氷の公爵と呼ばれた旦那様はただのヘタレですし、妻の私は子猫です

菜っぱ

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おや……妻の様子がおかしい…… 8

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 儀式が行われる教会に向かうと、入り口前にはエイベッド家を慕う領民たちが集まっていた。
 シャルルは、微かに微笑みを浮かべ彼らに手を振る。珍しく笑顔を見せた領主の姿に領民たちは湧く。

 ミラジェもシャルルの様子を真似て笑みを浮かべながら、教会へと入っていく。可愛らしい様子の領主夫人の姿は多くの領民にとって好意的に受け入れられた。

 教会の中には、国の中でも有数の権力者である貴族たちが立ち並んでいた。その中に、王が隠れるように紛れていたことには、唖然としたが、儀式自体はスムーズに進んだ。儀式内では特に難しいことは要求されない。ベールをあげ、妻となるミラジェの顔を確認するだけで終わる。

 先ほど控室で受けた、騎士の誓いの方がよっぽど恥ずかしく、照れてしまうものだった。

「ここに新しい夫婦が誕生いたしました」

 わあ! っと大きな歓声が上がる。 
 その時だった。

「ちょっと待ちなさいよ!」

 そこに水を刺すように、女の甲高い声が響いた。
 声が聞こえてきたのは入り口からだった。
 ミラジェは驚いて、そちらに視線を向ける。そこにいたのはアングロッタ男爵家の二人の姉だった。どうやら声を上げたのは上の姉だ。

 下の姉は綺麗に着飾られたミラジェの姿を見て、驚いて目と口を広げていた。

「シャルル・エイベッド様! その娘はアングロッタ家の末の妹……。愛妾の血を引く、下賤な人間なのです! あなたに釣り合うような身分ではありません。この結婚は何かの間違いなのです」

 と、上の姉が。

「ミラジェ! 立場を弁えて、この場をさりなさい!」

 と、下の姉がいう。

 減点一。
 その言葉を上の姉が言った瞬間、ミラジェはアングロッタ男爵家の未来が閉ざされたことを悟る。姉は、『間違いだ』と言った。この結婚は王命。それを否定したということは王の決定にケチをつけたということになる。地盤が強固で、王家も無下にできないような家ならまだしも、アングロッタ男爵家はさほど力のある男爵家でもない。

 そんな小さな家を取り潰すくらい、王家にとってもエイベッド家にとっても、簡単なことだった。

 ミラジェはやっと尻尾を出したか、目を細める。これは自分の結婚式だ。自分の心の底に眠る薄暗い記憶の根源がこの日を境に消えるだなんて、とっても気分がいいじゃないか。

「あなた方は何か勘違いをされているようですが、この方は私の娘です。あなた方の家の娘ではありません」

 横からミラジェを守るように声をかけたのは、新たにミラジェの養父となったテイラー侯爵だった。

「はあ? あんた誰?」

 教養のない姉たちには、侯爵が何者か分からなかったようだ。顔を歪め、不敬な態度をとる。

 減点二。
 国の産業を支える大領地の領主を知らないなんて、なんて不勉強なのだろう。そういえば、姉たちは甘やかされていたため、勉強をしなくても義母や父に怒られるようなことはなかった。その甘さが、この暴挙を起こすきっかけになるとは、二人とも思いもしなかっただろう。

 ミラジェはこんな場に出てまでかつての妹を糾弾しようとする姉たちを、率直に可哀想だと思った。

(この人たちもある種被害者なのよ。父に口封じのように金を渡され教育を放棄されたんだもの……)

 きっと、彼らにだってやり直せる分岐はたくさん用意されていたのに。一つも選べず、消えていくなんて可哀想。
 せめて、引導を渡すのは自分でないと。そうミラジェが思ったときだった。 

「この結婚を取り決めた人間は誰なのよ! 頭がおかしいんじゃないの⁉︎」
「君たちは私の決定がそんなに気に食わないのか……」

 上の姉の脳天を刺すようなヒステリックな声に、揺るぎない声で返したのはひっそりと儀式に参加していた国王陛下だった。

(おや。陛下はこの不敬極まりない姉たちに、ご自分で引導を渡すつもりかしら)

 貴族の顔と名前が一致しないほど不勉強な姉たちでも、この国の王の顔は流石に知っていたようだ。まさか、という表情を浮かべたまま、はくはくと陸にあげられた魚のように苦しげに呼吸をする。

「ど、どうしてここに陛下が⁉︎」
「君は知らなかったかもしれないがこの結婚は王命だ」

 シャルルが低く静かな声で姉たちに諭すように言う。

「この儀式を台無しにしたことに、早めに気づけていたならば、シャルルを慕う若い女性の狂乱として、内々にことを収めることもできたが、そこまで言われてしまうと、反逆罪になりかねないな」

 酷薄な笑みを浮かべる陛下の言葉に姉たちは顔を真っ青にした。

 儀式会場は緊張に包まれていた。
 固まり身動きも取れない姉二人に、ゆっくりとミラジェは近づいていく。静まり返った教会内に、ミラジェが纏うドレスの着連れの音だけが響く。

「ミラジェ?」

 シャルルは自分の隣から離れて行こうとするミラジェの様子に違和感を持ち、声をかける。しかしその声はミラジェには届いていなかった。

 ミラジェは信じられないくらい冷たい、薄ら笑いを顔に浮かべていた。

 姉の目の前までやってきたミラジェは姉たちの耳元で囁く。

「……そうですね。あなた方がいう通り、元々の私は汚れていたかもしれません。でも今は、戸籍も、美しいものにかわり、伯爵位を賜りました。この婚姻が無事に結ばれたら、その瞬間、公爵位です。……あなたとはもう、立場が違うのですよ」

 淡々と、低く耳に届く声に、姉たちはひゅっと息を呑む。

「弁えるのは、あなた達の方です。男爵家のみなさん?」

 にっこりと悪辣な笑みを浮かべるミラジェを見て、長女であるエイミーは顔を引き吊らせる。
 いつも従順に、自分の言うことを聞いていたはずの妹が、見たこともない、人を見下す冷たい顔をして自分を眺めている。

 怖い。姉たちは本能的に思った。
 先程の陛下の言葉ももちろん恐ろしかったが、ミラジェの囁きには、静かな憎しみがこもっていた。

 自分たちは絶対に、やり返されるだろう。そう理解してしまうほどの威圧感。そんなものを妹に感じたことは今までなかった。

(この子は……一体、誰なの?)

 彼女たちは眠れる獅子を叩き起こしてしまった頃に未だ気づかずにいた。

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