モノクロに君が咲く

琴織ゆき

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8章「答え合わせをしましょうか」

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「でも、他でもない鈴の言葉だからかな。もうね、すごく響いたよ。毎日精一杯生きて、他愛のないことで笑って。そんな鈴がなんだか俺には眩しくて。見ていられなくて。だからこそ、触れてみたくなったんだと思う」

「触れて……?」

「うん。──鈴の、心に」

 ユイ先輩は名残惜しそうに私から離れて、た、た、と数歩うしろに下がる。
 そうして、枯れがかった色を重ねつつある桜の木を振り仰いだ。

「まだわからないことばかりだけど、俺がわからないことは大抵、鈴が答えを教えてくれるんだ。鈴は俺にとっての道標──羅針盤みたいなもので、いつでも、どんなときも俺の歩く道を照らしてくれる。きっとそんな鈴だから、俺は好きになった」

 ユイ先輩が微笑んだ。この世のなによりも綺麗だと、そう思える笑みで。
 当たり前に目を奪われて、私はただじっと先輩を見つめるしかできなくなる。

「……それとね。もうひとつ、やっとわかったことある」

「わかったこと、ですか?」

「うん。鈴が初対面で、俺の名前を間違わずに呼んだ理由」

 ユイ先輩の名前。頭のなかでその言葉をゆっくりと咀嚼してみるけれど、いまいち意味を汲み取りきれなくて、私は首を傾げる。

「初対面で俺の名前を間違わずに呼べる人って、なかなかいないんだよ。ほら、結生って、字が少し特殊だから。──鈴、ずっと前から俺のこと知ってたんだね」

 ああ、なるほどそういうことか。ようやく理解して、私はこくこくとうなずいた。
 ──春永結生。
 たしかに初めてこの字を見たときは、私もべつの読み方をしてしまった。
 おそらくユイ先輩は、私がこれまでのコンクールに出していたことに気づいたのだろう。今さら、と思わないでもないけれど、そこは先輩だから致し方ない。

「ユウキとかユウセイとかね。ユイって女の子みたいだし仕方ないことだって思ってたけど、意外とそれが俺にとっては衝撃だったんだ。初めてだったから」

「……ふふ。知らず知らずのうちに先輩のはじめてもらっちゃったんですね。私」

「うん。でも、俺にとっては、全部がはじめて。名前だけじゃない。キスだって、こんなふうに誰かを好きになるのだって、全部、鈴がはじめてだよ」

 紡がれる言葉が、あまりにも喉の奥が絞られるようにきゅっと詰まった。
 どうしてユイ先輩は、こうも心臓に悪いことばかり言ってくるのだろうか。
 先輩と一緒にいると、身体中の生命力がまだ死にたくないと訴えかけてくる。この世界で生きていたい。先輩とまだ一緒にいたいと、そう強く願ってしまう。
 たとえ叶いようのないことだとしても、この時間が一分一秒でも長く続けばいいのにと、そう願い乞わずにはいられないのだ。

「先輩は、ずるいですね」

「ずるい?」

「どれだけ先輩を好きにさせたら気が済むんですか」

 ユイ先輩の世界が色づいた。
 そのきっかけが私との出逢いだというのなら、それほど嬉しいことはない。
 だって、この世界でいちばん、私が心を向けた相手だ。
 今までもこれからも、未来永劫、ずっと変わらず想い続ける相手だ。

「──はなまるです、ユイ先輩」

 先輩がそのことに気づいたと同時、私もこの一ヶ月で気づきがたくさんあった。
 けれどそれは、きっと今、伝えるべきことではない。
 そう判断して、私はユイ先輩へと満面の笑みで両手を伸ばした。

「ご褒美です。私のこと、抱っこしてください」

 思いもよらない提案だったのか、ユイ先輩はきょとんとした。
 しかし、すぐにおかしそうに苦笑しながら私の方へ戻ってくると、いとも簡単に私のことを抱き上げる。非力そうな見た目のわりに、やっぱり先輩も男の人だ。
 そのままぎゅうっと腕のなかに閉じ込めて、ユイ先輩は優しく目元を緩めた。
 少し痩せすぎた体は、女性としての魅力はないかもしれない。けれど、こうして先輩に抱き上げてもらえるのなら悪くないとも思う。何事もやはり捉えようだ。

「これ、俺のご褒美なの?」

「だって先輩、前に甘えてほしいって言ったじゃないですか」

「言ったね。覚えてたんだ、鈴」

 ──先輩のことならなんでも覚えていたいから。
 心のなかでそう応えて、私はお返しのつもりでユイ先輩にぎゅっと抱きついた。

「これがご褒美じゃ、嫌ですか?」

「いや、まったく。むしろ最上級のご褒美だね」
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