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第43話 秘密の会合 老師の思惑
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濃霧が引き、あたりの視界がゆっくりと開けていく。
肌を刺していた霊気のような重圧も、潮が引くように遠のいていた。
イーゼルの気配が完全に消滅したことで、その場にはぽっかりと空いた虚無感が漂う。
フェイはメイセンを静かに下ろし、重くなった息を一つ、吐き出した。
エヴァは無言のまま剣を鞘に収め、リィはじっと、一つの幻影が消えた空間を見つめ続けている。
その静寂を、呑気な声が破った。
「──ああ、終わったのかよ。なんだ、もうちょい暴れたかったんだけどな」
肩に槍をかけたグライヴが、悠然と足音を立てて現れる。
どこか惜しむような顔で、荒れた草地を見渡しながらニヤリと笑った。
「まさか、こんなもんと戦ってやがったとはな。……いいねぇ、こういうの。久々にゾクゾクしたぜ」
フェイがちらりと横目を向ける。だが、何も言わずに視線を戻した。
その一瞥を受けながら、グライヴは言葉の調子を変えた。口元に笑みを残したまま、真顔の声音で言う。
「俺も混ぜろ。……仲間にしてくれ」
その言葉に、エヴァが一瞬動きを止めた。目を見開き、彼の顔を見る。
「えっ……?」
「はっ。ああいう“得体の知れねえの”とガチでやり合ってる奴らなんざ、そうそういねえ。だったら、俺もその側にいたほうが性に合う」
グライヴは槍の石突きを無造作に地面へ突き立てる。
軽やかに笑いながらも、その目には火が灯っていた。
「ただしな。条件がひとつだけある」
フェイの目が細くなる。
エヴァも身構え、言葉を飲み込む。
「この銀髪の騎士さんは、俺の“嫁候補”ってことで、ひとつよろしく」
「……」
エヴァのこめかみに、ぴくりと怒気が走る。
次の瞬間、剣の柄に手がかかっていた。
「今すぐ叩き斬るわよ」
「おおっと、怖い怖い。言ったろ? “候補”だって。まだ確定じゃねぇ」
どこ吹く風といった調子で、グライヴは肩をすくめて笑う。
フェイは呆れたようにため息をつき、視線をそらした。
「……まぁ、戦う理由は人それぞれだしね」
「おうよ! 俺は強ぇぞ? そっちのクマも認めてくれたしな」
グライヴがちらりとリィに目を向ける。
リィは沈黙を守ったまま、微動だにしない。
その気配に気づき、グライヴは顔を引きつらせながら肩をすくめた。
「……たぶん、気に入られてはいねえな」
「当然よ」
エヴァの冷ややかな一言が突き刺さる。
それでもグライヴは臆することなく、ふてぶてしい笑みを浮かべた。
「まあいいさ。嫁候補となら、長く旅もできるってもんだ」
「フェイ、ほんとにこいつ連れてくの?」
「いいんじゃない? 団長殿が良ければ」
フェイはそのまま、踵を返して歩き出した。
「……頭が痛くなってきたわ」
エヴァが小さくつぶやく。
その背中を追うように、グライヴ、エヴァ、そしてリィも並ぶ。
彼らの歩みが草原を抜け、帝都の方角へと向かっていく。
その空には、夜明けの名残が薄れ、すでに蒼天が広がっていた。
***
しばらくして、帝都の輪郭が、遠く霞む空の下にゆっくりと姿を現した。
白亜の城壁と聳え立つ尖塔群は、太陽を受けて輝きながら、静かに彼らを迎え入れようとしていた。
「……戻ってきたね~」
フェイがゆるり呟く。手綱を緩め、足並みを落とした馬の背で、遠い記憶の影をどこか懐かしむような眼差しを浮かべる。
「帝都って、なぜか気を引き締めなきゃって思えてしまう……」
エヴァが少し息を吐きながら、前髪をかき上げる。
その背後では、リィが無言のまま、大きな体を揺らしている。まるで、都市の喧騒を先取りするように、早くも疲れた気配を漂わせている。
「さぁて……帝都には何回かしかきたことねぇからな、腕試しがしたいんだかな~……」
グライヴが肩に担いだ槍をくるりと回し、満面の笑みで城門を睨みつける。
獲物を前にした猛獣のような、戦への渇きを隠そうともしないその姿に、エヴァが小さく溜息を漏らした。
***
白く、無機質な部屋だった。
石でも木でもない、密閉された人工の素材が、音と気配を完璧に封じている。
その中心に、卓と椅子。向かい合って座るふたりの姿があった。
