白兎令嬢の取捨選択

菜っぱ

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第一章 大領地の守り子

間話 セラージュの心境

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 クゥール様と初めて出会った場所は戦火の真っ只中であった。
 あちらこちらに煙が上がり、芽吹いていたはずの植物たちはことごとく、灰となって焼け崩れている。その中をザクザクと歩くと同僚であったはずの騎士達の亡骸がゴロゴロとそこら中に転がっていた。

 戦場というのはどうしてこうも痛ましいのだろう。あたり一面に蔓延る死の匂いを肺にできるだけ入れぬように、歩く。その匂いに浸かってしまったら、もう二度と生きている世界には戻れないような気がした。

 目を閉じると家族の顔を思い出してしまう。妻や子供たち……。上の二人はもう随分大きくなったが、下の二人はまだ幼子と言っていい年齢だ。

 ここで死にたくない。もう少し、彼らと一緒に時を過ごしたい。そんな思いで私は戦傷した体を引きずり、自軍の本拠地まで戻ろうと懸命に体を動かす。
 一刻程前にラザンタルク兵から受けた、魔術が体力を奪う。崩れ落ちた建物の土台部分に何かが座っている。あれは誰だ?

 目の前にいる人物は少年の姿をしていた。

 ラザンタルクの兵だろうか。いや、それにしては汚れのない、綺麗な装束を着ていた。足首まで隠れる神父服風の装束からして、聖職者だろうか。だが魔術師が好む、布を纏う形のショールも羽織っている。
 一眼でその者が何者なのか表しにくい、アンバランスな格好だ。

 長く波のように緩やかなカーブを持った金緑色の髪が乾いた戦場の風に流され、ゆらゆらと揺れていた。どこか憂いを帯びた緑色の瞳は所在なさそうに宙を彷徨っている姿が視界に飛び込んできた。
 
 その戦場とは場違いな美貌は、まるで神という生き物が人間の愚かしさを嘆いているようにも見えた。

「やっぱり僕は死ねないんだよね。戦場にきたら死ねると思ったのに。ねえ……、君は今から死ぬの? 羨ましいなあ」

 話しかけられている、と気がつく前に数秒を要してしまった。

「あなたは……、一体どなたでしょうか」
「ん? 僕? 僕は……なんなのだろう。僕自身にもわからない。でもね、僕は紛い物なんだって。君たちの王がそう言っていたよ」

 その言葉を聞いてハッとした。この人物が誰なのか見当がついてしまったからだ。ラザンタルクとの開戦前、ハルツエクデン国は聖女を失ってしまった。この国に、この国の人間とは違う資質の魔力を満たすために神から遣わされる、それがこの国の聖女だ。

 王が聖女降臨の儀に失敗した、という噂はまことしやかにささやかれていた。儀式を行った形跡はあるのに、肝心の聖女が国民の前に姿を現さない。どうやら、今代の王は聖女ではないものを呼び落としてしまったらしいと。





 私は王の近衛騎士をしている同僚から、その儀式で呼び落とされたものの正体を伝えられていた。その人物は男だ、と。

「あなたは死を望んでいるのですか?」

目の前にいる天女のような女神のような、この世の言葉では表せない程に美しい、色彩を持つ少年をじっと見据えて、言葉を身から絞るように出す。

「うん。そうだよ。僕はもうひどく疲れてしまったんだ。勝手に女神やら、王やらに振り回されて、ここに呼ばれて、もう嫌になっちゃうよね。もういっそ死んでやろうと思って戦場にきてみたのだけども、僕は女神の加護が強すぎて、やっぱり死ねないらしい。僕に危害を加えたものは次々と灰になってしまったよ」

 ほらね、周りを指差してと言った少年の周りを見渡すと、確かにその周りには不自然に灰になりかけて煤けた亡骸が転がっている。なんとか形を保っているだけで風に吹かれるとさらさらと飛んでしまいそうだった。少年がその亡骸の一つに人差し指でチョンと触ると、ぐしゃりと音を立ててそれは形を保てず崩れ落ちた。

「みんなこうなってしまうんだね。この人たちは僕を殺そうとしてくれた親切な人なのに。悲しいね。
 行きがけに、僕を止めようとした王様も、こうなってしまっているのかな。後ろを振り向いて確認してないからわからないや」

