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新幹線の乗り換え~帰宅
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ロッカーから荷物を取り出した。いつの間にか付いた手の甲の傷は、ロッカーの出し入れで付いたものと思われる。それに、次の日に両腕が筋肉痛になったのも、ロッカーの出し入れが原因だと思われる。夫に非力だと言われたが、スーツケースが重いのだ。扉は押さえていないと閉まってしまうし。
そういえば、感染症禍に始めた一人旅も、その後は夫婦旅になってしまい、何でも夫に頼れて楽だが、面白くない感じがしていた。が、ボランティア旅はおのずと一人旅になった。また一人旅が出来て良かったなあ。
さて、重たいスーツケースとリュック、ポシェットを持ち、エレベーターでホームへ降りた。駅の売店で食べ物を買おうかと思っていたが、時間もないし売店も見かけなかった。
彦根から米原までは5分。そう、「米原」は「まいばら」と読む。万博のボランティアの休憩中に、帰りは彦根に寄って「よねはら」から新幹線に乗ると言ったら「まいばらね」と関西の人たちに訂正されたのだった。知らなかった。「まいばら」と読むなんて。
米原駅で新幹線に乗りかえる。新幹線に乗る人は、スーツケースなどを引いている事が多いと思うのだが、この乗り換えには数段の階段がある。この段差をどうにかできないものかね。
米原からは「こだま」に乗った。自由席は1~4号車。4号車に乗ると、それなりに人はいたが、2列目の2人席が空いていたので、そこに座った。名古屋までこれに乗って行く。
お腹が空いた。飴を舐めてごまかした。後々、リュックにドリンクゼリーが入っていたのだからそれを飲めば良かったと後悔したが、この時はすっかり存在を忘れていた。名古屋で何か買えないかなと思っていたが、全く甘かった。
夕暮れ時である。雨には降られなかったが、彦根では降ったのだろうか。あの人力車のお姉さんは土砂降り雨に当たらなかっただろうか。
30分ほど「こだま」に乗って名古屋に着いた。着く前に調べたところ、乗り換え時間は4分。すぐ前の線路だから、乗り換え自体は充分可能だが、売店で何か買う余裕はなさそうだ。残念。
しかし、目の前の線路に4分は余裕だと思っていた私は、やはり甘かった。名古屋駅のホームは狭い。狭いのに人がいっぱいいる。既に「のぞみ」に乗ろうという行列ができていて、そこへ荷物を抱えて降り立ったのだ。
まず、自由席がどっち側なのかが問題だ。電光掲示板を見たら自由席は1,2号車だという。少ないな。だいぶ端っこに行かなければならない。だが、どっちが1号車だ?
人がたくさんいる中で、多分喫煙が出来るのは8号車だか9号車だかという表示が見えて、それで目の前が7号車だと分かった。人垣の隙間に目を凝らし、右側が6号車だと思った私は、もっと右の方へ行くべし、と思ってずんずん歩いて行った。
ところが、ちょっと行ってからそこが9号車だと分かった。反対じゃないか!またもや何をやっているのだか。踵を返して逆へと歩いて行くが、人が多くて急げない。荷物も多いし。そうこうしているうちに、ホームに新幹線が入って来てしまった。
ぜんぜん自由席の車両には辿り着けない。だが、だからと言って乗らずにいたら発車してしまう。仕方なく、5号車に乗り込んだ。5号車はもちろん指定席車両である。
どんどん車両を通り抜けて2号車へ行くつもりだった。ところが、5号車の通路で詰まった。3~4人が立ち止まっていた。先頭の人を見ると、座っている人と切符を見せ合いながら何か話している。まあ、僕の席そこなんですけど、え、じゃあ私の席はどこ?みたいな事を言っているのだろう。
スーツケースが通路にあって進めないのかと思った。少し待ったが全然進まない。そのうち新幹線は発車した。まだ静かに揉めているようだ。で、更に首を伸ばして見ると、揉めている人はスーツケースなどを持っていなかった。後ろの人、追い抜けばいいじゃないか。
少しイライラしてきたところで、後ろの人は揉めている人を追い越した。やっと列が動き出した。そして、私はどんどん歩いて行った。多少揺れる中、スーツケースをゴロゴロやって、4号車、3号車と通り抜け、2号車へ。一応入ってから振り返ると、自由席と書いてあった。
しかし案の定、ほとんど席は埋まっている。たまに3人席の真ん中が空いているだけだ。1号車へも行ってみよう。
1号車も、ほぼ同じ状況だった。とうとう一番後ろまで行った。だが、その一番後ろの座席の後ろに、いくつもスーツケースが置いてあるのが見えた。そうか、私がこの状態で真ん中の席に入るのは辛いが、スーツケースをここに置いておけば、入れそうだ。
ちょうど、私のスーツケースが1つ収まるくらいのスペースが空(あ)いていた。残念ながら横に倒して置くほどのスペースはなかった。いくら一番後ろでも、出入口への通路を塞ぐわけにはいかない。立てておくしかない。
