まあ、よくない!

菜っぱ

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「まあ、いっか」

 私にはそんな言葉で、日々の憂鬱を誤魔化してしまう癖がある。
 例えば、気になる男の子に話しかけたいな、と思う気持ちをうやむやに誤魔化して、諦めたとき。
 私は同じクラスの洲崎君に憧れている。
 窓際の前から三番目の席に座る洲崎君は、今日もクラスのトップメンバーに囲まれていた。

 男の子の髪質だとは思えない、柔らかな栗毛と気まぐれな猫のようにシャープな瞳。そのアンバランス感が彼の唯一無二の容姿を作り上げていた。洲崎君は、私の通う中学校の中でも、目立った存在の男の子だと思う。
 ある日を境に私は彼のことを目で追ってしまうようになった。
 友達には見ているだけじゃなくて、自分から話しかければいいじゃん、といわれる。

 でも、私にはそれができるだけの勇気がない。
 私は卑屈な性格なのだ。
 周りの女の子よりも頭一つ分背が高い私は、かわいいとはかけ離れているからだ。
 あまりの背の高さに、よく男と間違えられる。間違える相手に悪気なんかないし、間違いに気づいた相手は申し訳なさそうに「ごめん」と謝ってくれる。

 いいえ、いいんですよ、とにっこり笑って私が水に流せればいい話だ。なのに、私はその間違えを心の傷として一つ残らずキャッチしてしまう。そんなところだけは、まるで埃を一つ残さず、吸い込んでしまう掃除機みたいに高性能だ。些細な傷は少しずつ、私の『女の子』としての自信を奪っていった。
 ただでさえ大女の私が、みんなみたいにキャーキャー言うのは、画面的におかしいもん。そう一度、思いこんでしまったら、その考えは自分を縛る呪いになる。

「えー! 葉月はかわいいよ」
「そうそう。目元の黒子もセクシーだし。背が高いのも、すらっとしていて綺麗だなって思うけど?」

 仲の良い友達の中にはそういってくれる子もいるけど、私は心のどこかでそれを信じることができないでいる。彼女たちは私より、何倍もかわいいから、私の気持ちなんかわからないんだと、一方的に拒否してしまう。
 気がついたら、私は気になるクラスの男の子に挨拶もできないくらいの小心者になっていた。
 それでも……。
 ──まあいっか。と思ってしまうから、私は駄目だ。
 
 それに、私のこの気持ちは多分、恋じゃないのだと思う。
 周りのみんなは彼のことを『イケメン』と囃し立てる。確かに私も彼の顔はカッコいいと思う。でも私が『いいな』と思ったところはそこではない。

 国語の授業でディベートが行われた。テーマは『刑事事件を起こした犯人は実名報道を禁止するか、否か』だった。
 一言では結果が出ないような難しい問題だ。
 私のクラスではほとんどの人が『否』といった。洲崎君はクラスの中では少数派だった。それでも、洲崎君は「刑事事件を犯した人間にも人権はある。それに冤罪だった場合、その後の社会復帰が難しくなる」と、自分の意見をはっきりと言っていた。私だったら、少数意見をあんなにはっきりいえないだろう。そういうところ……かっこいいな、と思ったのだ。

 でもその一瞬の感情が恋なのか、と聞かれると首を捻ってしまう。それはまだ育ち切っていない感情の蕾のような、些細な好意でしかない。
 その感情の動きを誰かのそれと対比すると、私の心の動きがいかに些細なものかがよくわかる。

「私、絶対先輩に告るから!」

 そう顔を真っ赤にして宣言した友人の目はキラキラと輝いていて、力強かった。私の蕾とは違う、完全なお花畑……。と言ってしまうと、馬鹿にしているように思えるかもしれないが、私は友人を見て、素直に感動してしまった。彼女の感情の動きに、揺れに、振れ幅に。
 私も彼女の勇姿には素直に頑張れ、と言いたくなったし、恋というものはこういうハッキリとした色彩を持っているんだな、というサンプルを得た気がした。

 彼女と比べると私の感情はどうだろう。薄ぼんやりとした冬の霧のようで、色も淡い。
 何がなんでも自分のものにしたい! という確固たる情熱があるわけでもない。
 それに私が勇気を出したところで未来が変わるわけでもない。私みたいな子が洲崎君の彼女になれるはずがないし、彼の周りにはもっとかわいい子がいる。

 授業終わり、彼の方へ視線をやる。ほら。今も洲崎君の周りにはかわいい女の子が溢れている。廊下で窓に寄りかかりながら談笑するその姿はまるで学校紹介パンフレットに載るような、理想的なシーンだ。私みたいな大女が入り込む隙もない。

 ──まあいっか。

 私はその言葉を、また心の中で呟いて、青ラインの入った、スリッパ型の上履きに目を落とす。私は俯いたまま、洲崎くんの横を駆け足で通り抜けた。

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