天井から吊るされた小さな魔光灯が、互いの顔を仄かに照らしている。
静寂が満ちる密室には、ただふたりの呼吸だけが沈んでいた。
息を吸うたび、閉鎖された空間が僅かに収縮し、吐くたびにまた膨らむような錯覚すらする。沈黙は、鋼線のように張りつめ、わずかな振動も許さない。
「……例の封印、揺らぎ始めているようです。森の奥、あの“封印”が……再び脈動を始めました。やはり内部から手引きしている者がいるようです」
机の向こうで報告する男の声には、抑えきれぬ緊張が滲んでいた。喉の奥で硬く結ばれた言葉が、慎重に、しかし確実に空気を切り裂いていく。彼の額には汗はない。ただ、目の奥で焦燥と責務が形を得ていた。
「さらに八魔将が1人、深淵の魔女とも接触したと聞いています。封印により、力は完全に解放されていないはずですが……」
「裏切りと……目覚めの兆しか。やはりきてしまうのだな」
低く静かな声音が返される。
それは叱責でも驚きでもなく、ただすべてを見透かしたような響きだった。幾度も時代の断層をくぐり抜け、敗北も勝利も、誓いも裏切りも、そのすべてを古い紙葉のように指先でめくってきた者にしか持ち得ぬ、乾いた諦観と、なお消えぬ焔が同居する声。
「かもしれません。…私の代では起きないと、そう願っていたのですが」
男はうつむき、わずかに拳を握った。拳は力を求めるのではなく、願いを押し潰すために閉じられた。自身の内に渦巻く弱さを、皮膚の内側に釘打ちするように。
「願いは、剣で守るものだ。剣が折れれば、ただの夢だよ」
言葉に刺すような鋭さはない。ただ、深く刻み込まれるような重さがあった。若さの響きに老練の余韻が漂う声。重石のような一句一句が、男の胸中に沈んでいく。男は頷き、目を伏せる。その頷きは服従ではなく、理解のしるしであり、理解は必ずしも救済ではなかった。
「封印が破られた場合……いや、“奴”がこの世に還った場合、どうなさるおつもりですか」
しばし沈黙。
燈の翳りが、卓の上で円を描く。その円の縁で、ふたりの影が触れ、離れ、また重なる。やがて、もうひとつの椅子に座る人物が、ゆっくりと呼気を整えた。その呼気は、長く、深く、まるで過去の底から未来の端へと一本の線を引くように。
「やるべきことは決まっている。かつて果たせなかった──今度こそ、終わらせるまで」
その言葉には、過去への贖罪とも、未来への覚悟ともつかぬ色があった。言葉の奥に沈められた名もなき死者たちの顔が、淡い残像のように揺らめき、彼の声に重さを与える。
「……ひとりで行かれるおつもりですか」
「最後はな」
「しかし、今は……あなたの名を知る者が、少しずつ現れてきている。十三番目の団も然り。あれは――」
そこで男は言葉を切った。
机の向こうの人物がわずかに目を細めた気配を見せる。光の細い刃が、その眼差しの奥底で反射し、何かを測るように、確かめるように、ゆっくりと動く。
「――あれは“若い火種”だ。ならば、消さぬよう守るのが年寄りの役目だろう」
「……相変わらず、ですね」
男が苦笑し、かつてどこかで聞いたような口調を思い出すように呟いた。懐かしさは甘くはなく、むしろ背筋を正す冷たさを伴って蘇る。かつて師と仰いだ声が、今もなお背後から襟首を正す感覚。
そのあと、長い沈黙があった。
時間は伸び、音は薄れ、密室はふたりを飲み込み、ふたりは密室の影となった。呼吸の間合いだけが、まだ生の証として室内に残されている。
やがて、立ち上がったのは、年嵩のほうだった。
椅子が微かに鳴り、白衣の裾がわずかに揺れ、冷たい床がその足音を吸い込む。動作は静謐で、しかし迷いの欠片もない。扉へと向かう背中は、積み重ねた年月の重さを纏いながらも、なお、刀身のように真っ直ぐだった。
「“老師”……」
男がそう呼びかけると、その背は一度だけ立ち止まった。
背は動かない。だが、気配がわずかにこちらを向く。呼吸が一瞬、耳を傾けるように変化する。
「……まだ、そう呼ぶか」
「……ええ、どうしても。それ以外、思いつかなくて」
それきり、返事はなかった。
ただ、閉まりかけた扉の隙間に、わずかに漏れる声があった。
「……お前はもう、“弟子”ではない。だが――期待しているぞ、アル」
扉が、ぴたりと閉ざされる。
その瞬間、白き部屋には、再び沈黙だけが戻ってきた。だが先ほどまでの沈黙とは、質が違う。そこには決意の重みが落ちており、沈黙は沈殿し、底を作っていく。