立てておくという事は、車輪で立たせているという事。ストッパーがないので、揺れて転がる可能性もある。ただ、前後に揺れても大丈夫なスペースだった。新幹線は左右に大きく揺れる事はないし、大丈夫だろう。ちょっとだけ心配だが、そこに置いておき、3列くらい離れた3人席の真ん中に入った。入れてもらったと言った方がいいか。通路側の人に一度立ってもらい、そこに入ってリュックを足元に置き、リュックの中から日記帳と筆箱を取り出した。
両脇の席は男性。この辺は圧倒的に男性が多い。窓際の人は眠っていた。通路側の人が眠っていたら入れなかったな。
日記を1時間以上書き続けた。帰りはこれがあるから暇を持て余す事がない。両脇がどんな人であっても関係ない。
行きにはなかったのだが、帰りには車掌さんの切符改めが来た。特急券を拝見しますと言う。スマートEXで買った場合、切符はない。私は何となく、予約画面を見せればいいのかなと思って、スマホでその画面を出していた。
車掌さんが近づいてきた時、隣の通路側の男性が、紙切れを出した。それを見て、私もサッとそれと同じものを出した。お兄さんナイス。そうか、あれか。スマートEXで切符を買っていた場合、自分の交通系ICカードで改札を通ればいいのだが、その時に座席票が出てくるのだ。指定席の場合は座席番号がそれに書いてあるのだろうが、自由席の場合は関係ないなと思っていた。もちろん、ちゃんと持っていたが。
そうなのか、あれが特急券代わりになるのか。それを車掌さんに渡すと、ハンコウを押してくれた。
品川に着く時、やっぱり隣のお兄さんに一度立ってもらわないといけなかった。終点の東京まで行く人が多く、品川で降りる人はあまりいなかった。一番後ろのドアから品川で下りたのは私1人だった。
やれやれ、やっと東京に帰って来た。家にも無事に着いた。お腹が空いたと言ってもまだ8時過ぎだし、家に帰ってからワインを飲んで色々食べたから大丈夫。そう、私の体は大丈夫だったのだ。しかし、家族の1人(次男)がこの後体調を大きく崩す事になる。本当に、帰ったらしばらく再起不能になるかも~なんて言っていたのに、倒れている場合ではなかったのだ。
まあ、それはまた別の話。エッセイにする予定はないが、もし興味があればブログを読んでもらいたい(https://takan.site/)。このエッセイはここまで。おうちに帰るまでが遠足なので。万博ボランティアのお話の最後は帰宅だ。
だが、この「おうちに帰るまでが遠足です」という言葉、日本人なら誰でも知っているし、そう思わされている気がしないか?刷り込みってやつか。小学校の時、毎年毎年先生に言われ続けてきた言葉だから。最後まで気を抜いてはいけないという戒め。そうやって国民性が出来上がっていくのだな。
そういえば、感染症禍に始めた一人旅も、その後は夫婦旅になってしまい、何でも夫に頼れて楽だが、面白くない感じがしていた。が、ボランティア旅はおのずと一人旅になった。また一人旅が出来て良かったなあ。
さて、重たいスーツケースとリュック、ポシェットを持ち、エレベーターでホームへ降りた。駅の売店で食べ物を買おうかと思っていたが、時間もないし売店も見かけなかった。
彦根から米原までは5分。そう、「米原」は「まいばら」と読む。万博のボランティアの休憩中に、帰りは彦根に寄って「よねはら」から新幹線に乗ると言ったら「まいばらね」と関西の人たちに訂正されたのだった。知らなかった。「まいばら」と読むなんて。
米原駅で新幹線に乗りかえる。新幹線に乗る人は、スーツケースなどを引いている事が多いと思うのだが、この乗り換えには数段の階段がある。この段差をどうにかできないものかね。
米原からは「こだま」に乗った。自由席は1~4号車。4号車に乗ると、それなりに人はいたが、2列目の2人席が空いていたので、そこに座った。名古屋までこれに乗って行く。
お腹が空いた。飴を舐めてごまかした。後々、リュックにドリンクゼリーが入っていたのだからそれを飲めば良かったと後悔したが、この時はすっかり存在を忘れていた。名古屋で何か買えないかなと思っていたが、全く甘かった。
夕暮れ時である。雨には降られなかったが、彦根では降ったのだろうか。あの人力車のお姉さんは土砂降り雨に当たらなかっただろうか。
30分ほど「こだま」に乗って名古屋に着いた。着く前に調べたところ、乗り換え時間は4分。すぐ前の線路だから、乗り換え自体は充分可能だが、売店で何か買う余裕はなさそうだ。残念。
しかし、目の前の線路に4分は余裕だと思っていた私は、やはり甘かった。名古屋駅のホームは狭い。狭いのに人がいっぱいいる。既に「のぞみ」に乗ろうという行列ができていて、そこへ荷物を抱えて降り立ったのだ。
まず、自由席がどっち側なのかが問題だ。電光掲示板を見たら自由席は1,2号車だという。少ないな。だいぶ端っこに行かなければならない。だが、どっちが1号車だ?
