【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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185 ◇たった一つの嘘

 晃は、珍しく少し早くに目が覚めて隣の布団へ視線を向けた。一太が、ちゃんと布団に入って寝ているのが見えて、ほっとした。
 昨日、役所から一太へかかってきた電話の件は、まだ仕事中と分かっている時間だったけれど、緊急だからと父へすぐに連絡した。話を聞いた父は、それは、その相手を扶養するのが無理な理由や証明書を提出することで断れるから大丈夫だ、と明言してくれた。
 一太は、今現在学生である。隠している財産など無いことや、バイト代で余裕なく暮らしていることは簡単に証明できる、と父は言った。
 四月から就職することも問題ない、とも。内定先の給与は分かっているから、自分の生活費を全て賄うだけで精一杯になるだろうことも簡単に証明できるらしい。内定先の給与と、一人暮らしで平均的にかかる住居費や食費、日用品費などの額を示したものを並べれば、もう一人誰かを養うことなどできないのは一目瞭然だそうだ。
 その人は病気で入院した、と役所の人間は言っていたという。それも、扶養することを断れるよい材料になる、と父は言ってくれた。普通の生活も、一太の給料で二人は無理だろうと思われるのに、入院費や病気の治療費なんて払えるはずがない。
 そして、給料をもらえることはまだ予定でしかないのだ。内定しているだけなのだから。
 それらの不確定要素がそのままのうちに大急ぎで書類を提出してしまおう、と父は言った。
 夢も希望もないことを色々言って申し訳ないが、と仕事口調の父は淡々とそれらを一太に説明していた。

「いえ。ありがとうございます。とてもありがたいです」
「証明書類の方は私が作ろう。その方が、受け取ってもらいやすいと思う」 
「はい」
「ただ、一つだけ。一太くんが直筆で、その人の面倒をみられない理由や心情を綴ってほしい」
「理由、ですか……?  先ほどの、金銭的に無理だという話を文章で書くんですか?」
「いや。その人の、君への扱いがどうであったのかを文字にしてほしい。共に暮らしていた時どのように育てられていたのか、どんな言葉をかけられていたのか」
「俺、育ててもらってなんて……」
「ああ。そう書いてくれ。君がその人のことをどう思っているのかも全部書いたらいいんだ。それもまた、扶養できない、共に暮らせない理由になるだろうから」
「……分かりました」

 その後、予定通りアルバイトへ出かけた。一太の中に、仕事を休むという選択肢はないからだ。倒れて動けない状況でもない限り、休むことの方が一太のストレスになることを晃はもう分かっているので、仕方なく一緒に出勤した。同じ時間のシフトだったのは運が良かった。
 役所からの話をしっかりと断れる目処がついて、一太は落ち着いたように見えた。バイト中はいつも通りだった。
 だが、帰ってからはすっかり物思いに沈んでいて、晃が促してやっと食事をとり、お風呂に入り、という状態だった。そんな状態だったから、早く寝ようと声をかけたのに、先に寝ていてくれと言われてしまったのだ。

「手紙、書く、から……」

 父の言っていた、直筆の。
 その人との、これまでのことを綴れと、父は一太に言った。
 それは一人で考えたいのだろうな、と理解できたから。
 だから、晃は、おやすみと言って先に寝室に入ったのだった。
 大丈夫だっただろうか。
 晃は、もぞもぞと布団を引きずって動いて、一太の近くに顔を寄せる。赤い目尻。頬に涙のあと。
 大丈夫な訳がない。大丈夫な訳がないのだ。
 やっと……やっと一太は笑って暮らせるようになったのに。一太の思い描く、の生活を手に入れたのに。もう頼むから放っておいてほしい、と晃は切実に願った。

  *

 一太が書いた手紙は、父に言われてコピーをとった。びりりと破いたノート一枚の表裏に、整ってはいないけれど丁寧な、一太の書いた文字が並んでいる。所々涙で滲んで、最後の方は少し文字の線が震えていた。
 晃は、内容を読まないように気を付けてコピーをとった。晃が、バイト代で家用にと購入した安価なコピー機だ。携帯電話で撮った写真をいつでもコピーできるように、と購入したコピー機。表と裏と置き換えて二枚、コピーを出した。一太は、読まないでほしいとも、読んでもいいよ、とも言わなかった。ただぼんやりと、晃がコピーをとる様子を見ていた。

「これで、とりあえず原本を父さんに送ればいいかな?」
「あ、うん」
「封筒も買わないと」

 二人の家には、そういった事務用品がない。

「便箋も一緒に買ってきて清書する?」

 封筒を買いに行くならついでだからと、晃は何気なく聞いた。

「あー……うーん……いや」

 一太は、曖昧な返事を繰り返してから、首を横に振った。

「いい。もう一回書きたくない……」
「そう? じゃこれを送ろうか」
「…………」
「どうかした?」
「おかしい、かな……」
「え?」
「そんなので、もう送るって言うの、おかしいかな」
「え? いや。ううん」

 あきらかにちぎったノートに書いたもの。いや、ノートに書いてちぎったもの。確かに、手紙としては失礼なのかもしれない。でも、清書したら、この滲み出た色んな心情が隠されてしまう気がした。コピーしたものでさえ、涙の跡が汚れに見えるくらいだ。これは、このまま渡すべきものだ、と晃は思った。

「これでいい。これがいいよ」
「……便箋を買うお金もないって思われるから?」

 俯いてぼそぼそ言う一太は、笑うように口元を歪めた。

「違うよ。いっちゃんの気持ちが、すごくよく伝わるから」
「気持ち……」
「臨場感っていうのかな。そんな感じのさ」
「その人を親と思ったことはありません、今後、絶対に会いたくありませんっていうのを、何度も何度も言葉を変えて書いた薄情な所がよく伝わる?」
「いっちゃん……」

 一太の声は震えていた。親のことをそんな風に言うのは普通じゃない、とか考えているのだろうか。
 晃は、いつものようにぎゅう、と一太を抱きしめる。

「いっちゃんがどんなに辛い目にあってきたかが、よく伝わるんだと思うよ?」
「俺は、病気の親を見捨てる、薄情な……」
「見捨ててない。これは、お金がないから助けてください、と国にお願いする手紙だ。ちゃんと義務を果たしてる」

 親だと思えないのは当然じゃないか、と晃は思う。一太の、たまにぽつりとこぼす過去の話を聞いただけでも分かる。一太に、何度も何度も、お前なんてうちの子じゃない、と繰り返していたのは相手の方だ。それでもなお、本当は一太は親を求めていた。本当は、自分にも親はいるんだと思いたかった。
 今後、一緒に暮らしたり互いに思い合ったりなんて決してできないと、一太は気付いている。面倒をみるお金なんてない。世話をしてもらったこともない。事実をいくつも並べて書いたに違いない手紙。
 一太のこの涙はきっと、その事実の中に書いた、たった一つの嘘への涙。
 その人を、親だと思ったことはありません、と書いて一太は気付いてしまったのだ。
 本当は、それでも親だと思っていた自分に……。
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