926 / 1,325
第八章 郷に入っては郷に従え
50 ささやかで大きな一歩 朱実
しおりを挟む
自ら辞める者はいなかった、と報告書は記していた。
その職業としての最高位である地位を、努力の末に手にした者たちだ。先祖代々、城の料理人を務める家柄の者たちで構成されている厨房。その家に生まれた男児は、長じて後、そこで働くように教育されて育っている。とはいえ、全員がその職に就ける訳ではない。特別な技術がいる分、その家に生まれたから後を継ぐという者たちの中でも、特に優れていなければ雇われることはできない。例え、料理長の言葉に納得はしていなくとも、売り言葉に買い言葉でその地位を手放すほど知恵のない者はいなかったらしい。
残念だな、との思いが脳裏を掠める。
できれば、この報告書にあるような言葉を述べてくれた料理長が仕事を円滑に行えるよう、邪魔な手は避けておきたかった所だ。
少し異端に感じるあの料理長は、分家からの成り上がりらしい。城の料理とはこういうものだ、という画一的な教育を幼い時分からされていた訳ではない為、広末の料理が身に染みたのやもしれぬ。あれを、料理長として任命した前料理長にもまた、思うところがあったのだろう。
城に用事があって訪ねてきても、ご飯はうちで食べる、と必ず帰る叔母上か。ちっとも城に帰って来なかった緋色か。どちらかが、何かを告げたのやもしれぬ。食事になど、これまで注意を払ってこなかった私には、想像することしかできないが。
あの料理長が少しずつ雇っている若者たちは、指南書から外れた料理も作りたい、との好奇心を抑え切れずに、各家で落ちこぼれと言われていた者たちのようだ。休憩時間にも何やら動いていたのは、城の献立にない料理の、試作や試食であったらしい。これからの厨房に必要と思われる者たちだ。料理長のよい助けとなるよう、真っ直ぐに伸びる環境を整えねばならぬ。もともと、落ちこぼれと言われ続けても料理の道を捨てなかった強き者たちである。大いに期待しよう。
何事も、性急すぎては事を仕損じる。特に今回のことは、これから先長く付き合わねばならぬ問題で、非常に重要な問題だ。
食事とはこういうものなのだと、諦めていた。小さな頃からそれしかなければ、人というのは慣れていくものだ。ほんの少しの不満を、仕方ないと、些細なことだと、放っておいた我ら。何も言われないのは完成されているからだと、歩みを止めてしまった料理人たち。
双方が、すっかりと時間を止めてしまっていた。
出先での食事も、画一化されたご馳走ばかりで、城とは少しばかり違うのだな、と思う程度だった。緋色の屋敷で食事をするまで、これは美味しい、と料理に感じ入ることはなかった。
それはつまり、私の食事を準備する際には、どこかで城の料理人たちの手が入っていたのだろう。皇太子殿下のために、至高の献立を準備するように、とでも、出先へ通達が出ていたのかもしれない。身の安全の観点から、それは正しかった。ほんの少し味が違うと感じたのは、再現する料理人の腕が足りなかったり、慣れていなかったから?ついてきた料理人の数が少なかったり、調味料が揃っていなかったから?
そうして、私にとって大して重要ではなかった食事は、淡々と毎日並んでいた。父上や母上にとっても、それは同じだったのだろう。ただ、並ぶ食事を黙々と食べた。たまに好みの品もあったが、緋色のようにそればかりをおかわりする、などという欲望に忠実な姿を見せることもできず、心の内で、またこれが食卓に並べばよいな、と思うばかりであった。
言ってよいのだ、と気付かせてくれた此度の出来事に感謝を。
私は今、かなり幸せだよ。
その職業としての最高位である地位を、努力の末に手にした者たちだ。先祖代々、城の料理人を務める家柄の者たちで構成されている厨房。その家に生まれた男児は、長じて後、そこで働くように教育されて育っている。とはいえ、全員がその職に就ける訳ではない。特別な技術がいる分、その家に生まれたから後を継ぐという者たちの中でも、特に優れていなければ雇われることはできない。例え、料理長の言葉に納得はしていなくとも、売り言葉に買い言葉でその地位を手放すほど知恵のない者はいなかったらしい。
残念だな、との思いが脳裏を掠める。
できれば、この報告書にあるような言葉を述べてくれた料理長が仕事を円滑に行えるよう、邪魔な手は避けておきたかった所だ。
少し異端に感じるあの料理長は、分家からの成り上がりらしい。城の料理とはこういうものだ、という画一的な教育を幼い時分からされていた訳ではない為、広末の料理が身に染みたのやもしれぬ。あれを、料理長として任命した前料理長にもまた、思うところがあったのだろう。