 王が灰になる……? その言葉にゾッとしてしまった。私たちが命がけで守ってきた、王が行きがけの事故で滅ぼされてしまったらたまったものではない。

「あなたはこれから王城に戻られるのですか?」
「戻ろうとは思っていないんだ。今回のことで、半端なことでは死ねないことがわかってしまったから、しばらくはどこかで身を隠しながら暮らすつもり。
 君、どこかに当てがあったりする? もしいい場所を紹介してくれたら、君のその体、修復してもいいよ?」

 その言葉はもうすぐ死を迎えるしかなかった私には甘い蜜のような響きを持つように聞こえた。

「私はオルブライト領の次期領主となる身です。私の領地内でよろしければ、貴方をお招きできるでしょう」
「そうなの? オルブライト領か……。あそこはリージェも高いし、王族が無闇に手を出せない領地で都合がいいね。じゃあ、僕は君について行こうかな。あ、僕のことはクゥールって呼んでくれる?」

 その前に君の体を治さなきゃね、と歌うようなリズムで言ったクゥール様が私の体に手を当てると、欠損のあったはずの体が光を帯びた。なんだ⁉︎  と驚いたのも束の間、瞬きの間に私の体は戦いに向かう前の状態に戻っていた。

 クゥール様は魔法陣を使った様子はなかった。まるで奇跡のようなノーモーションで欠損を治して見せたのだ。

 __こんな恐ろしいまでの修復、女神の所業ではないか

 修復された体を見て私は小さく悲鳴を上げてしまった。こうも簡単に修復をしてしまえる人物がいていいのだろうか。
 恐ろしい生き物だ……。

 戦場では負け知らずだった自分が、畏怖を示すことしか許されない男は、あくまでも穏やかな笑みを崩さずに私の皮膚にに印を刻んだ。それは禁術とされた古代魔術の魔法陣だった。

 誅殺の魔法陣。相手の命を遠方にいても奪うことができる恐ろしい魔法陣だ。

「これは保険として、刻んでおこう。僕は君を信用していないわけではないんだけど、雇用主としての立場を振りかざしたりされると、こちらも不愉快になってしまうからね。明確に力関係が見えた方が、お互いに要求を通しやすいでしょう?」
「私は! あなたに危害を加えることなど致しません!」
「うーん、君はしないだろうけど、君の子供たちはどうかな? 勘違いする馬鹿な子供が一人もいないとは限らないでしょう?」

 僕そういうの嫌なんだよね、と愉快な口調で言うクゥール様の瞳の奥は暗く光を失っていた。有無を言わせない様子を見て、私がクゥール様と言う強靭な駒を得たのではなく、クゥール様が私と言う駒を得たのだと言うことに初めて気づかされた。





 クゥール様がオルブライト領にいらっしゃることが決まった後、私達はは自領をまわっていた。オルブライト領の大まかな説明と住処の選定のためだった。
 私は大体の人間が住みたがる、都会的な地域やオルブライトの屋敷がある直轄地の街をまず最初に紹介した。しかしクゥール様はそう言った騒がしいだけの場所は好むことはなかった。

「ここにしよう」

 そう言ってクゥール様が選んだ土地は、何もない小さな街、ミームだった。何もなくはないか。一つだけ変わったものがある。シュナイザーの本社がこの街には隠れるように存在している。
 それは誰にも知られていないはずだった。

「静かで暮らし易そうで良い街じゃないか。それにシュナイザーの本社もこちらにあるのだろう?」
「! ご存知でしたか」
「うん。僕もあそことの取引をしているからね。転移すれば王都でも一瞬で行けるんだけど、王都にはあまり近付きたくないからね。ここにあると便利でいいね」

 そう言ったクゥール様は目を細めながら、ミームの街を見つめていた。
 なんの変哲もない片田舎、すぐ近くに森と草原を持つ小さな街。

 私にはここになんの魅力があるのかわからなかった。しかし、クゥール様の金線に触れる何かがここにはあったようだ。

「なんだかそれに、この街は僕の生まれた街に似ている気がする」
「そうですか」

 そんな理由でこの方が住む土地を極めるだなんて、少し意外な気もした。クゥール様も故郷を思って感傷的になったりするのだろうか? そもそもこの方はどこでお生まれになったのだろう。この国なのか? 

