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8章「答え合わせをしましょうか」
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十一月一日。
私はユイ先輩へ送ったメッセージ通りに、夕方五時頃、学校にやってきていた。
昇降口前で壁に寄りかかりながら待っている先輩を見つけて、つい顔が綻ぶ。一ヶ月ぶりに見る先輩は、やっぱりなにも変わっていなかった。
「──……ユイ先輩」
私が声をかけると、ユイ先輩はぱっと勢いよく顔をあげた。ほんのわずかに伸びた銀髪の下で、真珠のように透き通った瞳がこちらを捉える。
驚愕や焦燥が入り混じる、新月の夜の色だった。
「す、ず?」
どこか呆然とした様子で私を見て、幻覚だとでも思ったのかごしごしと目を擦る。
私の車椅子を押しながら様子を見ていた愁が「ガキかよ」と投げやりにつぶやいた。
「なんで、ここに……」
「なんでって、私、今日この時間にって言いましたよね?」
「い、言ったけど。まさか鈴が来るとは思ってなかったというか……だって入院、は」
どうやらユイ先輩は、本当に動揺しているようだった。まあ無理もない。
今日のこれは、私としても一種のサプライズのようなものだった。
いたずらに口角を上げながら、私は愁に押されてユイ先輩の方へ近づいていく。
「今日は特別ですよ。先輩」
「……外出許可を出してもらったんだよ。でも今の姉ちゃんは、酸素マスクなしに長く動けないんだ。ここにいられるのは三十分が限界だからな」
「三十分」
愁の言葉を反芻して、ユイ先輩が当惑したように私を見下ろす。
この会わなかったたったの一ヶ月で私が酸素マスクを要するようになったことに、少なからず戸惑いを隠せないらしい。
「おれは母さんたちと外で待ってるから。三十分後、またここまで迎えに来る」
じゃあね、と愁はさっさと踵を返して行ってしまう。愁は愁なりに気を遣ってくれているんだろうなと苦笑しながら、私はそのうしろ姿を感謝の気持ちで見送った。
「ユイ先輩」
「……鈴、本当に大丈夫なの? 無理しなくても、俺が会いに行ったのに」
「ああ、違うんです。私が、来たかったんです」
最期に、という言葉は続かなかった。けれど、ユイ先輩はちゃんとその音を聞き取ったらしく、くしゃりとその綺麗な顔を悲し気に歪める。
出会った頃と比べれば、先輩もずいぶんと感情表現が豊かになった。
もう人形ではないことなど明白だ。たとえ誰であっても、ユイ先輩の心の繊細さに気づいてくれるだろう。ひとりの人間として、彼を見てくれるはず。
それが嬉しくて、私はふたたびユイ先輩の名前を呼んだ。
「屋上庭園に連れて行ってくれませんか」
「っ、え」
「私、車椅子だと階段上れないし。ちょっとだけ甘えさせてください、先輩」
私と車椅子を交互に見て、ユイ先輩はおずおずとうなずいた。ようやく現状を呑み込んで、いつもの落ち着きを取り戻したらしい。
私に背中を向けてしゃがみこみ、躊躇いがちにこちらを振り返る。
「おんぶでいい?」
「はい、ありがとうございます」
体をずらして雪崩込むように寄りかかると、ユイ先輩はしっかりと私を受け止めて立ち上がった。先輩のさらさらな銀髪が頬を撫でて、ほんの少し擽ったい。
「あはは、高い」
「そこまでじゃないでしょ。俺、平均身長だし」
久方ぶりに感じる先輩の優しい香りに、私は自然と頬を摺り寄せながら緩ませた。
「もう長いこと、ベッド以上に高い視線を経験してないんですもん」
「それもそうか」
ユイ先輩は納得したように相槌を打ちながら、やっと少し微笑んでくれた。
「じゃあ、行こうか。具合が悪くなったらすぐに言って」
「ふふ。はーい」
以前もこんな会話をしたような気がする。記憶が全体的に曖昧でもうハッキリとは覚えていないけれど、きっとどこかで同じ会話をしたんだろう。
「というか先輩、なんかちょっと痩せました?」
「……それ、君が言うの?」
「んー、私はもう仕方ないですけど。先輩のことだから、きっとごはん食べるの忘れるくらい、描くのに没頭してたんでしょう? 沈んだら戻ってこないんだから」
図星だったのか、ユイ先輩はぐうと押し黙った。
相変わらず絵に囚われているのは変わらないな、とつい吹きだしてしまいそうになるが堪えて、先輩の肩にことんと頬を預ける。
服越しでもじんわりと体温が伝わってきて、全身が弛緩していく。
「鈴?」
「少し、くっつかせてください。屋上庭園に着くまででいいですから」
そうねだると、先輩は狼狽えてその場でたたらを踏んだ……気がした。
それから私たちは、なんとなく屋上庭園に着くまで会話をしなかった。
けれど、そんな静寂が不思議と心地いい。きっとユイ先輩でなければ、私もここまで自分を預けられなかっただろう。どこまでも遠い場所にいたはずの先輩が、こうして誰よりもそばにいるのは、やはりどこかこそばゆい想いもあるけれど。
──奇跡、みたいだ。こんな幸せに満ちた時間は。
「……着いたよ、鈴」
歩き慣れた通路を行き、相変わらず人気のない屋上庭園に降り立ったユイ先輩。
私を桜の木の根元に置かれたベンチへそっと下ろすと、もう隠すことなく不安げな表情を曝け出しながら、向かい合わせになるようにしゃがみこんだ。
「体調、大丈夫?」
「大丈夫です。ユイ先輩はやっぱり心配性ですね」
「心配するよ。他ならぬ鈴のことだから」
私の手をそっと取りながら、ユイ先輩が楚々と立ち上がり隣に座った。
そのまま肩に手を回され、優しく引き寄せられる。図らずも先輩の肩に寄りかかる形になった私は、やや慌てながら「せ、先輩?」と問いかけた。
「寄りかかってた方が楽でしょ。それに、俺にも鈴のこと堪能させて」
「これ、堪能できてます?」
「できてるよ」
すり、とまるで猫が擦り寄ってくるように先輩が私の頭に頬を擦り寄せた。どうやら甘えてくれているらしい、と察した私は、ユイ先輩の手をぎゅっと握り返す。
「……ずっと、会いたかったです。ユイ先輩」
「……うん。俺も会いたかったよ、鈴」
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