城に用事があって訪ねてきても、ご飯はうちで食べる、と必ず帰る叔母上か。ちっとも城に帰って来なかった緋色か。どちらかが、何かを告げたのやもしれぬ。食事になど、これまで注意を払ってこなかった私には、想像することしかできないが。
あの料理長が少しずつ雇っている若者たちは、指南書から外れた料理も作りたい、との好奇心を抑え切れずに、各家で落ちこぼれと言われていた者たちのようだ。休憩時間にも何やら動いていたのは、城の献立にない料理の、試作や試食であったらしい。これからの厨房に必要と思われる者たちだ。料理長のよい助けとなるよう、真っ直ぐに伸びる環境を整えねばならぬ。もともと、落ちこぼれと言われ続けても料理の道を捨てなかった強き者たちである。大いに期待しよう。
何事も、性急すぎては事を仕損じる。特に今回のことは、これから先長く付き合わねばならぬ問題で、非常に重要な問題だ。
食事とはこういうものなのだと、諦めていた。小さな頃からそれしかなければ、人というのは慣れていくものだ。ほんの少しの不満を、仕方ないと、些細なことだと、放っておいた我ら。何も言われないのは完成されているからだと、歩みを止めてしまった料理人たち。
双方が、すっかりと時間を止めてしまっていた。
出先での食事も、画一化されたご馳走ばかりで、城とは少しばかり違うのだな、と思う程度だった。緋色の屋敷で食事をするまで、これは美味しい、と料理に感じ入ることはなかった。
それはつまり、私の食事を準備する際には、どこかで城の料理人たちの手が入っていたのだろう。皇太子殿下のために、至高の献立を準備するように、とでも、出先へ通達が出ていたのかもしれない。身の安全の観点から、それは正しかった。ほんの少し味が違うと感じたのは、再現する料理人の腕が足りなかったり、慣れていなかったから?ついてきた料理人の数が少なかったり、調味料が揃っていなかったから?
そうして、私にとって大して重要ではなかった食事は、淡々と毎日並んでいた。父上や母上にとっても、それは同じだったのだろう。ただ、並ぶ食事を黙々と食べた。たまに好みの品もあったが、緋色のようにそればかりをおかわりする、などという欲望に忠実な姿を見せることもできず、心の内で、またこれが食卓に並べばよいな、と思うばかりであった。
言ってよいのだ、と気付かせてくれた此度の出来事に感謝を。
私は今、かなり幸せだよ。
1,283
あなたにおすすめの小説
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
『アルファ拒食症』のオメガですが、運命の番に出会いました
小池 月
BL
大学一年の半田壱兎<はんだ いちと>は男性オメガ。壱兎は生涯ひとりを貫くことを決めた『アルファ拒食症』のバース性診断をうけている。
壱兎は過去に、オメガであるために男子の輪に入れず、女子からは異端として避けられ、孤独を経験している。
加えてベータ男子からの性的からかいを受けて不登校も経験した。そんな経緯から徹底してオメガ性を抑えベータとして生きる『アルファ拒食症』の道を選んだ。
大学に入り壱兎は初めてアルファと出会う。
そのアルファ男性が、壱兎とは違う学部の相川弘夢<あいかわ ひろむ>だった。壱兎と弘夢はすぐに仲良くなるが、弘夢のアルファフェロモンの影響で壱兎に発情期が来てしまう。そこから壱兎のオメガ性との向き合い、弘夢との関係への向き合いが始まるーー。
☆BLです。全年齢対応作品です☆
αからΩになった俺が幸せを掴むまで
なの
BL
柴田海、本名大嶋海里、21歳、今はオメガ、職業……オメガの出張風俗店勤務。
10年前、父が亡くなって新しいお義父さんと義兄貴ができた。
義兄貴は俺に優しくて、俺は大好きだった。
アルファと言われていた俺だったがある日熱を出してしまった。
義兄貴に看病されるうちにヒートのような症状が…
義兄貴と一線を超えてしまって逃げ出した。そんな海里は生きていくためにオメガの出張風俗店で働くようになった。
そんな海里が本当の幸せを掴むまで…
十二年付き合った彼氏を人気清純派アイドルに盗られて絶望してたら、幼馴染のポンコツ御曹司に溺愛されたので、奴らを見返してやりたいと思います
塔原 槇
BL
会社員、兎山俊太郎(とやま しゅんたろう)はある日、「やっぱり女の子が好きだわ」と言われ別れを切り出される。彼氏の売れないバンドマン、熊井雄介(くまい ゆうすけ)は人気上昇中の清純派アイドル、桃澤久留美(ももざわ くるみ)と付き合うのだと言う。ショックの中で俊太郎が出社すると、幼馴染の有栖川麗音(ありすがわ れおん)が中途採用で入社してきて……?
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる