【完結】『迷子札の子守唄 ~見届けられた命たち~』

月影 朔

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第3章:見届けられる未来

第34話:追撃の幕開け

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 夜が完全に明け、朝の光が江戸の街を包み込む。宗次は「あの人」の家を後にし、ひそかに市中を離れるための道を選んで進んでいた。

 体は疲れ果てていたが、足取りは軽く、その胸には決意の炎が燃え盛っていた。
越後屋の若旦那を討ち、その悪事の証拠である帳簿を「あの人」に託した。
残るは、自分が追撃の囮となり、帳簿が安全に届けられる時間を稼ぐことだ。

 しかし、越後屋の反応は想像以上に早かった。宗次が市中を抜け出そうとしていた矢先、遠くから銅鑼の音が響き渡り、人々のざわめきが大きくなるのが聞こえた。

「曲者だ! 越後屋に盗賊が入り込んだ! 人相書きが出回っているぞ!」

 人々の声が、宗次を追う捜索が始まったことを告げていた。越後屋は、若旦那の死と帳簿の紛失にすぐに気づき、街全体に手を回したのだ。宗次が若旦那を斬り、越後屋の最も重要な秘密が奪われたとなれば、彼らが取る行動はこれまでの比ではない。

 宗次は、目立たぬよう人混みに紛れようとしたが、次々と掲げられる人相書きには、昨日まで追撃者たちが宗次を追い回したことで得た、彼の正確な特徴が記されていた。もはや、隠れてやり過ごすことは不可能だ。

「あれだ! 人相書きの男だ!」

 通行人の一人が宗次を指差し、叫んだ。宗次の姿に気づいた越後屋の手の者たちが、一斉に彼に飛びかかってくる。もはや逃れる術はない。宗次は観念し、腰の刀に手をかけた。

 市中の真ん中で、宗次と越後屋の手の者たちとの新たな戦いが始まった。彼らは、昨夜地下で宗次を追った精鋭たちとは異なり、数で押し潰そうとする雑兵が中心だった。だが、その数は圧倒的で、宗次の行く手を完全に塞ぐ。

「帳簿は渡さん!」

 宗次は叫び、刀を振るう。一つ、また一つと敵を打ち払い、道を開けようとする。しかし、切り倒しても、切り倒しても、次から次へと新たな手が宗次に襲いかかってくる。まるで無限に湧き出すかのように、越後屋の手の者たちが宗次を取り囲む。

 その時、宗次は遠くから、騎馬隊の蹄の音が近づいてくるのを聞いた。越後屋が、より強力な力を投入してきたのだ。このままでは、袋の鼠だ。

(このままでは、『あの人』に迷惑がかかる!)

 宗次は自分が捕らえられれば、「あの人」の元にまで追っ手が及ぶことを悟った。何としても、越後屋の注意を自分一人に集中させなければならない。

 宗次は、市中の賑やかな大通りを目指して走った。人々の目がある場所、騒ぎが大きくなればなるほど、越後屋は宗次を捕らえることに必死になり、「あの人」の動きへの警戒が緩むだろう。

「追え! 絶対に逃がすな!」

 越後屋の番頭らしき男が怒鳴り、宗次を追う手勢が増していく。大通りに躍り出た宗次を、行き交う人々が驚きの目で見つめる。混乱が広がり、朝の活気が騒然としたものに変わっていく。

 宗次は、もう逃げることだけを考えていなかった。この追撃の渦中で、越後屋の捜索の目を自分に釘付けにすること。それが、帳簿を届ける「あの人」への、宗次が果たせる最後の役目だった。

 彼は、市中の屋根へと飛び移った。瓦を蹴り、軒先を走り、街の風景が目まぐるしく変わる。下からは、怒号と、宗次を追う人々の声が響き渡る。越後屋の騎馬隊が、地上で宗次の動きを追う。

 宗次の体は限界を超えていた。しかし、彼の心は研ぎ澄まされ、一点の曇りもなかった。お梅の願い、赤子の未来、そして「あの人」の信頼。全てが、彼を突き動かす原動力となっていた。

 宗次は、この追撃戦が、自分が「迷子札の子守唄」を奏でる最後の音となることを知っていた。その音は、確かに越後屋の闇を暴き、新しい未来へと繋がるはずだ。
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