氷の公爵と呼ばれた旦那様はただのヘタレですし、妻の私は子猫です

菜っぱ

文字の大きさ
12 / 69

その出会いはただの事故5

しおりを挟む

「君……これはどういうことだ?」
「申し訳ありませんっ! 高貴な方のお目汚しをっ!」
「ああ……。悪い。怒っているわけでは決してないんだ」

 シャルルはミラジェの背中をなで、優しく慰めようと努める。震えるミラジェの様子は痛々しかった。

「誰にやられたんだ? ……これは命令だ。答えなさい」

 自分よりも身分の高い人間に命令されてしまうと、ミラジェは正直に答えることしかできない。

「……家族です」
「家族?」

 ということは虐待か。もしかしたら、異様に軽く細い様子をみると、この子供は食事も満足に与えられていないのではないか。

「この様子では、腕以外の場所にも傷があるのではないか?」
「っ!」

 その遠慮のない問いかけに、ミラジェは目を大きく見開いた。

「もしそれがあったとして……あなたには関係のないことでしょう……?」

 か細く、消えそうな否定は涙に濡れていた。

「ああ。関係はない。だが、このまま君をもとの場所に戻したら……。間違いなく、加虐を受けるのだろう? それを想像するだけで寝覚が悪いな」

 恐ろしく冷ややかな声だった。ミラジェの家族の傲慢さとは違う、格上の地位を持つものの、逆らうことを許さない、絶対的な響き。

「大人しく服の下を見せなさい」

(どうしてこんな目に遭うの……?)

 ミラジェは泣きじゃくりたい気持ちでいっぱいだった。

 体調不良で逃げ込むように入った部屋があの、シャルル・エイベッドの控室だなんて、誰が想像するだろうか。
 自分への虐待が家外の人々へばれてしまったら、ミラジェの家族は間違いなく後ろ指を刺されてしまうだろう。
 そうしたら、自分は生きていけるだろうか。男爵家の人間に完全に洗脳されきってしまっていたミラジェには男爵家の呪縛からとかれ、家を出ると言う選択肢が全く思いつかなかった。

 悲しいことに、ミラジェはこのままシャルルに泣きつけば家を離れられるとは思えずに、家に戻ったら、また激しい折檻が待っているのだ、と思い込んでしまっていた。

 ぐちゃぐちゃの感情のまま、フリーズしながら固まっていると、ヌッと横から見慣れぬ男が現れた。服装からして子の男はどうやら、シャルルの従者らしい。光の中に溶けてしまいそうな薄い金色の髪に、ヘーゼルブラウンの瞳を持ったメガネ姿の男は、小さく遠慮がちに手を上げながら、話に割り込んでくる。

「……あの。恐れながら、坊っちゃん。あまりにもそういった方面に整えられたこの場で、そのセリフは……。いかんせん誤解を生みますよ?」
「は?」

 シャルルはポカンと口を開ける。

「……。坊っちゃんはお気づきではないかもしれませんが、そのポーズと言葉だけを抜粋すると、少女趣味がある高位の人間が、逆らえない少女に迫っているように見えます」
「はあ? そんなわけないだろう? 俺はこの子供のことを心配してだな……」
「貴方様の情が深く、お人好しなところは、評価すべき美点だとは思いますよ? しかし、面倒ごとに自ら足を踏み入れていくのはどうかと思います」

 ミラジェは内心、従者の言葉に賛同する。

(そうよ! 私のことなんて放っておいて!)

 これ以上、このどうみて自分とは立場の違う人間の近くにいたくない。ここに長い時間いたら、何か大きな問題に発展してしまいそうな予感がする。
 そう思って逃げ出そうとしたのに、シャルルは首を縦に降らなかった。

「だからといって、傷の具合を確認しないわけにはいかないだろう。子供への虐待は間違いなく罪だ。私は高位の人間として、この子の家族を罰する必要が出てくるだろう」
「つみ?」

 その言葉を聞いて“つみ”が“罪”だと理解するのに数秒を要した。
 ミラジェにとって家族がミラジェに与える行いが咎められる事態だ、ということが思いつかないことだったからだ。ミラジェはどこかで、自分はいらない子供なのだから、折檻されるのは当たり前だと思ってしまっていた。
 しかし、側から見るとそれはあまりにも暴論的で、ありえないルールなのだ。

 ルールの外にいる人間はその異常さをいとも容易く指摘をしてしまう。

(もしかして、この人に助けを求めれば、私は……もうひどい目には遭わないのかしら)

 ミラジェは無性に泣きたくなった。現に、目頭は熱く、涙を少しずつ生み出している。

「必ず、君を悪いようにはしない。だから、服の下を見せてほしい」

 低く、落ちてくるように響いたその声は優しくミラジェの体に染み込む。
 抵抗するのも、しんどくなってしまったミラジェはもう考えることをやめた。

 首元のボタンに、シャルルの手が伸びる。一つ一つ丁寧にボタンが外され、今まで立ち襟に隠されていた首の皮膚が空気に触れる。
 ミラジェの傷が、シャルルの目に晒されてしまう。

「これは……酷いな」

 シャルルは憐れみで、顔を顰めた。

(氷の公爵とよばれた人が見て顔を顰めるほど私の姿は醜いのだわ……)

 ミラジェがポロリと涙をこぼした瞬間、何者かによって、閉められていた入り口扉がバン! と、無作法なほど大きな音を立てて開いた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~

紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。 ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。 邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。 「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」 そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで

越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。 国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。 孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。 ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――? (……私の体が、勝手に動いている!?) 「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」 死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?  ――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!

悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。

ねーさん
恋愛
 あ、私、悪役令嬢だ。  クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。  気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

前世の記憶が蘇ったので、身を引いてのんびり過ごすことにします

柚木ゆず
恋愛
 ※明日(3月6日)より、もうひとつのエピローグと番外編の投稿を始めさせていただきます。  我が儘で強引で性格が非常に悪い、筆頭侯爵家の嫡男アルノー。そんな彼を伯爵令嬢エレーヌは『ブレずに力強く引っ張ってくださる自信に満ちた方』と狂信的に愛し、アルノーが自ら選んだ5人の婚約者候補の1人として、アルノーに選んでもらえるよう3年間必死に自分を磨き続けていました。  けれどある日無理がたたり、倒れて後頭部を打ったことで前世の記憶が覚醒。それによって冷静に物事を見られるようになり、ようやくアルノーは滅茶苦茶な人間だと気付いたのでした。 「オレの婚約者候補になれと言ってきて、それを光栄に思えだとか……。倒れたのに心配をしてくださらないどころか、異常が残っていたら候補者から脱落させると言い出すとか……。そんな方に夢中になっていただなんて、私はなんて愚かなのかしら」  そのためエレーヌは即座に、候補者を辞退。その出来事が切っ掛けとなって、エレーヌの人生は明るいものへと変化してゆくことになるのでした。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

処理中です...