約束の虹は8色に輝いて

鐘雪花(かねゆきはな)

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第6章 希望

第1話 公国豪商の次男

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◆◇◆◇◆ ◆◇


 マスカーチ公国は大国ヌフ=ブラゾン王国の属国であり、23代目マスカーチ公主が治める大陸唯一の公国である。
 しかしその実態は、公国内の力を持った豪商が分割統治する自治領のようなものであった。

 その中でも、ピケノ=オエスシィ家は、2番目に力を持つ豪商の家であった。
 扱う商品は、主に武器や防具。
 平和が訪れて久しい昨今では、もっぱら金持ちの道楽として売買されているものばかりである。

 ……そして、その剣は店の中でもひときわ目立つ場所に飾られていた。
 鞘には茨と王冠の銀細工が施され、柄の部分には深く穏やかに輝くエメラルドが埋め込まれている。
 見るからに高価な品であり、購入したいと申し出る客人は後を絶たなかったが、実際に買い上げた者はいなかった。

 なぜなら……
 その剣は、だれにも抜くことができなかったからである。

 古い剣で、中が錆びついてしまったのか?
 それとも、だれかが故意に接着したのか?
 はたまた、抜けなくてよい装飾品なのか?

 剣が抜けない理由を知らない富豪たちには、ただの不思議な剣でしかなかった。
 しかし、敬虔なクリスタン教徒にとっては、それは当たり前のことであった。

 この剣が抜けないうちは、世の中安泰なのです。
 ピケノ=オエスシィ家先代当主ジョアキム・ピケノ=オエスシィは、クリスタン教徒ではない客人にこの剣が抜けない理由を聞かれるたび、そう答えていた。

 それで納得して帰る客もいたが、それならこんなところに飾っておかないでしまっておけと怒鳴り散らして帰る客もいた。

 最初から売るつもりもない剣を、店頭に並べている……
 それは、幼い頃のノウェムにとっても不思議なことだった。

『父さん、どうしてこの剣を並べておくの? 大事なものなら、店奥にしまえばいいのに』

 普段はろくに会話もしない、そりの合わない父に聞くしかなかったのは、年の離れた兄が2代目当主となることが決まり、忙しくなってきたため。
 自分の店を継ぐ者が正式に決定し、時間に余裕ができたジョアキムは、いつもなら「仕事の邪魔をするな」と一喝するところだというのに、この質問には機嫌良く答えてくれたのだった。
 いや、機嫌良くというよりは……

『この剣はな、アゴスティーノ。いつか必ず現れる持ち主に、とんっっでもない高値で売りつけるために置いてあるのさ。この世界の平和のために、絶対に必要なものだからな。こちらがどれだけ高値をつけようと、向こうは言い値で買うしかないってわけよ!』

 なはははは、とジョアキムは決して客には見せない顔で高笑いした。

 幼かったノウェムは、毎日店の手伝いに追われて、クリスタン神話を熟読している暇などなかったため、剣に関する詳しい事情は知らなかった。
 だが、父のこの顔を見れば、何かよからぬことを企んでいることは一目瞭然である。
 ノウェムは、いずれ必ずこの剣を購入しなければならない人物に、心の底から同情した。

 ……まさか、その人物がだれあろう自分自身だなんて、あの頃は夢にも思わなかった。

 さて、困った……
 商売上手な父から、いったいどうやって安値で売ってもらえばいいのだろう……
 今のノウェムには、店先に飾られた希望の剣を、父の言い値で購入する稼ぎなど、これっぽっちもなかった。


◆◇◆◇◆ ◆◇


 家を出ると決めたあの日、何がなんでも持って出てくればよかった。
 そうすれば、今になって気まずい里帰りなんてしなくてすんだのになぁ……

 重いため息が地面に吸い込まれていく。
 軽い荷台を引きながら、ノウェムは空を仰いだ。
 抜けるような青い晴天の中を、一羽のカモメが旋回している。

 ああ、懐かしいな。
 帰ってきたって感じがする。
 ……本当は、帰ってきたくなかったけどな。

 ヌフ=ブラゾン王国を出発して3日目の午後。
 伝説の剣に選ばれし者たちは、小国マスカーチ公国を目指して、内海沿いの道を南下していた。

 道の右側は緩やかな崖になっていて、足元を見下ろせば群青色の大海原が広がっている。
 一行の先頭は荷台を引くノウェムなので、前方の港に停泊している小型船舶もよく見えた。