 私にはわからない。きっとクゥール様も自分から言い出すことはないだろう。彼はそう簡単に心を開きそうな生き物ではない。 

 最初の頃は誰にも心を許さず、いつ危害を加えてくるかもわからない、時限爆弾のようなクゥール様を私たちは手懐けようと必死だった。私も交流も持つように心がけたつもりであったし、子供たちにも交流を求めた。だが、彼の心を解かすのは私にも上三人の子供達にも困難なことだった。

 クゥール様が最終的に心を寄せたのは末娘のリジェットだった。

 彼がリジェットの面倒をみる、と言い出した時、はじめは何かに利用するために引き入れたのだろうと思っていた。クゥール様の駒の一つでしかない、私のように。

 しかし私は信じられないものを目にするようになる。リジェットをみるクゥール様の目には慈愛が滲んでいた。






「セラージュ、負けちゃったね」

 いつの間にこちらに、きたのか。先ほどリジェットに急所を攻撃され、痛みに座り込んでいた私の目の前に、クゥール様が立っていた。

「いつからいらしたのですか?」
「ん? さっき。リジェットがちゃんと勝ったところは見ていたよ?」

 その答えに、私は顔を歪ませる。嫌な部分もしっかり見られていたようだ。わざわざこちらに来るなんて、それだけリジェットのことを気に入っているのだろう。

「貴方はこれからもリジェットを庇護し続けるのですか?」
「だってあの子、目を離すと危険なことばかりするんだもの。……あの子第二王子に気に入られたかもしれない」
「⁉︎ それはどういうことですか! あの子は第二王子にお目通りしたのですか⁉︎」
「うん。とっても不本意な形でね。あのバカ王子が勝手にうちに侵入したことがあったんだけど、その時リジェットが都合悪くいる時でさあ。あの子が極上の笑顔を彼奴に向けたもんだから、彼奴、顔真っ赤にしててさあ。……あれはリジェットに落ちたと思うよ。よりにもよって、革新派の第二王子に好かれちゃうなんてリジェットも悪運が強いよね」
「だから、早めにギシュタールに嫁がせようと思っていたのに……、あの子は‼︎」
「あ、やっぱり。セラージュは王族の継承問題にリジェットを絡ませたくなかったんだ」
「当たり前でしょう! オルブライト家は伯爵家ではありますが、先の大戦の領地の切り分けで結果的に二番目に大きな領土を持ってしまっていましたから……。先代がアーノルドに切り分けていなかったら、今頃国内最大領地を持つ貴族になっていましよ」
「第二王子が生まれた時期に領土を切り分けたヒノラージュは危機管理能力が高かったよね。……まあ、その配慮もリジェットが台無しにしてしまったけど」
「本当に……。母上は先読みに長けた、優れた領主でしたね」

 その言葉にクゥール様は微笑む。

「ああ……リジェットはどこまで国を引っ掻き回すのだろう」
「あれ、セラージュに言ったっけ? 僕リジェットに出会う前、リジェットがどういう子なのか、カードで占ったんだ。それがさあ、聞いてよ、面白いカードだったんだよ」
「聞きたくない……」

 顔を両手で覆い、ぶんぶんと横に首を降った私の抵抗も虚しく、クゥール様はカードの目を告げた。

「カードの目はね、反逆者・革命・弱者だったよ。なんだか今思うとリジェットを表す三点セット、って感じがするなあ」

 革命、弱者はまだわかる。しかし反逆者という言葉は見逃せない。

「リジェットは……反逆者になり得るのですか?」

 恐る恐る聞くと、クゥール様はポカンとした顔をした。

「そっか、セラージュは知らないんだっけ? リジェットが持っている大剣があるでしょう? あれ、王家の継承物の一つの反逆者の剣ってやつだよ?」

 思っても見ない言葉に目が飛び出て地面に落ちてしまうかと思った。
 リジェットが愛用している大剣はラザンダルクとの大戦時に戦利品として持ってきたはずのものだ。持ち上げることにも一苦労してしまう、使い所のない剣だとは思っていたが、まさかあれが王家の継承物だとは誰が思うだろうか。
 驚いて言葉も出ない私を放置し、クゥール様は言葉を続ける。

「あれは反逆精神のあるものにしか靡かない、偏屈な性質を持つ剣だからね。きっと、女だから騎士になれないという事実に楯突いたリジェットに共鳴したんだろうね。剣自体が主人だと認めたものには、思った通りに変化する頗る使い勝手のいい魔剣になるよ」
「なるほど……。それで……」

