【完結】『迷子札の子守唄 ~見届けられた命たち~』

月影 朔

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第3章:見届けられる未来

第29話:闇の主

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 重厚な扉を押し開き、宗次は越後屋本店の地下深くに隠された部屋へと足を踏み入れた。

 内部は油皿の僅かな光で照らされており、湿気を含んだ重い空気が宗次の頬を撫でた。部屋はそれほど広くはないが、壁際には鉄で補強された木箱がいくつも積み上げられている。中央には、古びた机と椅子、そしてその上に分厚い帳簿が置かれているのが見えた。

 これこそが、越後屋が血眼になって隠し、お梅の夫が命懸けで守ろうとした「何か」が収められている場所だ。積み上げられた木箱の中には、記録が示唆していた違法な品物や、不正な財産が入っているのだろう。そして、机の上の帳簿…これこそが、越後屋の悪事の全てを記録した、動かぬ証拠に違いない。

 宗次が部屋の奥へと視線を移した、その時だった。

 部屋の隅の影から、一人の人物がゆっくりと姿を現した。油皿の淡い光がその顔を照らし出す。見慣れた顔だった。

「…越後屋の、若旦那…」
 宗次の声が、静寂に沈んだ部屋に響いた。なぜ、若旦那がここにいる? 取引現場だけでなく、この越後屋の最も重要な秘密の場所にも、彼が直接関わっているのか。

 若旦那は宗次を見て、驚きよりも、冷たい計算を含んだ目をしていた。まるで、いつか誰かがここに辿り着くことを予期していたかのようだ。

「ほう…まさか、お前のような者がここまで来るとはな」
 若旦那の声は静かだが、その響きには侮蔑と、そして底知れぬ冷酷さが含まれていた。

 宗次は問うた。
「あなた方が、お梅殿を…そして、その夫を手にかけたのか」

 若旦那は宗次の言葉に、僅かに口の端を上げた。
「お梅? ああ、あの問屋の女か。ずいぶんとしぶとい女だったが…勝手に落ちていっただけだ。我々が直接手を下したわけではない。追い込んだだけだ」

 冷たい言葉だ。お梅の苦しみや悲劇を、一切の感情なく言い放つ。
「夫は、我々の邪魔になった。我々の商いに不要なものを知ってしまったからな。消えてもらうしかなかった」

「あなた方の『商い』とは、このような…幕府の禁を破る違法な取引のことか」
 宗次は机の上の帳簿に視線を向けた。

 若旦那は宗次の視線を追った。
「その帳簿は、我々の血と汗、そして知恵の結晶だ。江戸中の大名や高家が、我々から品物を買い求めている。この江戸は、清廉潔白な者だけでは回らぬのだよ。我々のような存在が、澱みを引き受け、富を動かしている」

 傲慢な言葉だ。自分の悪事を、あたかも世のため人のためであるかのように語る。

「お前のような浪人が、このような場所に立ち入って良いと思うな。見ただろう? 我々の商いを。分かっただろう? 我々の力がどれほどのものか。賢く立ち去るならば、命だけは助けてやっても良いぞ。金もくれてやる。お前が必要としているだろう、浪人風情が」

 金で宗次を買おうとする。越後屋がこれまで全てを金と力で解決してきたことが伺える。

 宗次は若旦那の言葉に耳を貸さなかった。懐にある、お梅から託された迷子札の重みを感じていた。お梅の苦しみ、我が子への最後の願い。全てはこの越後屋の所為なのだ。

「私は、お梅殿から願いを託された見届け人だ。あなた方の悪事によって、全てを奪われた女の、最後の希望を見届ける者だ」

 宗次は静かだが、確固たる声で言った。
「あなた方が隠している秘密を白日の下に晒し、二度と、お梅殿のような悲劇が生まれないようにする」

 若旦那の顔から笑みが消えた。その目に、宗次への侮蔑が憎悪へと変わるのが見て取れた。

「見届け人? 下らん! そんな義侠心で、この越後屋に立ち向かうつもりか? 分からぬようだな…我々が、邪魔者をどう始末してきたか」

 若旦那はゆっくりと宗次に近づいた。その手には、いつの間にか細身の刀が握られている。

「お梅の夫も、お前のような愚か者だった。余計な秘密を知り、正義を気取った。だから消えてもらったのだ。そして、あの女とお前、そしてあの赤子も…我々の秘密を知った者は、生かしておけぬ」

 殺意が、部屋の中に満ちる。越後屋の真の姿。冷酷で、邪魔者は容赦なく排除する闇の顔。

「貴様だけではない。お前に関わった『あの人』とやらも、そしてあの赤子も、全て始末してやる!」
 若旦那の声が、怒りに震えた。

 宗次の目が鋭くなった。赤子にまで明確な殺意を向けられた。もはや言葉は不要だ。

「…来い」

 宗次は静かに腰の刀を抜いた。夜闇に、刀身が鈍く光る。部屋の中央で、宗次と越後屋の若旦那が対峙した。積み上げられた木箱、机の上の帳簿が、二人の間の緊張を見守っている。

 お梅の願い、赤子の未来、そして宗次自身の再生。全てを賭けた最後の戦いが、今、この地下深くの隠し部屋で始まろうとしていた。闇の主との最終対決──。
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