《蒼眼のトライブ Last Testament(ラスト・テスタメント)》

ケリーエヴァンス

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第44話 旅路の癒し それぞれの形

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帰還した第十三騎士団員たちは、少しの合間、今回の旅路の疲れを癒していた。

-フェイの場合-
 朝の帝都は、いつものようにざわつきと香りに満ちていた。
パンを焼く香ばしい匂いが、石造りの通りにふわりと立ちこめ、奥から聞こえる騎兵の蹄のリズムが、まるで都市の鼓動のように反響する。
露天商たちの威勢のいい掛け声、荷車の軋む音、誰かが笑う声、怒鳴る声、それらすべてが風に拾われ、ひとつにまざって通りを彩っていた。

活気と雑然のあわいに満ちる、帝都の朝。
その通りを、フェイ・オーディンは歩いていた。

身軽な足取り。特に目的があるわけではなかった。ただ、腹が少し減った。それだけで、この街に出てくるには十分だった。

 ──何も考えずに歩ける時間。悪くない。

「……あれ、おじさん、今日は一人?」

ふと聞こえた声に足を止める。
声の主は、果物屋の屋台に立つ少年だった。日焼けした額、明るい目。フェイを見ると、にやりと親しげな笑みを浮かべている。もう、何度目かのやりとりだった。

「たまにはね」

フェイはそう返しながら、気がつけばすでに手に柑橘を二つ握っていた。
つややかな皮の表面からは、かすかに甘酸っぱい香りが立ちのぼっている。

「いくら?」

「お金でもいいんだけど……」
少年は言いかけて、思い出したように口元を緩めた。
「ほら、前みたいにさ、何か森の物でさ。あれ、母ちゃん、めっちゃ喜んでたんだよ」

「今度、甘い木の実を」
フェイは少し考え、肩をすくめるように言った。
「すこし森に入ったところのやつ。あれなら、数もある」

「あれ、すっげーうまかったやつ……!」
少年の顔がぱあっと明るくなった。目の奥が、ちょっと誇らしげに輝いている。

「また持ってきてよ。今度は親父も食べたいって言ってたしさ」

フェイは小さく笑い、それには応えず、柑橘をひとつ放り投げるように持ち直してから、通りの奥へと歩き出した。
いつものスープ屋へ──街で最も安く、最も温かい、彼のお気に入りの一杯がある場所へ。

 ──この時間だけは、“ただの人間”でいられる。

誰に見られることも、追われることも、警戒も、戦いも要らない。
何も語らず、ただ歩き、笑い、食べ、匂いを楽しめるこの朝が、彼にとってどれだけ貴重か──フェイ自身も、口に出すことはなかった。

---

-リィの場合-

 「……すぅ、ぅ……」

 かすかな寝息が、部屋の静けさに溶けていく。
 厚手のカーテンが朝の光を遮り、わずかに差し込む隙間の陽が、空中の埃を金色に浮かび上がらせていた。

 その寝台の上に、白く巨大な塊が静かに丸まっている。
 まるで雪山で眠る神獣のような、堂々たる毛並みと存在感。
 リィは毛布の上にうずくまり、全身をやわらかい光の影に包まれていた。

 戦いの爪痕は体に残らずとも、深層に染みた力の消耗は眠りによって癒すしかない。
 それを知っているのかどうか、“それ”は――まるで天地を守護するもののように、静かに息づいていた。

 「……グルルゥ……グ……」

 喉の奥で小さく鳴き声を漏らし、隣に転がった枕に前肢を回す。
 その仕草は不釣り合いなほど愛らしく、まるで夢のなかでも誰かを守ろうとしているかのようだった。

 誰も干渉せず、誰も騒がせない。
 この小さな静寂の部屋こそが、その存在にとっての“最前線”だった。

---

-グライヴの場合-

 帝都・南区。古い石畳の敷かれた訓練通りは、昼時になると騎士や衛兵たちが入れ替わるように通り抜ける。

 グライヴはその道端を、槍を背負ったまま、ゆるく歩いていた。

 「……退屈だな。もうちょい、骨のあるのとぶつかりてぇもんだ」

 呟いたその時、前方からひとりの男が歩いてきた。

 がっしりとした体格に、訓練用の胴衣。肩幅が広く、顎の骨が目を引く精悍な顔立ち。
 歩き方ひとつとっても、只者ではない雰囲気がにじんでいる。

 (お、なんか雰囲気あるじゃねぇか)

