ロストパートナーズ

篠宮璃紅

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第2話「否定シタイ未来」

4.アメリ

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「さぁ、今日はここを整理しましょうか」


そう言った彼の笑顔には普段とは違う、怪しい雰囲気があった。

ユウの目の前には何百もあるのではないかという数の分厚い本が山積みにされている。


「今回は言い訳ではなく、本格的に書庫の整理を手伝っていただきます。たまにはちゃんとしないといつまでたっても汚いままですから」

「あ、あの、ボクの通常の仕事は」

「勿論、今日はここの整理だけです。今日一日で終わればいいんですけどね」


そう言った彼の笑顔に、優しさなど感じられない。こんなおっかない顔をする人だっただろうか。レンズ越しでも少し恐怖を感じてしまう。

ユウは普段のサボりのツケとして、アメリの師匠であり騎士団が誇る司令塔、老師ファウストの書庫の整理を命じられた。でも、本当に一日では終わりそうのない本しかない部屋。良くここまで散らかすことができたと感心すらできてしまうレベルだ。ユウも泣く泣く作業に取り掛かる。

だけど普段力仕事をしないユウにとってはただの整理では終わらなかった。ファウストの部屋には分厚い本しか置かれていない。一冊抱えるのも困難な本がいくつかある。


「こ、これ、本当に終わらないかも」


ユウが弱音を吐く。気持ちはわかるし同情もする。でも私はユウの目線で見ていることしかできない。まぁ、手伝う義理もない。元はと言えばユウが図書室でサボっているのが悪いのだから。

ふと隣を見ると、アメリはユウが並べた本の位置を微妙に修正している。恐らく、ファウストは癖のある置き方にしているのだろう。決してユウの置き方が間違っているわけではなく。アメリはいくつかの本を逆さまに置いている。普通そんな置き方はしない。


「これは師匠が読んでいない本ですよ。もういいお歳ですから。こうしておくと探しやすいと好評なんです」


アメリは私の心を読んでいるかのように、背中を向けたまま言った。

へぇ、と感心したユウは油断していた。足元の山に気付かず体勢を崩して転んでしまった。持っていた本が上からぼとぼとと落ちてきた。何故か感覚を共有する夢なんだから、やめて欲しい。


「ふふ、大丈夫ですか」

「は、はい……」


優しく手を引かれる。ひょいっと軽々引き上げられた。一応男として、その動きが恥ずかしいんだろう。ユウは慌てて本の山に手を付けた。

するとアメリが声をかけてきた。


「ユウくん、僕は暫く城に戻れないかもしれません」

「―――え?」

「西の勢力が思った以上に迫っています。師匠も老いぼれですから、あまり長い期間、遠い土地に行けないんです。それで、僕に声がかかりました」

「そんな……」


アメリはファウストの下で、補佐役として何度も隊を救った人物だという話は、いつかの夢で聞いた。でも長期の戦いには行かず、基本的には城に駐在しているはず。そんな彼が長期間の遠征。ユウには信じられなかった。


「だから君に声をかけたんです。君なら、僕の片付け方の癖も自然と身に着けています。師匠もきっと邪険にはしないでしょう」

「え、そ、それって」

「僕たちは兵士です。いつ死ぬかわかりません。だから、できる限りのことを、城に残そうと思って」

「そんなに、危ない所に行くんですか」

「最前線ではありません。ですが、いつでも死ぬ覚悟をしておかないと。化けて出てもみんな相手をしてくれる余裕ないですから」


アメリは笑顔を絶やさず、いつもと同じ声で淡々と話した。

自分たちはいつか死ぬ。いつかは誰にも分らない。だから、毎日後悔しないために生きる。ユウにこの場所の整理をさせているのも、自分がいなくなった後、老師にどやされる人間を減らすためだ。そんな話を、お茶を飲んでいる時と変わらない調子で。

話しを聞きながらの作業は意外と捗っていた。ユウもなんとなくで、読み古された本と綺麗なままの本の区別がつくようになっていた。


「そうそう、うん、やっぱり君は筋がいいです」

「アメリさん―――」

「君に声をかけてよかった。師匠も文句なしですよ」

「アメリさん!」


ユウが叫んだ。アメリは本から目線を外し、こっちに向けた。


「どうしましたか」

「……アメリさんには、ここ以外にも本があります。その、ボクはみんなの雑用係です。剣も使えない、へっぽこ兵士です。だから、あなたの代わりに戦場に行くこともできない。だから、あなたが死ぬとか、想像できないんです」
「でしょう、ね」

