【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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133 千円づつの三十回払い

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「成人式に出席とか考えていなかったから、スーツはいらないです」

 一太はけろりと言った。成人式の案内が来なかったのはラッキーだった。出席することが普通なのかどうかで悩まなくて済んだから。案内が来なくて行けなかった、で済むなら出席していなくてもおかしくないだろう。

「いっちゃん、大学の入学式はどうしたの?」
「いつもの、あ、でも新しく買ったばかりの服を着て行きました。保護者用の席に案内してもらえました。皆スーツでびっくりしました」

 陽子の言葉に一太は、へらへらと笑いながら答えた。早口になるのは仕方ない。この話は普通ではないって分かっているから、それなら笑われて早く終わりたい。
 新しく買った服で行ったのだ。新品の。
 でも、違っていた。
 翌日も、スーツで行かなくてはいけなかったらどうしよう、と不安なまま登校した。休むことは考えられなかった。だから、周りがスーツでなかったのを見た時に、安心して腰が抜けそうだった。
 一日だけのためにスーツを買わなくて済んで良かったのだと思った。自分は運が良かったのだ。席は違っても、入学式には参列できたのだし。

「そう……」

 笑ってほしかったのに、陽子は眉も口の端も下げて一太を見た。晃も箸を置いて、ぎゅっと一太の手を握ってくる。

「あの。一日だけのために買わなくて済んで良かったなって俺……。だから、その、笑ってください。俺、おかしいんで。いつも、そうなんで」
「おかしくない」

 陽子はぴしゃりと言った。

「教えて貰ったり、して貰ったりしなければ分からないことってたくさんあるんだもの。いっちゃんは教えてもらえる機会が人より少なかっただけ。その分、自分で頑張ってきたんだから、褒められこそすれ、おかしいなんて思わない。おかしいなんて言う人がおかしい」
「…………」

 一太はぽかんと口を開けた。
 おかしくない。
 そんな事、初めて言われた。
 いつも、いつだって、おかしい、普通じゃないって言われてきた。言われたおかしい部分を、自分のできる範囲で消して消して消して……。消しても消しても、おかしいことは湧いて出てくる。話しかけられて返事をすれば、おかしいと言われる。それならと極力話さないようにすればまた、おかしいと言われる。
 周りを観察して、少しでも同じになるように、普通であるようにと行動してきた。一太の経験からきた行動なんてどこにもない。何でそのようにするのかも分からないまま、同じに見えるようにと動いていただけ。
 その一太の行動が、おかしくない?
 おかしいって言う人がおかしい?

「という訳で、いっちゃん。スーツはいります。成人式に出席して、スーツを着て写真を撮ります。一人で不安なら、来年、晃と一緒に成人式に出て一緒に写真を撮ればいいんだわ。今からスーツを作りに行っても来週には間に合わないかもしれないし。それがいいかも」
「あ、あの」

 きっぱりと言う陽子の意見には賛同できない。おかしくない、と言ってくれるのなら、一太の意見として、一日だけのための服など買えない、と言ってもいいだろうか。

「成人式のためだけの服、は、買えない、です……」

 スーツの値段を見たことはないが、普段着より高いのだろうということくらいは分かる。上下に、中のシャツ、ネクタイ。靴も、いつも履いているスニーカーではおかしいのでは無いだろうか。無理だ。

「いっちゃん。卒業式にも着るわ。それに、就職活動の時にも。面接に行く時はスーツを着るものよ」

 へ、と間抜けな声が出た。アルバイトの面接はいつもの服で大丈夫だったが、就職となるとそうはいかないのか。それは困る。せっかく大学にまで入ったのだから、卒業できたらちゃんとした所で雇ってもらって普通に暮らしていきたい。

「それに、二人が就く予定の仕事なら、就職してすぐに入園式があってスーツを着ることになると思う。一つ持っていないと絶対に困る」
「あ、そうか。そうだった」

 晃が声を上げる。
 そうか、晃くんでも、こうして教えて貰って知ることがいっぱいあるんだ、なんて一太はぼんやりと思った。
 そして、スーツはどうしても買わなければならないということを理解した。問題は値段だ。もし、とんでもなく高かったなら、どこからお金を捻出しようか……。
 悩む一太をよそに、昼食の片付けをしたらすぐに洋服屋へ出かけることになった。

「正月もやってるの?」
「今調べた。やってる! 広告もあったよ。お正月に帰省してる間に買いに行く人も多いんじゃない?」
「へええ……」
「今どきはさ、お正月にも閉まってるお店の方が少ないもんね。あんたたち、帰って来れて良かったわー」

 自分が何もしなくてもどんどん物事が進んでいくという状況に慣れなくて、一太は流されるまま車に乗っていた。
 誠が運転してくれて、助手席にはにこにこと話す陽子が座っている。
 一太は、晃とワゴン車の二列目に仲良く並んで座ると、ようやく口を挟んだ。

「あの。スーツって幾ら位しますか……」

 とにかく値段だ。お古の服などを融通してくれて、一太が晃と一緒に暮らし始めてから光熱費が安くなったと褒めてくれた陽子が、高いものを扱う店に連れていくとは思えないが、それでも元の値段が高ければどうしようもない。大体、財布には八千円しか入っていないのだ。帰省する事になって、慌てていつも預かっている二人分の生活費を取り出し、代わりに自分のお金を財布に入れてきたが、これでスーツは買えるものだろうか。
 振り返った陽子が、割引券の付いた広告を見せてくれる。新成人、フレッシャーズ限定スーツ八点セット税込二万九千九百円から。
 一太はがつん、と頭を殴られたような衝撃を受けた。

「むり……」
「いっちゃん。お金は貸してあげる。千円づつ返してくれたらいいわ。就職してからよ。就職して、毎月決まったお給料が貰えるようになって、余裕がある時に千円づつでいい。絶対いるものだし、いっちゃんのサイズだとお直しの時間が結構かかるだろうから、注文しといた方がいい」

 いつもは、一太の気持ちや意見を必ず確認してそれを優先してくれる陽子が、珍しくきっぱりと言った。

「あちらで二人で買いに行けるものでもないだろう? 今、買っておきなさい」

 誠も、陽子に全面的に賛成のようだった。

「千円づつ……」

 三十回払い? それも就職してから?
 一太は驚いて、ぽかんと口を開ける。
 それはまるで、三年先四年先にも一緒にいてくれる約束かのような……。

「決まり。さ、格好良いのを見つけようね」
「スーツに格好良いもくそも無いでしょ。全部一緒じゃん」

 陽子の言葉に晃が笑う。

「色々あるわよ? 着てみたら全然違うもの。お父さんのも、しゅっとして見えるようなのを選んで買ってるんだから」
「しゅっとしてるって何だよ。全然分かんないよ」
「私が、しゅっとしてるって思ったら、それがいいのよ」
「それ、ただの母さんの好みじゃん」
「それでいいのよ。お父さんが格好良いのは、私が分かっていればいいんだから」
「あー。はいはい」

 そんな晃と陽子のやり取りを聞いているうちに、車は店に着いて。
 一太は晃に手を繋がれて、広い店内に入っていった。
 晃の言っていた通り、形が似ていて色もあまり違わない服が、店内いっぱいに並んでいる。一太がまた、ぽかんと口を開いているうちに、陽子が店員と相談して持ってきたスーツを渡され、片っ端から試着することになっていた。
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