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第3話「届カヌ想イ」
3.コーヒー
しおりを挟む「こんなところでうたた寝かい、お嬢さん」
聞きなれない声がして、飛び起きた。空席だったはずのテーブルの向こうには、見知らぬ男が頬をついて笑っていた。
三白眼でこちらを見つめている。嫌な目つき。気に食わない。
だけど、なぜか知っている。利紅の時と同じ感覚。初めてのはずなのに、懐かしい。短く切った前髪、だらしなく羽織った上着。ゆったりとしたタンクトップ。間違いなく知らない男。懐かしいと、そんな風に思うのは、彼女と同じ深緑の髪と瞳だからだろうか。
「ははぁーん、さては俺の顔見て混乱してるなー?まるっきり似てなくてもビビッとくるよな。どーだ?懐かしいだろ、ユウ」
「……あんた、なんで私の名前を知ってるのよ」
おん?と男は間抜けな反応で返した。
「懐かしいなんて見当違いもいいところ。さっさとどこかへ消えて。迷惑だわ」
「ひっでー。しかし、そうか。名前も昔と同じなんてあるんだな。すげぇ」
ケラケラとむかつく笑い方。癪に障る。殴りかかりそうになる。
一つ引っかかる言葉があった。‟昔“。名前が同じ。なんの話だ。
「さて、じゃあユウちゃんだな。まさかこんなクール系の美女になってるとはなぁ。でもさっきの雰囲気、だいぶユウに似てたからな。すぐにわかったわ」
男は一人で話を進めていく。私は何も言っていないのに。
「一体何の話?似てるなんて、誰のことかしら。あんたの話はさっぱりだわ。いい加減にその腹立つ笑い方をやめないと殴るわよ」
「こっえー。暴力的だなぁ、グレた?」
「わかった。殴るわ。歯を食いしばりなさい」
「待て、待てって!ったく……もしかして本当に見てないのか。自分の‟前世の夢“」
前世の“夢”。
男は確かにそう言った。夢。前世。
思考が追い付かなかった。考えたこともなかった。あの夢が一体、私にとって何なのか。
拳を緩めた。この男は夢のことを知っていて。その夢を、前世の夢だと言うのか。
「見てない、かぁ。ならまだ救いようがあるのかもな。あー、でも会っちまったしな俺たち。それに俺の顔に反応してたろ。んじゃあもう……」
「ブツブツと一人で話を進めないで。あんた、あの夢について何を知っているの」
やっぱ見てるんじゃねーか、と男は肩を落とした。
「知ってるんだな。夢の事。あぁ、俺は夢を見ている。知っている。俺の夢の中の女、アリシアが俺の前世だってことも。ちゃんと理解してるつもりだ。ユウの今の姿が、目の前のお前だってこともな」
前世なんて突拍子もない。とは思えずにいた。信じられるわけがないのに、妙に納得してしまっている。
夢の中での自分の視点。あれはいつもユウの見ている景色だった。それはあいつ自身の記憶を、私が思い出しているから?
あいつが、私の前世。考えただけでゾッとする。そんなことを認めれば否定できなくなってしまう。私とあいつは、違うんだって。
男は自分の前世とやらをアリシアと言った。そうだ、ユウの幼馴染、親友。あの女の名前。緑、赤、黒。彼女と同じ色。私を見透かすような、心配を孕んだ目。雰囲気がよく似ている。
雰囲気と言えば、こいつは私とユウが似ていると言っていた。よし。
「って、黙って殴ろうとするな!!」
「誰があいつと似てるですって?誰が、誰に?」
「いやいや、思いつめた顔とかそっくりだぞ!?あいついつも悩んでたじゃねーか、おんなじ顔してたぞ」
悩んでいた、あいつが?
そんな夢は見ていない。記憶にない。私のように頭を抱えることなんて、あいつにはなかったはず。
「あー、もしかして知らねーのか。紅衣騎士の事……」
ぼそっと呟いた。男は自分の発言に気付き、口を覆う。はっとした表情と同時にしまった、と息を漏らす。私の顔を見たからだ。
確かに聞こえた。聞き慣れない単語。紅衣騎士。そいつがユウを追い詰めることになるのだろうか。
「紅衣騎士って何。あんたは他に何を知っているの」
「俺の口からは言えない。悪いな、忘れてくれ」
また笑う。誤魔化すように。
軽薄さはない。辛さを隠すように笑った。
「言えない?ユウに関係のあることなんでしょ。知ってるなら教えて」
「言えばお前は後悔するだろうし、苦しむことになる。悪いが、教えるわけにはいかないな。……俺は、二度とあんな姿を見たくない」
こいつは何を知っている。なんなんだ。
私の、ユウの何を知っている。アリシアはあいつの何を見た。彼女はいつもそばにいてくれた。何があっても味方で、守ってくれていた。そんな彼女は何を見て、こいつに見せた?
