戦国ブロマンス

夏目碧央

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美成の望み

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 剣介は美成を引っ張っていき、その場を離れた。誰もいない座敷に入り、戸を閉めた。そして立ち止まると、振り向いて美成の前に跪いた。美成はまだ何も言わない。
「やはり、毒を入れたのですか?」
剣介が問うても、やはり美成は口を開かない。剣介はじっと美成の方を見上げ、一つ大きく息を吐いた。
「私は、少々浮かれていました。」
剣介が言った。その意外な言葉に、美成は剣介の顔を見た。
「私は元々頭栗様の守役だったので、頭栗様が戻ってきたら、私は頭栗様の側近だと思ったのです。そして、誰よりも近くで当主様を支えるのだと。」
美成の目はぎらぎらしている。いや、ゆらゆらしていた。大きな目に、涙がたくさん溜まっている。
「思い違いをしていました。今私は美成様の守役で、その美成様も一時は当主となり、私は支える覚悟をしたのです。これから先、美成様は当主を支える立派な武将にならなければなりません。」
そう、もっと美成は立派にならなければならない。今のこの状況を何とかせねばならぬ。頭栗が見逃してくれたものの、美成は反逆罪を犯すところだったのだ。この先こんな事が起きてはならない。
「美成様、どうして毒なんか。」
それでもまだ、美成は何も言わない。
「美成様、何か言ってください。当主になれなくて拗ねているのですか?」
「そんなわけ、ないだろう。」
やっと美成が口を利いた。
「じゃあ、どうしてあんな事を?」
「兄上が、嫌いだからだ。兄上が、妬ましい。」
「妬ましい?どうしてですか?あなたは、母上にも可愛がられ、人質にもならずにここにいられて、頭栗様よりもずっと恵まれているではないですか。」
「でも兄上は、お前の事を独り占めした!いっつも、俺を追いやって。やっといなくなってくれて、剣介は俺のものになったのに、また剣介を奪った。」
もう、涙が溢れ出てしまっていた。美成の目からは止めどなく涙が出る。
「頭栗様は、母上と一緒にいられなくて寂しいから、私に頼っていただけですよ。それに頭栗様は、私は美成様の家来だと仰せになったではありませんか。」
「でも、お前は俺より兄上の方が好きなのだろう?本当は、兄上の側にいたいのだろう?お前は、兄上の側にいたいし、嫁はもらうし、俺の事なんて、どうでもいいのだろう?嫌いなのだろう?」
泣きじゃくりながら、美成が言う。袖で涙をぬぐう仕草は、いつにもまして愛らしい。剣介は優しい顔をしながら、その仕草を見守った。
「どうでもいいなんて、ましてや嫌いだなんて、思っているわけがないではありませんか。今まで何を見てきたのですか?」
「だって。」
美成が泣きじゃくる。
「好きですよ。大切に思っています。」
剣介がそう言うと、間髪入れずに、
「嘘だ。」
と、美成が言う。
「嘘ではありません。」
「本当か?」
「はい。」
「信じられん。」
美成は即答する。
「それなら、何か証拠を見せましょうか。」
「証拠?」
美成が顔を上げた。
「美成様の望みを何でも叶えましょう。そうしたら、信じてくれますか?」
剣介がそんな事を言った。
「何でも?」
「はい。美成様、私に何をして欲しいですか?」
剣介がじっと美成の目を見てそう問うた。美成はしばし剣介を見下ろしていたが、
「ずっと、側にいて欲しい。俺の事を、一番に考えて欲しい。」
顔を袖で隠しながら、美成がくぐもった声でそう言った。
「そんな事、言われなくたって、そうしますよ。」
剣介が優しく言った。すると、
「それから。」
美成が後を続けた。
「何ですか?」
「剣介、立て。」
美成は涙の跡を手でぬぐい、顔を上げてそう言った。
「はい。」
剣介が立ち上がると、
「頭を・・・撫でて欲しい。」
「・・・。」
剣介は、二の句が継げず、ごくりとつばを飲んだ。この場面で、その言葉が出るとは。そして、遠い記憶が蘇ってきた。そう、剣の稽古で剣介から一本取ることが出来たらご褒美をあげると剣介が言った時、美成が大まじめに言ったのが、頭を撫でて欲しい、だった。あれから何年も経ってしまったが、未だに美成が剣介から一本をも取ることが出来ておらず、ご褒美は今もって実行されていなかったのである。
 美成はじっと剣介の目を見た。赤く充血した目、赤く紅潮した頬。濡れたまつげ。それらを見つめながら、剣介が動けずにいると、美成は一歩剣介に近づき、そっと抱きついた。
「美成、さま・・・。」
剣介は一瞬たじろいだが、美成を抱きしめ返し、美成の頭を撫でた。美成がそのままじっとしているので、何度も頭を撫でた。
 剣介は更に昔の事を思い出した。まだ美成が三つの頃。剣介の膝に乗った美成が可愛らしく、頭を撫でようとしたところで、頭栗に突き飛ばされた美成。それ以来、頭を撫でる機会はなく、大きくなってしまった。まさか、こんなに大きくなってから、頭を撫でる事になろうとは。剣介は不思議な気持ちで美成の頭を撫で続けた。

 「あの、もうよろしいでしょうか?」
しばらくして、剣介がそう問うと、美成は剣介から離れた。
「証拠は見せましたよ。」
剣介が言うと、
「うん。」
美成が頷いた。
「だからもう、頭栗様を妬んだりしないでください。いいですね。」
「でもお前は、兄上の事だって、大事に思っているだろう?」
「美成様よりも大事に思っている人はいません。」
「本当か?」
「また繰り返しですか?」
剣介はちょっと笑うと、もう一度美成を抱きしめ、頭を撫でた。
「わ、分かった。もう分かったよ。でもお前は、嫁の頭も撫でるだろう?」
「美成様・・・。嫁の事はいいではありませんか。」
「それは、そうだが。」
「こんなところ、人に見られたら私はお終いです。もう、終わりにしましょう。」
主従のけじめという物がある。これではけじめも礼儀もあったものではない。
「え?まさか、もう金輪際頭を撫でない気か?」
「・・・そんなに、撫でられたいのですか?誰か、女中にでも。」
「嫌だ、お前にしてもらわないと意味が無い!」
「そう、ですか。なら、またしますが。」
「よし。」
「でも・・・人前では、ダメですよ。」
剣介が目を泳がせながらそう言うと、
「分かった。」
美成が嬉しそうに言った。
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