人がたくさんいる中で、多分喫煙が出来るのは8号車だか9号車だかという表示が見えて、それで目の前が7号車だと分かった。人垣の隙間に目を凝らし、右側が6号車だと思った私は、もっと右の方へ行くべし、と思ってずんずん歩いて行った。
ところが、ちょっと行ってからそこが9号車だと分かった。反対じゃないか!またもや何をやっているのだか。踵を返して逆へと歩いて行くが、人が多くて急げない。荷物も多いし。そうこうしているうちに、ホームに新幹線が入って来てしまった。
ぜんぜん自由席の車両には辿り着けない。だが、だからと言って乗らずにいたら発車してしまう。仕方なく、5号車に乗り込んだ。5号車はもちろん指定席車両である。
どんどん車両を通り抜けて2号車へ行くつもりだった。ところが、5号車の通路で詰まった。3~4人が立ち止まっていた。先頭の人を見ると、座っている人と切符を見せ合いながら何か話している。まあ、僕の席そこなんですけど、え、じゃあ私の席はどこ?みたいな事を言っているのだろう。
スーツケースが通路にあって進めないのかと思った。少し待ったが全然進まない。そのうち新幹線は発車した。まだ静かに揉めているようだ。で、更に首を伸ばして見ると、揉めている人はスーツケースなどを持っていなかった。後ろの人、追い抜けばいいじゃないか。
少しイライラしてきたところで、後ろの人は揉めている人を追い越した。やっと列が動き出した。そして、私はどんどん歩いて行った。多少揺れる中、スーツケースをゴロゴロやって、4号車、3号車と通り抜け、2号車へ。一応入ってから振り返ると、自由席と書いてあった。
しかし案の定、ほとんど席は埋まっている。たまに3人席の真ん中が空いているだけだ。1号車へも行ってみよう。
1号車も、ほぼ同じ状況だった。とうとう一番後ろまで行った。だが、その一番後ろの座席の後ろに、いくつもスーツケースが置いてあるのが見えた。そうか、私がこの状態で真ん中の席に入るのは辛いが、スーツケースをここに置いておけば、入れそうだ。
ちょうど、私のスーツケースが1つ収まるくらいのスペースが空(あ)いていた。残念ながら横に倒して置くほどのスペースはなかった。いくら一番後ろでも、出入口への通路を塞ぐわけにはいかない。立てておくしかない。
立てておくという事は、車輪で立たせているという事。ストッパーがないので、揺れて転がる可能性もある。ただ、前後に揺れても大丈夫なスペースだった。新幹線は左右に大きく揺れる事はないし、大丈夫だろう。ちょっとだけ心配だが、そこに置いておき、3列くらい離れた3人席の真ん中に入った。入れてもらったと言った方がいいか。通路側の人に一度立ってもらい、そこに入ってリュックを足元に置き、リュックの中から日記帳と筆箱を取り出した。
両脇の席は男性。この辺は圧倒的に男性が多い。窓際の人は眠っていた。通路側の人が眠っていたら入れなかったな。
日記を1時間以上書き続けた。帰りはこれがあるから暇を持て余す事がない。両脇がどんな人であっても関係ない。
行きにはなかったのだが、帰りには車掌さんの切符改めが来た。特急券を拝見しますと言う。スマートEXで買った場合、切符はない。私は何となく、予約画面を見せればいいのかなと思って、スマホでその画面を出していた。
車掌さんが近づいてきた時、隣の通路側の男性が、紙切れを出した。それを見て、私もサッとそれと同じものを出した。お兄さんナイス。そうか、あれか。スマートEXで切符を買っていた場合、自分の交通系ICカードで改札を通ればいいのだが、その時に座席票が出てくるのだ。指定席の場合は座席番号がそれに書いてあるのだろうが、自由席の場合は関係ないなと思っていた。もちろん、ちゃんと持っていたが。
そうなのか、あれが特急券代わりになるのか。それを車掌さんに渡すと、ハンコウを押してくれた。
品川に着く時、やっぱり隣のお兄さんに一度立ってもらわないといけなかった。終点の東京まで行く人が多く、品川で降りる人はあまりいなかった。一番後ろのドアから品川で下りたのは私1人だった。
やれやれ、やっと東京に帰って来た。家にも無事に着いた。お腹が空いたと言ってもまだ8時過ぎだし、家に帰ってからワインを飲んで色々食べたから大丈夫。そう、私の体は大丈夫だったのだ。しかし、家族の1人(次男)がこの後体調を大きく崩す事になる。本当に、帰ったらしばらく再起不能になるかも~なんて言っていたのに、倒れている場合ではなかったのだ。
まあ、それはまた別の話。エッセイにする予定はないが、もし興味があればブログを読んでもらいたい(https://takan.site/)。このエッセイはここまで。おうちに帰るまでが遠足なので。万博ボランティアのお話の最後は帰宅だ。
だが、この「おうちに帰るまでが遠足です」という言葉、日本人なら誰でも知っているし、そう思わされている気がしないか?刷り込みってやつか。小学校の時、毎年毎年先生に言われ続けてきた言葉だから。最後まで気を抜いてはいけないという戒め。そうやって国民性が出来上がっていくのだな。
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