問い詰めようとした。知っていることを。ユウがどうなるのか。でも、できなかった。
有名な曲のピアノアレンジが流れる店内で鈍い音が響いた。人の頭に、金属製のトレイがぶつかった音。机に突っ伏す男と、その隣には息を荒くした利紅が立っている。
「な、なな、何してんだお前ぇ!なんで店にいるんだ、出ていけ!!」
「ってぇな!俺、客だぞ一応!ちったぁ丁重に扱え、んだよこの仕打ちは!?」
「うるさい、黙れ消えろ!お前、悠さんのこと誑かしてたろ、クズ!!」
静かだった店内に利紅の罵倒の声と、男の抗議の声と、常連客の笑い声が響く。なぜ誰も止めない。よくあることなのか。
利紅の持つトレイは綺麗にへこんでいる。よく見ると何度も同じサイズのものを殴ったような跡が残っている。どうやら、毎度かなりの力で殴り、凹ませているようだ。
「り、利紅。誰こいつ」
新たな一面を見せる後輩に尋ねた。彼はぜー、ぜーと息を吐きながら答える。
「はぁはぁ、こいつはただの害虫です。今すぐ追い出しますから、ちょっと待っててください」
「従兄を害虫呼ばわりとは、相変わらず可愛げがねーな。俺はきゃーくぅー。坂本真樹さまだろーが。お前、普段は人見知りなへなちょのくせに、俺だけ舐められてんのか?」
坂本真樹。そいつは殴られた頭を摩りながら不満を漏らしている。従兄と言っていたが、こんな男が親戚にいたのか。同情しかない。
親戚。であればこの二人はそれなりに近しい関係のはずだ。そんな二人が夢を見ていて、話をしないわけがない。少なくとも、アメリとアリシアは気を遣い合う仲ではない。
少しでも共有できていれば。大切な贈り物を捨てるほど、利紅が思いつめることもなかっただろう。真樹が話を少しでも聞いてやればよかった。それこそ私にしたように、誤魔化せたはずなのに。
「あれー?一人増えてるの?」
睨みつけていた私のそばに甲高い声が近づいてきた。いい香りを漂わせながら。
「せっかくコーヒーを淹れてきたのに、一個足りないや」
どうやら無事にコーヒーの淹れ方を伝授された沙姫が返ってきたらしい。その後ろには朱里もいる。
「そっちのお兄さんは?私の分はお兄さんに飲んでもらおうと思ってるけど」
「……俺は真樹。坂本真樹ってんだ、お嬢さん。へぇ、君が淹れてくれたコーヒーが飲めるだなんて、光栄だな」
「真樹くんかー。うん、覚えた。私は秋山沙姫、よろしくね」
真樹の謎の沈黙。沙姫は気にしていないようだがさっきの内容からして、真樹は沙姫に気付いている。当然だ。ユウと幼馴染だったアリシアは、シャラとも交流が深かった。シャラの数少ない友人でもあったはず。沙姫が彼女に所縁あることは一目見ればわかる。
一方、沙姫に変わった様子はない。目が見えなかった彼女がアリシアの姿を知っているのか、それがこの軽薄な男と結びつくのか。
無邪気な笑顔で「はい、どーぞ」と私と真樹の間にカップが置かれる。コーヒーが波打ち、茶色く輝く。奴は二つ置かれたカップのうちの一つを持ち上げ、口を付けた。残された一つはまだ湯気が揺らいでいる。
この二つは私と沙姫のためのコーヒーだったはずなのに。似合わないことを考えながらカップを取る。熱さに気を付けながら口元に運んで。
手が止まった。なぜか甘い、酸味も感じる。コーヒーの香りに混ざる違和感。本能的に反応してしまった。
「っあぁ!?げほっ、げほ……っが、んだこれぇ!?うえっ、がはっ」
思い切り咽ている。涙も見える。
明らかにコーヒーを飲んだ人間の反応ではない。何を入れたんだ。
「あれー?美味しくない?うーん」
「あんた、何入れたのよ。これコーヒーでしょ。普通コーヒーを飲んだ人間はこんな顔しないし、変な甘いにおいもしないわよ」
「何って、ちゃんとレシピ通りにやったよー?すごいよね、ここのコーヒーはソースが隠し味なんだもん!」
店内の全員が沙姫を見た。
……はい?ソース?馬鹿なの?
慌てて出てきた利紅と控えていた朱里に視線を送る。二人とも全力で首を振っている。それを見て客たちも汗を流しながら安堵している。使わせていてたまるか。
というかなぜソース。なんのソースだ。サンドイッチメニューにあったカツサンド用か?
