2 / 61
2 入学式から七日目 昼
しおりを挟む
保健室の扉を開けると、先ほど別れたばかりの保険医が、驚いた顔をして振り返った。
「どうされましたか、殿下。やはり、まだ、体調が…」
そう柔らかい口調で言いかけて、マクシムとその腕の中の少女に気付く。少女はすでに、気を失っていた。限界だったところに、抱き上げられたぬくもりと、廊下を歩く揺れが加わって、眠ってしまったのであれば良いのだが、とマクシムは思うのだが、どうもそういう感じではないようだ。
「病人を拾いまして。」
とシリルは言った。マクシムが、ベッドにそっと少女を下ろすのを見つめる。新入生だと思うのだが、着ている制服はひどく大きく、色褪せている。栗色の髪はほつれて、艶がない。
マクシムは、布団の重さも気にするかのように、そっと掛け布団をかける。小さな顔は、土気色だった。
「ああ。リュシル。」
保険医は、ちらと少女を覗きこんで言った。
「預かりますので、もう大丈夫ですよ、殿下。」
特に、少女を診ようともせずに、保険医は言う。
少し、気にはなったが、これ以上何もすることはなく、シリルとマクシムは、保健室を出た。
三時限目の授業を受けると、昼食となる。朝から毒を盛られ、食欲の欠片もないが、人は食べなくても死んでしまう。食べても死ぬ、食べなくても死ぬとは、これ如何に、という気分である。どうしたものかと悩んでいると、マクシムがおずおずと話しかけてきた。
「殿下、少し保健室の様子を見に行きたいのですが、よろしいでしょうか?」
その言葉で、預けた少女のことを思い出す。いつも、護衛のみを真面目にこなすマクシムにしては珍しく、他者のことを気にかけているのと、昼の休憩は長いし、大した食欲もない、と先に保健室へと向かうことにした。
保険医は留守だったが、少女は一時間前と変わらず、ベッドの中にいた。少しだけ、顔色はましになっているようだ。
「失礼します。」
マクシムは、シリルの前に出て、少女の額にそっと触れた。熱はないようだ。呼吸も、しているらしい。あまりにか細いので鼻と口の辺りにも手をかざして確かめる。
「起きて、昼食を食べられると良いのですが。」
思わず、といった様子で呟いた。
「そうだな…」
やけに気にする様子を、珍しいと思いつつ、シリルも呟くように返事を返す。じっとマクシムを見ていると、視線に気付いて、すっとシリルの後ろに下がった。
「お手間を取らせまして、申し訳ございません。昼食に参りましょう。」
「いや…、ああ、そうだな…。」
その時、保健室の扉が開いて、保険医が帰ってきた。手に、パンと飲み物を持っている。買ってきて、ここで食べるのだろう。
「ああ、殿下。リュシルですか。」
何の感情も無さそうに、買ってきた昼食を机に置きながら、彼は言った。
「彼女は入学してから毎日、そんな感じでね。私も、困っているのですよ。放課後には、置いて帰れないので、起こして追い出すのですが、寮までの道で倒れていることもありましてね。」
「何かの病気なのか。」
「検査などもできないし、何を持っているかは分かりません。まあ、貧血などではないかと思うのですがねえ。食事が足りないのでしょう。」
「しょっちゅう倒れてて、昼食を食べていないということか。今、起こして食べさせた方が良いのだろうか?」
ベッドを覗きこみながら思案するシリルに、保険医は柔らかく微笑んだ。
「殿下、昼食はね、起きてても食べられるものじゃない。」
彼は、時計を見ながら机に座る。
「お金がいるのですよ。」
シリルは、驚いて目を見開いた。保険医が、パンを取り出すのを見ながら、学園のシステムを考える。寮に入れば、朝食と夕食は、寮費に含まれている。三年間、学園に通うことは、貴族の義務であるため、収入が少なくて費用が払えない貴族には、学費免除の特例も設けられている。平民の特待生制度もある。しかし、昼食は、学園のいくつかある食事場所を選んで、自分達でお金を払って購入する仕組みなのだ。月末になると、やりくりを失敗した者や、もとから仕送りの多くない者などが、昼食を我慢する光景は珍しくなかった。朝晩は、必ず食べられるので、それが大きな問題になったことはない。だが、彼女は。
「朝と夜の食事は、せめて取っているのだろうか。」