「でも、あなたを失った後の悲しみは、きっと今想像しても無駄なくらい、大きなものになります。これだけはわかります」

「えぇ」

「それに、ボクはまだいいです。でも、妹さんは……シュリさんはどうするんですか!」


ユウの目には涙が溜まっていた。本当に、女々しい奴だけど、本当に優しくて、ムカついた。

その優しさは、きっとアメリの胸にも刺さっている、一度刺さったらなかなか抜けない、厄介な針として。


「シュリは」

「シュリさんは、アメリさんのことずっと考えています。こないだの手紙だって、アメリさんが平和な世の中にしてくれるのを待ってるって書いてあったじゃないですか!簡単に死ぬことなんて考えないでください!そんなの、間違ってる!」

「ユウくん」

「せめて、せめてシュリさんに会ってからにしてください。無理なのはわかってるけど、なんなら今から出発してください、妹さんに、会ってあげてください!」

「ユウくん!」

「っ……!」


ユウの勢いは、アメリの一喝で収まった。

言いすぎてしまった、と後悔するユウの肩に、アメリの大きくて繊細な手が添えられる。そして、ゆっくりと呟いた。


「……死んでしまいました。妹は」


その声は、とても冷たかった。


「え?」

「シュリは、もういないんです。故郷から手紙が来ました」


アメリは懐からくしゃくしゃになった手紙を取り出して、ユウの胸に押し付けた。恐る恐るそれを開く。内容は、とても悲しいものだった。

手紙によると、シュリは雪の時期に体調が急変し朝に様子を見に行った時には薬袋を握りしめたまま、苦しんだ様子で死んでいたらしい。薬袋の中にはまだ薬が残っていた。傍には飲み水も置かれていた。不思議に思った村人はシュリの死因を探った。すると、彼女の机の引き出しから一通の手紙、遺書が出てきたという。

そこには薬の入手に苦労する兄への心配と、病気で迷惑をかけてごめんなさいという謝罪の言葉で溢れた内容が敷き詰められていた。シュリは、アメリが自分のせいで危険な場所にいるとわかっていた。自分の病気はもう治らない、そんな無理をしても無駄だ。全部、分かっていたと。だから、彼女は兄の負担を減らすために、まだある薬を飲まずに静かに死を待った。

それだけなら、よかったのかもしれない。彼女の最期の思いが綴られた手紙。だけど、あまりにも古ぼけた紙は最近のものではなかった。明らかに数年前のもの。

一緒に重なっていた真新しい紙を確認する。そこには「心配しないで」「頑張って」「大丈夫だよ」とアメリを励ます言葉が綴られている。まるで、会いに来ないでと言わんばかりに体調面のことが強調されている言葉だらけ。


「代筆を頼んでいました。腕に力が入らないと言い出してから。書いてくれる人は毎度違うので、こんなにばらばらでもよかったんです」


酷く乱れた紙が現れた。

もう嘘はやめよう。そんな殴り書きが残された一枚。


『アメリ、すまない。騙していた。シュリはもういない。死んでしまった。すまなかった』


簡単な内容。それでも、全てが伝わってきた。

そして一枚目の遺書に戻る。引き出しから見つけ、数年経った遺書。


「……滑稽ですよね。あんなに大切にしていた家族に、苦しい思いをさせて」


小さく笑う。


「こんなの師匠にバレれば破門ものの、愚かな勘違いですよ」


また笑った。くすくすと。馬鹿にするように。


「僕には、帰る場所も、守るものもなくなりました。一人の人間として、生きる意味を失ったんです」


そう言って、静かに涙を流していた。

兵士は涙なんて流さない。国一番の策士の一番弟子であり奇才として慕われているアメリが涙を流すことなんて、想像もしなかった。


「ユウくん。僕は一人の人間として、生きる意味を失いました。だから、一人の兵士としてこの国に命を捧げるのです。決して無駄には死にません。ですがいつでも死ねます。これが僕の覚悟です」


ゆっくりと、ゆっくりとアメリが迫ってくる。外はもう暗い。明りのついていない部屋で、彼は冷え切った表情で言った。


「何の覚悟もない君に、僕を止める権利がありますか」


アメリのこんな顔を見たのは、きっとこれが最初で最後だ。




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