さっきまで余裕そうな顔しかしなかった真樹が苦しそうな呻き声をあげながら机に突っ伏したままだ。飲まなくてよかった。無駄な敵対心で身を亡ぼすところだった。
結局、沙姫のブレンドコーヒーはすぐに下げられ、新たなコーヒーが運ばれてきた。よく見ると確かに艶が段違いだ。遅れて注文していたサンドイッチもテーブルに並べられ、戻ってきた沙姫と二人で向かいに倒れ込む真樹を無視して昼食を楽しんだ。
食べ終わった頃、真樹が起きた。相当ダメージが酷いらしい。顔色が悪い。
「さ、さて……悠ちゃんと沙姫ちゃんだったかな。俺の記憶ちゃんと合ってるか……?」
「大丈夫、ばっちりだよ」
記憶を心配するほどだったらしい。アレは。
「悠ちゃんにはもう話したが、お前たちが見ている夢。あれは前世の記憶を思い出しているんだ。どことなーく自分と似た人間の視点で話が勝手に進んでいくだろ。あれが俺たちの前世。その記憶を思い出している」
「真面目な話がしたいんだろうけど、次ちゃん付けで呼んだら殴るわ」
「わ、わかったわかった。ひぇー、おっかねーな。全然ユウと似てねーの」
テーブルから身を乗り出すと、真樹は腕で防御姿勢を取りつつ、真面目な顔で話を続けた。
「とりあえず、二人とも俺の話は信じてくれるみたいだな。実は俺も人に教えてもらったことなんだが。利紅、そんで今お前たちにも話した。ま、俺もわかるのはそれくらいなんだけどな」
ソファーに深く凭れ掛かり腕を組む。それだけだった。
そんなはずはない。この男はまだ隠している。
「さっきの紅衣騎士ってやつ。一体なに?ユウに関係があるんでしょ、それについても教えなさい」
「え……悠、知らないの?」
沙姫がはっとした顔で覗き込む。沙姫、シャラでも知っているのか。
「あんた、何か知ってるの」
「だ、だってまぁ一応、お城の騎士だったし……あ、でも、悠が知らないならいいと思うよ、知らないなら……多分そっちの方がいい」
明らかに挙動不審で歯切れが悪い。最後の方は聞き取ることができなかった。
あんたも隠すのね。コーヒーを飲んだのに、まだ眠気がすぐ傍にいて、イラついて考えが纏まらない。
紅衣騎士。そんな名前、まだ知らない。一体誰だ。瞼が重くなってきた時、わざとテーブルを揺らしながら真樹は立ち上がった。
「ま、知らないなら知らないでいいさ。無理に思い出すことはねーさ。きっと、そのうちわかる。な?だから今日はここまでだ」
そう言って上着に隠していたビニール袋を取り出し、目の前に突き出してきた。
「実は声かけたの、コイツのついでだったんだ。利紅に渡しといてくれ。渡せばわかるからよ。んじゃ、よろしくな。悠は早く帰って寝ろ。寝不足だろ、眠そうだったぜ」
謎の袋と余計な一言を残し、伝票の上に千円札を何枚か残し去っていった。
―――と思いきや、こちらに向かって叫んだ。
「沙姫ちゃん!君はもう金輪際人にコーヒーを出しちゃダメだ!!絶対だぞ!!」
そんなにダメだったかぁ、と沙姫は凹んでいる。私からもお願いしたいし、今後彼女から提供される飲み物には警戒しようと誓った。
真樹が出て行ってすぐ、利紅が残された金を清算しようと近づいてきた。するとすぐさまビニール袋に反応する。
「何しに来たのかと思えばあいつ、これを持って来たんですね」
「あんたに渡しておいてくれって。なんなの」
利紅は袋から小さな紙袋を取り出した。どこでも見かけるような、処方された薬用のものだ。
「もしかして朱里ちゃんの薬?」
「はい。あいつの父、僕の叔父さんにあたる人なんですけど。病院の院長先生で、朱里の発作を抑える薬を取り寄せてもらっていたんです。今は元気ですけど、たまに喘息が止まらなくなったりして……。真樹もそうならそうって言えばよかったのに」
出会い頭に奴を殴って形を変えたトレイを抱えながら何を言っているのか。利紅はぶつぶつと文句を続ける。
「ふふ、仲良いんだね。さっすが従兄弟。いいなぁ、お兄さんみたいな人がいて」
本気で羨ましそうに沙姫は笑っている。
夢の中の人物が自分の前世と言うのであれば、シャラにとってアリシアは気心の知れた姉のような存在だったはずだ。アリシアは城の衛生部隊を指揮する騎士だった。それ以前にシャラの付き人だったこともあって、二人は頻繁に会って話をしていたはず。執務の合間を縫って午後の茶会を楽しんだり、下町の様子などを語ったりとユウに自慢気に話していた。
実の姉妹のように仲が良い。アメリもそんなことを言っていた。
「悠、やっぱり眠い?疲れちゃったね」
沙姫が心配そうにしていた。そんなにわかるだろうか。やはり真樹の言う通り、帰って休むべきか。
「ほら、今日は付き合わせちゃってごめんね。りっくんたちもコーヒーのこととか、色々ありがとー」
「いえ。お二人が良ければまたいつでもいらしてください」
「またのお越しをお待ちしてます。悠さん、沙姫さん」
利紅とその後ろに隠れる朱里に見送られ、店を出ようとした。
扉に手を掛けた時、ふと思い出した。
「ねぇ、利紅。あんた紅衣騎士って聞いたことある?」
「えっ……えっと、その」
思った通りの反応が返ってきた。どうやら知らないのは私だけのようだ。利紅は何か答えようとして必死に言葉を探している。半分諦めが混じった声で「もういいわ、忘れて」と言うと、申し訳なさそうに目を伏せた。
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