 自然と視線が交錯した。

 男のほうも、グライヴを一瞥するなり、目を細めた。

 「……お前、見ねぇ顔だな。どこの団だ?」

 「ああ? んー……一応、十三?」

 グライヴは気だるげに肩をすくめた。口ぶりは軽いが、目は笑っていない。

 その返答に、男の口元がにやりと歪む。

 「十三、ねぇ。あの“お飾り騎士団”か。女騎士を先頭に立てりゃ、民にはウケるって寸法か?」

 「……」

 空気が変わった。

 グライヴの口角は、笑っているようで笑っていない。

 「さっきから思ってたんだよな。……なんか、気に食わねぇと思ってた」

 「は?」

 「お前さ、ちょっと手合わせしてくんねぇか」

 口調は穏やかだが、目が完全に戦闘の光を帯びている。

 「なんだ、いきなり。誰がてめぇと――」

 「いいじゃねぇか。どうせその面、俺と同じだろ。ケンカ売られて、黙って帰る性分じゃねぇ」

 ラウクの目が細まる。数秒の静寂のあと、鼻を鳴らした。

 「……ま、遊び相手には困ってたとこだ。死ぬなよ?」

 「そっちこそな」

 周囲の空気が、乾いた音もなく引き締まる。
 路地の片隅で、火種が静かに、だが確かに火を噴いた。

「訓練広場がすぐそこの通りを抜けた裏手にある。ちょうど誰もいねえだろうしな」

 ラウクは小さく鼻を鳴らすと、踵を返して歩き出した。グライヴはにやりと笑い、槍を肩に担いだままその後を追う。

 ふたりは帝都南区にある騎士団共用の訓練場跡へと姿を現した。場内は整地されており、地面にはいくつかの足跡が残っている。昼の訓練が終わったあとの静けさに、ふたりの足音だけが響く。

