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第4話「憧レノ記憶」
7. 欲シイモノ
しおりを挟む昔から無垢な子供だとよく言われた。
欲しいものを聞かれて困る子供だった。
与えられると扱いに困った。
形がないものが一番困る。中身がわからない。
それには名前があるけれど、中身は空っぽにしか見えなかった。
いつからか名前もわからなくなった。
わからないけど、心地よかった。
我が儘になれた気がした。
ずっと言われていたから。欲しいものはなにって。
暖かい。気持ちいい。笑いが止まらない。楽しい。常に誰かが傍にいる。1人じゃない。孤独じゃない。一緒に楽しもう。ほら。ほらほら。
楽しいことがこんなにも幸せだなんて知らなかった。みんなもっと笑って。楽しんで。一緒に踊って。
でも、困っちゃうんだ。
わからない。
誰といた?何を話した?どんなことを感じた?
気が付くと1人。楽しくない。寂しい。
誰か助けて。誰か、誰か。だれか。
名前が思い出せない。
忘れたくない、忘れられたくない、覚えていて、もう思い出せないから。
みんな、忘れないで。
ぴちゃりと跳ねたような音がした。目を開ける。足が重く、痛い。ずっと歩き続けていたようで、悲鳴を上げ始めている。
濡れた足先は暗くて色がわからない。なんでもいい。また歩き続けた。
『ユウ』
名前、名前を呼ばれた。声が二重になって聞こえる。
『ユウ、良カッタ。ヤット見ツケタ』
顔を上げた。知ってる、安心する顔。
真っ赤なコート。プレゼントした。とても喜んでくれた。
『心配シタ。帰ロウ』
手が伸びてくる。あっさり掴まれて、引き寄せられる。
何も不安なんてない。前を歩いてくれる。
安心する。暖かくて、優しくて、心地よくて。
足りない。もっと欲しい
いっぱい欲しい。浴びるように感じたい。
気持ちよかった。楽しかった。
どうすれば、よかったんだっけ。
「―――真樹?」
真樹が、目の前で膝をついていた。
低い呻き声と浅い息。知ってる臭い。
どうしたの、と駆け寄ろうとして、つい前に出した手が映った。はっきりとした視界。肌の色じゃない、艶やかな色。
自分とは違う温度。感触。知っている、知りたくなかった、知るはずもない、それでもこびりついて離れない感覚。
これは血だ。
「真樹!真樹!!」
叫んだ。返事はない。触れようとした瞬間、力を失って倒れた。カシャリと音を立てて何かが零れた。
画面から光を漏らす携帯電話。僅かな光源でも惨劇が良く見えた。
真っ赤。まっか。トレードマークの上着が赤黒く染まっている。
両手で覆い隠していた部分には見覚えのある文具が突き刺さっていた。今朝、机から落ちたカッターナイフ。それが持ち手部分まで深く刺さっている。
地面の冷たさは血の温度に変わった。膝が満たされていく。
夢じゃない。私の現実。全部、全部私のもの。感覚も、行動も。
真樹のことこんな風にしたのも、私……?
「まき、ちがうの。ごめん、ごめんなさい」
涙が止まらない。血も。死んでしまう。どうしよう。死なないで。
助けを呼ばないと。どうするんだっけ、怪我をしたら手当をしないと。
違う、私のやり方をしなきゃ。救急車。携帯。電話を掛けなきゃ。
目の前に転がるどろどろに塗れた携帯電話を手に取る。滑らないようにしても、何度もボタンを間違える。上手く打てない。焦る。落ち着いて、まずは電話。
ピリリ、と着信音が鳴った。驚いて血溜まりに落としてしまう。赤く汚れた画面には「ユウリ」の名前が。
手に取った。着信ボタンを押して耳に押し当てる。右頬がぐしゃりと濡れた。
「もしもし……」
声を振り絞った。声は後ろから聞こえた。
「こんばんは、悠。助けにきたよ」
男は天使のように笑った。大きな白い翼を背負って。
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