる」
しかし、それは同時に、計り知れない危険を伴う。越後屋は、宗次の動きを既に警戒している。彼らの取引現場に踏み込めば、前回のような生ぬるい襲撃では済まないだろう。命を落とす可能性が極めて高い。
宗次もまた、記録を見つめていた。この紙切れ一枚が、お梅の夫を死に追いやった元凶であり、お梅を苦しめ、そして赤子を迷子にした原因なのだ。これを押さえなければ、越後屋の悪事は止まらず、赤子の安全も永遠に保証されない。
「あの人」は宗次の顔を見た。
「しかし、これは危険すぎる。あなた一人で行かせるわけにはいかぬ」
「あの人」は、自分も共に現場へ向かうと言った。しかし、宗次は首を横に振った。
「あなたは、これを読み解くことができる唯一の人物です。万が一のことがあれば、全てが無駄になってしまう。それに、あなたは越後屋に顔を知られているかもしれません」
宗次は、自分こそがこの任務に適任だと感じていた。武士としての戦闘経験、そして浪人として身軽に動ける立場。そして何より、お梅の願いを見届けるという強い決意がある。
「あの人」は宗次の決意に触れ、逡巡した。しかし、宗次の目は揺るぎない。
「分かりました……ですが、無茶はしないでくれ。あなたの命あってこそだ」
「あの人」は、読み解いた情報から、取引が行われる可能性のある場所と日時を宗次に伝えた。街の裏手にある、今は使われていない古い蔵か、あるいは川沿いの船着き場らしき場所を示唆していた。
「取引が行われるとすれば、恐らく数日後の夜だろう。用心深く、確実に証拠を押さえるのだ」
宗次は頷き、記録の断片を再び油紙に包み、慎重に懐に収めた。「あの人」は、小判の入った巾着袋を宗次に手渡そうとしたが、宗次は受け取らなかった。
「これは、お梅殿の夫が遺したものです。あの子のために置いておいてください」
夜が明け始め、鳥の声が聞こえ始める。宗次は「あの人」に礼を言い、家を出た。手にした記録は、冷たい鉛のように重く感じられた。赤子の安全のために、そしてお梅の願いのために。宗次は、越後屋の闇の取引現場へと向かうことを決意した。
「あの人」は戸口で宗次の背中を見送った。遠ざかる宗次の後ろ姿に、かつて自分が守れなかったお梅の面影が重なるようだった。託された願いは、今、宗次という一人の浪人の手に委ねられた。
街はまだ眠っている。しかし、その片隅で、一つの秘密の記録が、巨大な悪と、そして小さな命の運命を巡る、新たな、そして最も危険な戦いの火蓋を切ろうとしていた。宗次の足音だけが、静かな夜明け前の道を響いていた。
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