「いいか、念のため言っとくが……怪我しても文句言うなよ」

 ラウクが訓練用の長剣を片手で軽く振る。

「へっ、そっちこそ槍の先に泣きつくなよ?」

 グライヴは石突を地面に突き立て、軽く肩を回す。
 お互い、礼儀より先に火花が散る。

「始めるぜ」

 次の瞬間、剣と槍がぶつかり合った。

 ラウクは豪腕を生かした重い斬撃を連続で放つ。それを、グライヴは一歩も引かずに槍の長さと柔らかさで受け流す。

 ──二手、三手。

 互いに動きが鋭さを増していくが、徐々に流れはグライヴに傾いていた。

「……っ、ちょこまかと!」

 ラウクの怒声が上がる。

 しかし、それも一瞬。槍の石突が巧みに足元を突き、体勢がわずかに崩れた。

「……もらった!」

 グライヴの突きが、寸止めでラウクの喉元にぴたりと止まった。

 空気が一瞬、静止する。

 グライヴが槍を引いて構えを解く。

「……終了っと。ま、悪くなかったぜ?」

「……くそっ」

 ラウクは歯噛みしながら剣を戻すと、悔しげに唸った。

「チッ……お飾り団の“なんちゃって男”だと思ってたが、ちっとはやるじゃねえか」

 「お飾りねぇ……流石にそんな軽いもんでもねぇんだけどな」

 「その言い回しがいちばん軽いんだよ!」

 ラウクは肩を回しながら背を向け、ぶつぶつと文句を垂れながら歩き去る。

 「次は負けねぇからな、ヘラヘラ野郎……!」

 その背を見送りながら、グライヴは槍を回して肩に担ぎ直した。

 「……やっぱ物足りねぇな」

 そうつぶやいて、彼もまた帝都の喧騒の中へと歩き出した。

---

-エヴァの場合-

 朝の冷気がまだ漂う中、訓練場の片隅にエヴァの姿があった。
 フェイに教わった“芯”を立てる訓練――動かずに立ち続ける修行――を、彼女は黙々と繰り返していた。

 両足の裏で土を感じ、深く呼吸を繰り返す。
 動かない。ただ、重心を感じる。
 最初は単調に思えたこの修行も、日を重ねるうちに、確実な変化をもたらしていた。

 (……以前より、足が根を張るような感覚がある)

 呼吸を吐き、吸う。
 そのリズムに合わせて、自然と心も澄み渡る。

 「――よし」

 目を開くと、彼女は細剣を抜き、軽やかに踏み込んだ。
 動きは滑らかで、力が無駄なく流れていく。
 細剣が空気を裂く音が、以前よりも深く、鋭く響いた。

 (……フェイの言う通りだわ。立つだけで、こんなに変わるなんて)

 その時だった。

 「へぇ……噂通りの“お姫様の剣舞”だな」

 背後から冷ややかな声が響いた。
 振り向くと、赤銅色の外套を羽織った数名の騎士が立っていた。
 中央には、一際偉そうな態度の男――第四騎士団の若手、イルム・ランディスが腕を組んで立っている。

 「第十三騎士団の……お飾り団長様だっけ?」
 イルムが薄笑いを浮かべる。
 後ろに控える取り巻きの騎士たちがクスクスと笑った。

 「……第十三団に用かしら?」
 エヴァは剣を下ろさず、静かに問い返した。

 「用ってほどじゃねぇが……。いやなに、実力もない女が団長をやってるって噂が面白くてな。どんなもんか、拝見させてもらおうと思ってよ」

 「……」

 エヴァはわずかに眉をひそめたが、挑発に乗る気はなかった。
 ただ静かに立ち続ける。その態度が、かえってイルムを苛立たせる。

 「無視かよ。……じゃあ、手合わせしてみるか? 団長を務めるぐらいだ。当然、一団員である俺の剣を受け止められるんだろう?」

 取り巻きの一人が口笛を吹き、場の空気がざわめく。

 「ここは、騎士団全体の訓練場よ。挑発なら他所でやって」

 エヴァの声は冷たく、それでいて落ち着いていた。
 だが、その芯の通った声音が、イルムの神経を逆撫でした。

 「言うじゃねぇか、お飾り団長。なら……剣で黙らせるか」

 ガイルムが訓練用の木剣を掴む。
 その刃がエヴァの鼻先で空を切った瞬間――

 ガンッ!

 エヴァの細剣が、寸分狂わず木剣を弾いた。
 軽やかな音とは裏腹に、その一撃には確かな重みがあった。

 「なっ……」

 「無駄な動きが多いわね。剣が軽いわ」

 エヴァは静かに言う。
 フェイの教えが、確実に彼女の中で息づいていた。

 再び木剣が来る。
 しかし、エヴァは微動だにせず、核心だけを突くように剣を払う。

 「ぐっ……!」

 イルムの手が木剣を落とした。

 「これで……お終いでいいかしら?」
 エヴァは剣先を下げる。
 その目は凛として、揺るがない。

 イルムはしばし沈黙した後、顔を赤くして唇を歪めた。

 「……ちっ、今日はここまでにしておくさ。だが、忘れるなよ。“本物”の騎士団は俺たち第四だ。お前ら十三は――ただの色物だ。そのうち、痛い目を見てもらうからな」

 憎まれ口を叩きながら、ガルドは部下を連れて立ち去った。

 残されたエヴァは、ふっと息を吐き、剣を鞘に収める。

 (……まだだ。もっと、強くならないと)

 空を仰ぐと、帝都の高い壁の向こうに、薄青い空が広がっていた。
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