思わずこぼしたマクシムの呟きに、保険医はパンを食べながら、首をかしげる。
「さあねえ、リュシルはどうやら、目が不自由なようだから、食堂までたどり着けているのかな。寮との行き帰りや着替えも、不便だろうねえ。」
シリルとマクシムは絶句して、保険医を見た。呑気にパンを食べている20代後半の男である。その顔には、何も特別な感情は浮かんでいなかった。
「そんなことより、殿下もそろそろ昼食を食べられた方がいい。時間がなくなってしまうよ。」
「どうされましたか、殿下。やはり、まだ、体調が…」
そう柔らかい口調で言いかけて、マクシムとその腕の中の少女に気付く。少女はすでに、気を失っていた。限界だったところに、抱き上げられたぬくもりと、廊下を歩く揺れが加わって、眠ってしまったのであれば良いのだが、とマクシムは思うのだが、どうもそういう感じではないようだ。
「病人を拾いまして。」
とシリルは言った。マクシムが、ベッドにそっと少女を下ろすのを見つめる。新入生だと思うのだが、着ている制服はひどく大きく、色褪せている。栗色の髪はほつれて、艶がない。
マクシムは、布団の重さも気にするかのように、そっと掛け布団をかける。小さな顔は、土気色だった。
「ああ。リュシル。」
保険医は、ちらと少女を覗きこんで言った。
「預かりますので、もう大丈夫ですよ、殿下。」
特に、少女を診ようともせずに、保険医は言う。
少し、気にはなったが、これ以上何もすることはなく、シリルとマクシムは、保健室を出た。
三時限目の授業を受けると、昼食となる。朝から毒を盛られ、食欲の欠片もないが、人は食べなくても死んでしまう。食べても死ぬ、食べなくても死ぬとは、これ如何に、という気分である。どうしたものかと悩んでいると、マクシムがおずおずと話しかけてきた。
「殿下、少し保健室の様子を見に行きたいのですが、よろしいでしょうか?」
その言葉で、預けた少女のことを思い出す。いつも、護衛のみを真面目にこなすマクシムにしては珍しく、他者のことを気にかけているのと、昼の休憩は長いし、大した食欲もない、と先に保健室へと向かうことにした。
保険医は留守だったが、少女は一時間前と変わらず、ベッドの中にいた。少しだけ、顔色はましになっているようだ。
「失礼します。」
マクシムは、シリルの前に出て、少女の額にそっと触れた。熱はないようだ。呼吸も、しているらしい。あまりにか細いので鼻と口の辺りにも手をかざして確かめる。
「起きて、昼食を食べられると良いのですが。」
思わず、といった様子で呟いた。
「そうだな…」
やけに気にする様子を、珍しいと思いつつ、シリルも呟くように返事を返す。じっとマクシムを見ていると、視線に気付いて、すっとシリルの後ろに下がった。
「お手間を取らせまして、申し訳ございません。昼食に参りましょう。」
「いや…、ああ、そうだな…。」
その時、保健室の扉が開いて、保険医が帰ってきた。手に、パンと飲み物を持っている。買ってきて、ここで食べるのだろう。
「ああ、殿下。リュシルですか。」
何の感情も無さそうに、買ってきた昼食を机に置きながら、彼は言った。
「彼女は入学してから毎日、そんな感じでね。私も、困っているのですよ。放課後には、置いて帰れないので、起こして追い出すのですが、寮までの道で倒れていることもありましてね。」
「何かの病気なのか。」
「検査などもできないし、何を持っているかは分かりません。まあ、貧血などではないかと思うのですがねえ。食事が足りないのでしょう。」
「しょっちゅう倒れてて、昼食を食べていないということか。今、起こして食べさせた方が良いのだろうか?」
ベッドを覗きこみながら思案するシリルに、保険医は柔らかく微笑んだ。
「殿下、昼食はね、起きてても食べられるものじゃない。」
彼は、時計を見ながら机に座る。
「お金がいるのですよ。」
シリルは、驚いて目を見開いた。保険医が、パンを取り出すのを見ながら、学園のシステムを考える。寮に入れば、朝食と夕食は、寮費に含まれている。三年間、学園に通うことは、貴族の義務であるため、収入が少なくて費用が払えない貴族には、学費免除の特例も設けられている。平民の特待生制度もある。しかし、昼食は、学園のいくつかある食事場所を選んで、自分達でお金を払って購入する仕組みなのだ。月末になると、やりくりを失敗した者や、もとから仕送りの多くない者などが、昼食を我慢する光景は珍しくなかった。朝晩は、必ず食べられるので、それが大きな問題になったことはない。だが、彼女は。