しかし、確かにこの日──
帝国の王と、“老師”と呼ばれた男は、未来を見据えて動き出した。
肌を刺していた霊気のような重圧も、潮が引くように遠のいていた。
イーゼルの気配が完全に消滅したことで、その場にはぽっかりと空いた虚無感が漂う。
フェイはメイセンを静かに下ろし、重くなった息を一つ、吐き出した。
エヴァは無言のまま剣を鞘に収め、リィはじっと、一つの幻影が消えた空間を見つめ続けている。
その静寂を、呑気な声が破った。
「──ああ、終わったのかよ。なんだ、もうちょい暴れたかったんだけどな」
肩に槍をかけたグライヴが、悠然と足音を立てて現れる。
どこか惜しむような顔で、荒れた草地を見渡しながらニヤリと笑った。
「まさか、こんなもんと戦ってやがったとはな。……いいねぇ、こういうの。久々にゾクゾクしたぜ」
フェイがちらりと横目を向ける。だが、何も言わずに視線を戻した。
その一瞥を受けながら、グライヴは言葉の調子を変えた。口元に笑みを残したまま、真顔の声音で言う。
「俺も混ぜろ。……仲間にしてくれ」
その言葉に、エヴァが一瞬動きを止めた。目を見開き、彼の顔を見る。
「えっ……?」
「はっ。ああいう“得体の知れねえの”とガチでやり合ってる奴らなんざ、そうそういねえ。だったら、俺もその側にいたほうが性に合う」
グライヴは槍の石突きを無造作に地面へ突き立てる。
軽やかに笑いながらも、その目には火が灯っていた。
「ただしな。条件がひとつだけある」
フェイの目が細くなる。
エヴァも身構え、言葉を飲み込む。
「この銀髪の騎士さんは、俺の“嫁候補”ってことで、ひとつよろしく」
「……」
エヴァのこめかみに、ぴくりと怒気が走る。
次の瞬間、剣の柄に手がかかっていた。
「今すぐ叩き斬るわよ」
「おおっと、怖い怖い。言ったろ? “候補”だって。まだ確定じゃねぇ」
どこ吹く風といった調子で、グライヴは肩をすくめて笑う。
フェイは呆れたようにため息をつき、視線をそらした。
「……まぁ、戦う理由は人それぞれだしね」
「おうよ! 俺は強ぇぞ? そっちのクマも認めてくれたしな」
グライヴがちらりとリィに目を向ける。
リィは沈黙を守ったまま、微動だにしない。
その気配に気づき、グライヴは顔を引きつらせながら肩をすくめた。
「……たぶん、気に入られてはいねえな」
「当然よ」
エヴァの冷ややかな一言が突き刺さる。
それでもグライヴは臆することなく、ふてぶてしい笑みを浮かべた。
「まあいいさ。嫁候補となら、長く旅もできるってもんだ」
「フェイ、ほんとにこいつ連れてくの?」
「いいんじゃない? 団長殿が良ければ」
フェイはそのまま、踵を返して歩き出した。
「……頭が痛くなってきたわ」
エヴァが小さくつぶやく。
その背中を追うように、グライヴ、エヴァ、そしてリィも並ぶ。
彼らの歩みが草原を抜け、帝都の方角へと向かっていく。
その空には、夜明けの名残が薄れ、すでに蒼天が広がっていた。
***
しばらくして、帝都の輪郭が、遠く霞む空の下にゆっくりと姿を現した。
白亜の城壁と聳え立つ尖塔群は、太陽を受けて輝きながら、静かに彼らを迎え入れようとしていた。
「……戻ってきたね~」
フェイがゆるり呟く。手綱を緩め、足並みを落とした馬の背で、遠い記憶の影をどこか懐かしむような眼差しを浮かべる。
「帝都って、なぜか気を引き締めなきゃって思えてしまう……」
エヴァが少し息を吐きながら、前髪をかき上げる。
その背後では、リィが無言のまま、大きな体を揺らしている。まるで、都市の喧騒を先取りするように、早くも疲れた気配を漂わせている。
「さぁて……帝都には何回かしかきたことねぇからな、腕試しがしたいんだかな~……」
グライヴが肩に担いだ槍をくるりと回し、満面の笑みで城門を睨みつける。
獲物を前にした猛獣のような、戦への渇きを隠そうともしないその姿に、エヴァが小さく溜息を漏らした。
***
白く、無機質な部屋だった。
石でも木でもない、密閉された人工の素材が、音と気配を完璧に封じている。
その中心に、卓と椅子。向かい合って座るふたりの姿があった。
天井から吊るされた小さな魔光灯が、互いの顔を仄かに照らしている。
静寂が満ちる密室には、ただふたりの呼吸だけが沈んでいた。