 私は先ほどの戦いで、リジェットとの間合いがうまく取れなかったことを思い出した。きっと剣自体が大きさを変えたことで、視覚的に揺さぶられたのだろう。

「はあ……。セラージュに勝ったってことはリジェットは王都に行っちゃうんだよね……」

 ため息をつくクゥール様はなぜか父親であるはずの私より父親らしい表情をしてリジェットを見ていた。

「クゥール様はリジェットが王都に行くことに本当は反対なのですか?」
「うん、だって王都ってロクでもない奴がたくさんいるじゃないか。
 王族なんて序の口だよ? 他にも教会関連者、魔法省、もちろん騎士団……。あと忘れちゃいけない、シュナイザー百貨店の代表のレナート! あいつ食えない奴だからなあ……」

 そうか、リジェットはシュナイザー百貨店の連中とも商会関連でつながりがあるのか。リジェットなんて絶好のカモだからね、と呟くように言ったクゥール様の言葉にぞわりとする。
 そんな人々の思惑が混じり合う、魔窟に私の娘は旅立つのか……。

 私がリジェットを心配するのは親として当然のことだが、クゥール様がここまでリジェットを心配するのは意外だった。

「クゥール様は、リジェットが心配なんですね」
「うん。だってあの子、僕の一番お気に入りのおもちゃだもん。他の人に壊されたら、嫌だなあと思って。……でもリジェットは決めたら一直線で頑なだから、いずれこうなってたんだろうな……」

 リジェットがここまで頑なな子供だったということに私はここまで気付いていなかった。クゥール様にさえ、わかっていたそれに戦いを挑まれるまでに気が付けなかったことが今回の敗因だろう。

「私は膝をついてしまった、その事実は覆らないのだから。
リジェットの騎士学園への入学を認めねばならないだろう」

 私を倒したら、入学を許可する、そう約束したのは私だった。

「良いのですか旦那様」

 クゥール様が茶化すような口調で旦那様、の部分を強調して言った。

「なんですか、その呼び方は」
「セラージュはこの家の当主だろう? 君にとって女児であるリジェットは領地経営のために有効な駒だろう? 彼女は婚姻によって領地間を結ぶことができる……そう今まで思っていたはずだろう?」
「今まではそう思っていました。今はそんなこと思っていませんが。私は今になってリジェットの資質を読み間違えていたかことに気がついたのです。ジェットは紛れもなく、オルブライトの女たちが持っていた資質を持つ子供であると」
「オルブライトの女たちの資質?」

 クゥール様は不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。

「ああ。母上も姉上も、その昔の先祖の女たちもそうだったと伝えられていますから。いつだってしなやかに自分の願いを叶えて見せる。気が熟すのを待つ忍耐力と、計画を実行するための緻密な努力も忘れない」
「リジェットはあんまり緻密って感じじゃないけど……。結構大胆じゃない?」
「クゥール様はリジェットをよく見ていらっしゃるのですね。私は最後まであの子の資質を見抜けなかった」

 私は目を瞑り、先ほどの戦いを思い出した。
 
「急所は弱いと言うこと自体は誰でも知っていることですからその鎧には魔法陣を描き、ダメージを受けても破られぬよう、特殊な素材を使っているのです。それが……この様だ」
「あらら!」

そこにはバラバラにくだけだ、鎧の一部が落ちていた。

「私が見落としていたのは、あの子の才能だ。騎士としての才能、というものは武芸の才能である、と決め付けていた私が愚かだったのだ。
 __才能というものは総合的な能力だ。
 腕っぷしが強いだけであれば、それは強い人間であるとは言えない。どんなに力を持っていても問題に立ち向かうことができなけれは、それはだたの腑抜けだ。
 判断力、思考力、応用力、創造性……。様々な能力を持って、自分の肉体を使いこなせたものだけが、初めて本当に強い騎士になれる。
 そのことをリジェットは誰よりも理解していただけだ」
 
 私は先ほど剣を交えた際のリジェットの赤い瞳の中に煌々と輝く、闘士を思い出しながら今の思いを口にした。

「もしやあの子はこの家で一番、騎士としての才能がある子供なのかもしれない」

その言葉はリジェット本人に届くことはなく、空気の中に溶けるように消えていった。


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