濁らないあなたへ

そらいろ

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それは「音楽」

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「登れたじゃん」
「うん。ありがとう」
「いいっていいって。さ、入って」

 鍵を回して悠生は家の扉を開けた。
 人の家になんて足を踏み入れた経験が今まで生きてきて無い。悠生と出会ってからまだ数時間しか経っていないのに、これまで夢にも見なかった経験を沢山重ねている事実にまた心が踊った。

「適当に座ってー。お茶でいい?あ、お酒?」
「お茶で……大丈夫」

 玄関からでも分かった。狭いワンルーム。
 悠生がさっきまで背負っていた物とは違うギターが壁に立て掛けてあったり、棚には沢山のCDやレコード、譜面が落ちていたり、恐らく寝床らしきシングルのマットレスの上にはヘッドホンが無造作に置かれていた。部屋の中央にある唯一の丸いテーブルはパソコンと少しの機材でいっぱいいっぱいだ。 
 音楽に囲まれている。

「すごい……」

 あまりに自身と違う部屋の在り方に思わず声に出た。

「よっと……。ごちゃごちゃだけど、どうぞー」

 テーブル上にあった機材を床にがさがさと追いやって、お茶の入ったグラスを2つ置く。

「歌うの、ホントに好きなんだね」
「んー。そうねー。嫌になる時もあるんだけどさ、俺にはこれしか無いって思ってるから意地でも頑張ってるって感じかな」
「俺は好きだよ。悠生の歌」
「やっぱ恥ずいわ。そんなマジな顔でストレートに言われたら」
「悠生の音楽、沢山聞かせて?」

 悠生は「これ、つけてくれる?」とパソコンとコードで繋がったヘッドホンを薫に渡した。夜も更けて隣接している他の住人に迷惑だから、というのが理由だろう。

「うん」

 受け取り装着すると、いつもと違う重みと感覚に違和感を頭に感じた。ほんの些細な違いなのに、それだけ自身のイヤーマフと長い歳月共に過ごして慣れてしまっているのだと実感する。

「流すね」

 少し緊張しながらもこくんと頷くとワンテンポ置いて曲がヘッドホンから流れ始めた。
 始めの一音。そこから呼吸を忘れてしまう……というより、したくなかった。空気を吸う音さえ邪魔で流れる音を、声を、歌を、零さずすべて手の中に掬うようにただただ聞きたかった。

(これが……音楽……)

 薫が今まで聞いた音楽とあまりに違いすぎた。何もかも歪んでいた。そんな音楽しか知らなかった。欠点だらけの音を不気味な抑揚に乗せて繋いだだけのようで、気持ちが悪い存在だった。が、今聞いている曲は全く違う。どれもがクリアに繋がり傷のない世界がヘッドホンから鼓膜へと伝え広げられていた。

(声……音に乗ってる……)

 音に合わせるように悠生の声が重なりあった。あまりに綺麗に響くので、鳥肌が立つ。

「好き……」

 目を瞑った状態で、思わずそう声に出る。
 音を感じることが幸せだなんて、薫にとって初めて思えた夜だった。
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