息を吸うたび、閉鎖された空間が僅かに収縮し、吐くたびにまた膨らむような錯覚すらする。沈黙は、鋼線のように張りつめ、わずかな振動も許さない。
「……例の封印、揺らぎ始めているようです。森の奥、あの“封印”が……再び脈動を始めました。やはり内部から手引きしている者がいるようです」
机の向こうで報告する男の声には、抑えきれぬ緊張が滲んでいた。喉の奥で硬く結ばれた言葉が、慎重に、しかし確実に空気を切り裂いていく。彼の額には汗はない。ただ、目の奥で焦燥と責務が形を得ていた。
「さらに八魔将が1人、深淵の魔女とも接触したと聞いています。封印により、力は完全に解放されていないはずですが……」
「裏切りと……目覚めの兆しか。やはりきてしまうのだな」
低く静かな声音が返される。
それは叱責でも驚きでもなく、ただすべてを見透かしたような響きだった。幾度も時代の断層をくぐり抜け、敗北も勝利も、誓いも裏切りも、そのすべてを古い紙葉のように指先でめくってきた者にしか持ち得ぬ、乾いた諦観と、なお消えぬ焔が同居する声。
「かもしれません。…私の代では起きないと、そう願っていたのですが」
男はうつむき、わずかに拳を握った。拳は力を求めるのではなく、願いを押し潰すために閉じられた。自身の内に渦巻く弱さを、皮膚の内側に釘打ちするように。
「願いは、剣で守るものだ。剣が折れれば、ただの夢だよ」
言葉に刺すような鋭さはない。ただ、深く刻み込まれるような重さがあった。若さの響きに老練の余韻が漂う声。重石のような一句一句が、男の胸中に沈んでいく。男は頷き、目を伏せる。その頷きは服従ではなく、理解のしるしであり、理解は必ずしも救済ではなかった。
「封印が破られた場合……いや、“奴”がこの世に還った場合、どうなさるおつもりですか」
しばし沈黙。
燈の翳りが、卓の上で円を描く。その円の縁で、ふたりの影が触れ、離れ、また重なる。やがて、もうひとつの椅子に座る人物が、ゆっくりと呼気を整えた。その呼気は、長く、深く、まるで過去の底から未来の端へと一本の線を引くように。
「やるべきことは決まっている。かつて果たせなかった──今度こそ、終わらせるまで」
その言葉には、過去への贖罪とも、未来への覚悟ともつかぬ色があった。言葉の奥に沈められた名もなき死者たちの顔が、淡い残像のように揺らめき、彼の声に重さを与える。
「……ひとりで行かれるおつもりですか」
「最後はな」
「しかし、今は……あなたの名を知る者が、少しずつ現れてきている。十三番目の団も然り。あれは――」
そこで男は言葉を切った。
机の向こうの人物がわずかに目を細めた気配を見せる。光の細い刃が、その眼差しの奥底で反射し、何かを測るように、確かめるように、ゆっくりと動く。
「――あれは“若い火種”だ。ならば、消さぬよう守るのが年寄りの役目だろう」
「……相変わらず、ですね」
男が苦笑し、かつてどこかで聞いたような口調を思い出すように呟いた。懐かしさは甘くはなく、むしろ背筋を正す冷たさを伴って蘇る。かつて師と仰いだ声が、今もなお背後から襟首を正す感覚。
そのあと、長い沈黙があった。
時間は伸び、音は薄れ、密室はふたりを飲み込み、ふたりは密室の影となった。呼吸の間合いだけが、まだ生の証として室内に残されている。
やがて、立ち上がったのは、年嵩のほうだった。
椅子が微かに鳴り、白衣の裾がわずかに揺れ、冷たい床がその足音を吸い込む。動作は静謐で、しかし迷いの欠片もない。扉へと向かう背中は、積み重ねた年月の重さを纏いながらも、なお、刀身のように真っ直ぐだった。
「“老師”……」
男がそう呼びかけると、その背は一度だけ立ち止まった。
背は動かない。だが、気配がわずかにこちらを向く。呼吸が一瞬、耳を傾けるように変化する。
「……まだ、そう呼ぶか」
「……ええ、どうしても。それ以外、思いつかなくて」
それきり、返事はなかった。
ただ、閉まりかけた扉の隙間に、わずかに漏れる声があった。
「……お前はもう、“弟子”ではない。だが――期待しているぞ、アル」
扉が、ぴたりと閉ざされる。
その瞬間、白き部屋には、再び沈黙だけが戻ってきた。だが先ほどまでの沈黙とは、質が違う。そこには決意の重みが落ちており、沈黙は沈殿し、底を作っていく。
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