 長い道のりだったが、もうすぐ到着である。
 と、そのとき。

「……ん?」

 ノウェムの隣を歩いていたフィオが足を止め、手庇で崖下の海を凝視していた。
 その顔には「とんでもないものを目撃してしまった」と書いてある。

 荷台に腰掛けていたレードル姫が「どうしたの?」と尋ねると、フィオは口をパクパクさせながら大海原を指さした。

「あ、あの……あれです! レードル姫様なら、はっきり見えるかも……」
「……あら? もしかして、人が歩いている……?」
「えええっ!? ぼくも見たいです! どこですか!?」
「ターメリック、あまり騒ぐと海に落ちるぞ」

 崖下に身を乗り出したターメリックを、クィントゥムが杖で制している。
 普段は感情を表に出さないクランですら、荷台に腰掛けたままだが、視線は海上に釘付けのようだ。

 ……ふふっ、みんな驚いてるな。
 たったひとり、仲間たちが何を見ているのかわかっているノウェムは、彼らの反応にほくそ笑んでいた。

 水平線の向こうに、人影が見える。
 それが、だんだんと崖下に近づいてくる。

 ……海の上を、だれかが歩いてくる。

「や、やっぱり、あれって人ですよね? あたしの見間違いじゃないですよね??」

 最初に目撃したフィオが、仲間たちの顔を忙しなく見回している。
 仲間たちもまた、こくこくと頷いていた。
 しかし、フィオと目が合ったノウェムは、にっと笑ってみせた。

 さて、そろそろ呼んでみるかな。
 海の上を歩く人物に向かって、ノウェムは大きく手を振った。

「おーい! クワトローっ!」

 大声で呼びかけると、海上の人影もこちらに向かって手を振り返してきた。
 ターメリックが「ええっ!?」と声を上げてノウェムを見つめている。
 ノウェムが「知り合いなんだ」と答えると、レードル姫が荷台から飛び降りて、自慢の視力を活かして目を細めた。

「……あら、遠くにいるから小さく見えていたのかと思ったけれど、本当に小さいのね……子どもかしら」
「ああ、あいつはオレの家で商人見習いとして働いてるんです。オレの兄貴の補佐役なんですよ。で、ああやって海の上を歩くのが日課なんです」
「え!? もしかして、魔法!?」
「いや、あれは大海原の精霊の力らしい。オレも詳しくは知らないから、本人に聞いてみようぜ」

 ノウェムが海の上に向かって声を張り上げようとした、そのとき。

「……お前が、ノウェム・アゴスティーノか」

 突然、地鳴りのような声が響き渡った。
 え、な、なんだ……?
 名前を呼ばれたノウェムは、あたりを見回した。
 しかし、そこにいるのはノウェムと同じようにキョロキョロしている仲間たちだけである。

 気のせいか、と思ったそのとき。
 崖に背を向けて立つノウェムのさらに背後から、筋骨隆々の大男が現れた。

「え!?」

 ノウェムの声が上ずった。
 それもそのはず、ノウェムと崖の間には、人が立てる隙間なんてないのだ。
 そこに突然現れたということは、この男が地面の中から現れたことを示している。

 男の姿は、さながら大地の守り神のよう……
 人間じゃない……いったい何者だ……?

 ノウェムが思わず後ずさると、男はノウェムを睨みつけたまま、ずりずりと距離を詰めていく。
 そして、

「ふんっ!」

 男はノウェムを思いっきり突き飛ばした。

「えっ……あ」

 ノウェムは驚くまもなくバランスを崩し、そのまま崖下の海へと落ちていった。

 大男の後ろで目を丸くする仲間たちの顔が、どんどん小さくなっていく。

「うわあぁぁ~……」


つづく
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