「朝と夜の食事は、せめて取っているのだろうか。」
思わずこぼしたマクシムの呟きに、保険医はパンを食べながら、首をかしげる。
「さあねえ、リュシルはどうやら、目が不自由なようだから、食堂までたどり着けているのかな。寮との行き帰りや着替えも、不便だろうねえ。」
シリルとマクシムは絶句して、保険医を見た。呑気にパンを食べている20代後半の男である。その顔には、何も特別な感情は浮かんでいなかった。
「そんなことより、殿下もそろそろ昼食を食べられた方がいい。時間がなくなってしまうよ。」
98
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!
ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。
相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。
結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。
現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう…
その時に前世の記憶を取り戻すのだった…
「悪役令嬢の兄の婚約者って…」
なんとも微妙なポジション。
しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」と言われたので別れたのですが、呪われた上に子供まで出来てて一大事です!?
綾織季蝶
恋愛
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」そう告げられたのは孤児から魔法省の自然管理科の大臣にまで上り詰めたカナリア・スタインベック。
相手はとある貴族のご令嬢。
確かに公爵の彼とは釣り合うだろう、そう諦めきった心で承諾してしまう。
別れる際に大臣も辞め、実家の誰も寄り付かない禁断の森に身を潜めたが…。
何故か呪われた上に子供まで出来てしまった事が発覚して…!?
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
お気に入り1000ありがとうございます!!
お礼SS追加決定のため終了取下げいたします。
皆様、お気に入り登録ありがとうございました。
現在、お礼SSの準備中です。少々お待ちください。
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
愛のない結婚をした継母に転生したようなので、天使のような息子を溺愛します
美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
目が覚めると私は昔読んでいた本の中の登場人物、公爵家の後妻となった元王女ビオラに転生していた。
人嫌いの公爵は、王家によって組まれた前妻もビオラのことも毛嫌いしており、何をするのも全て別。二人の結婚には愛情の欠片もなく、ビオラは使用人たちにすら相手にされぬ生活を送っていた。
それでもめげずにこの家にしがみついていたのは、ビオラが公爵のことが本当に好きだったから。しかしその想いは報われることなどなく彼女は消え、私がこの体に入ってしまったらしい。
嫌われ者のビオラに転生し、この先どうしようかと考えあぐねていると、この物語の主人公であるルカが声をかけてきた。物語の中で悲惨な幼少期を過ごし、闇落ち予定のルカは純粋なまなざしで自分を見ている。天使のような可愛らしさと優しさに、気づけば彼を救って本物の家族になりたいと考える様に。
二人一緒ならばもう孤独ではないと、私はルカとの絆を深めていく。
するといつしか私を取り巻く周りの人々の目も、変わり始めるのだったーー
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる