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第3話 村のざわめきと、騎士の影
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帝都を出発してから、すでに七日が過ぎていた。
エヴァ・ムーン・カルザは、愛馬のたてがみをそっと撫でながら、風の向きと空の色を見上げる。
空は晴れ渡っていたが、木々の上空にはかすかに鷲が舞い、遠くでは何かの獣の咆哮が木霊していた。
(思った通り……ヴァレスティアは甘くない)
彼女の目指す地——ヴァレスティア森林は、地図には載らないほど複雑な地形を持ち、なおかつ内部の環境は外部とは比べものにならないほど過酷だ。
ただ闇雲に突き進んだところで、探し人が見つかる保証などどこにもない。
ましてや、かの者、“フェイ”がそう簡単に見つかるとは思えなかった。
「……やっぱり、直接森に入るより、まずは周辺を探った方が良さそうね」
エヴァは馬の手綱を軽く引いて、一度呼吸を整える。
この世界における主要な移動手段は、今もなお“馬”が主流だ。
速度も安定し、荷物も運べる。なにより、この広大なレトナーク大陸を移動するには、人の足では限界がある。
とはいえ、馬も生き物だ。無理をさせてはならない。
エヴァは、道中の気温や起伏、馬の様子を見ながら、最も疲労の少ないテンポで旅を続けていた。
(……そういえば)
エヴァの脳裏に、一つの地名が浮かぶ。
「トットルバ……」
その名を口に出すと、彼女の記憶の奥底が揺れ動いた。
それはかつて騎士団に入る前、まだ民間の調査任務などをこなしていた頃に一度だけ訪れたことのある村だ。
「たしか、あそこは……流れ村の一つだったわね」
“流れ村”とは、森からの産物を卸したり、交易の拠点となる小規模な村々のことだ。
都市では高値で取引される森の恵み——薬草、鉱石、獣の革、果実などを、森の住民たちが持ち寄る場所であり、言わば森と都市の“橋渡し”となる存在。
中でもトットルバは、比較的規模が大きく、情報も集まりやすいことで知られていた。
「森に住むなら……まず、あの村で何か聞けるかもしれない」
手綱を引く指に力が入る。
馬の足取りも徐々に力強くなり、進行方向にある緩やかな山道を登っていく。
騎士団員としての仕事が忙しくなってからというもの、こういった辺境の村を訪れることなどなくなっていた。
だが、そのぶん、今のエヴァには“騎士団員”という看板がある。
村人が相手であれば、それだけで信頼を得られるはずだ。
目指すは、ヴァレスティア森林の北西側。
だが、トットルバはその前段階。重要な情報を手に入れる最初の拠点。
(この旅は、長くなりそうね)
エヴァは空を見上げながら、思わず小さく笑った。
風は穏やかに、だがどこかしら神妙な匂いを運んでくる。
それはまるで、この先に待つ何かを、静かに予感させているようだった。
「よし……行こう、トットルバへ」
エヴァは馬に語りかけるように言うと、再び手綱を握りしめ、森を目指して走り出した。
ーーー
フェイ・オーディンの生活は、いわば“森と共にある”という言葉が似合うものだった。
彼の主食は、ヴァレスティア森林に自生する木の実や植物たち。太陽の恩恵をたっぷりと受けて育ったそれらは、滋養に富み、素朴ながらも味わい深い。果実の甘み、根菜の土臭さ、葉菜のほのかな苦み──季節ごとに変わる味を楽しみながら、フェイは森の恵みと静かに共に生きていた。
たんぱく質については、ほとんど口にしない。
だが、ごく稀に、自然死した獣の遺骸を見つけることがある。傷の少ない個体であれば、血抜きと解体を慎重に行い、保存処理を施して干し肉にする。狩りをしてまで命を奪うことはない。
森に生きる一員として、他の命を「頂く」ときには、森にひと声「いただきます」とつぶやいてから骨を埋め、残りは森に還す。
それが、彼なりの流儀だった。
希少な薬草や鉱石、たまに採れる珍しい食材。そういった森の産物を持って、フェイは定期的に“村”へと下りることがあった。
といっても、生活の多くは自給自足。金銭を必要とするのは、せいぜい畑用の種、塩や香辛料、たまに布や道具の補修材程度だ。
取引はもっぱら物々交換で行われる。顔馴染みの取引人に、必要なものを必要なだけ渡す。値切りや駆け引きなど一切ない、信頼に根ざした静かな商いだ。
そんな彼の足が向いたのは、森の入り口近くにある“流れ村”のひとつ、トットルバ。
ヴァレスティア森林の物産を集める中継地として、昔から一定の役割を担ってきたこの村は、決して広くはない。だが、素朴な木造の家々と、地を踏みしめる音がよく響く土の道には、どこか懐かしい温もりがあった。
木材で組まれた物品交換所、通りに並ぶ大小の宿屋、片隅には鍛冶屋や道具屋。
そして村の中心には、いつもどこからか笑い声が漏れている、にぎやかな大きな酒場がある。
その風景は、まるで西部劇にでも出てくるような、質素ながらも活気に満ちた空間だった。
フェイがトットルバに着いたのは、昼の陽が天高く昇りきった頃。
彼は街の入り口で一息つくと、まず今日泊まる予定の宿へ向かった。
とんぼ返りも不可能ではなかったが、無理はしない。
夜の森林は不意の危険が多すぎる。下手をすれば野営中に命を落としかねないのだ。
「いつもの部屋、空いてるかな……っと」
素朴な木造の看板が吊るされた宿屋ライ麦亭の扉を押すと、馴染みの宿主が顔を出した。
口数の少ないフェイでも、ここでは常連として迎え入れられる。
予約を済ませ、ついでに併設された食堂で腹を満たすことにした。
今日の昼食は、根菜のスープと厚めに切った黒パン。ほんのり酸味のある木の実のペーストが添えられている。
(……うまい)
フェイは無言でパンをちぎり、ゆっくりとスープに浸す。
調味料の塩梅もちょうどよく、食材本来の味を活かした一品だ。
彼はこういう“手間をかけた素朴な料理”が好きだった。
食後、休憩もそこそこに、フェイは交換所へと足を運ぶ。
今回の取引品は、渓流沿いの岩場で採れた少量の鉱石、そして珍しい茸類。
茸は鮮度が重要なため、今朝採取したばかりのものを丁寧に竹籠に詰めて持ってきていた。
卸し相手の店主は目を見張るようにそれを見つめ、軽く頷くと、慣れた様子で引き取っていく。
「例の調味料と……ほら、前に頼んでた種も入ってるぜ。あと、これが差額分な」
渡された小袋には、ほんのわずかな硬貨と、封蝋された種袋。
一見すれば物品の割に報酬が少なく見えるが、そこにはすでに今晩の宿代と食費が含まれている。
これもまた、フェイと店主の間で長年続く信頼に基づいた取り決めだった。
「毎度あり。気をつけて帰んなよ」
軽い声と共に品物を引き取られ、フェイは無言で一礼すると、静かにその場を後にした。
それは特別な一日ではなかった。
だが、彼にとっては“いつも通り”がなによりも尊い。
日が傾き始めた空の下で、村のざわめきを背に、フェイは静かに宿屋へと戻っていった。
交換所での取引をすべて終えた頃には、空の色もすっかり変わっていた。
西の空にかかる夕焼けはとうに沈み、代わって濃紺が空を染め始める。森の外にあるこの村でも、夜の帳が下りれば、すべてが色を失っていく。
それでも街道沿いの灯籠には、ぽつぽつと火が灯されはじめ、トットルバにも夜の活気が生まれ始めていた。
フェイは肩にかけていた袋の重みを少し持ち替えると、村の中央にある酒場エルムの手へと足を向けた。
ここへ来るのも、毎度のルーティンの一つだ。公式な取引とは別に、酒場の店主からは、個人的に“肴”の依頼を受けていた。
「酒の味がわかる奴は、つまみにもうるさい……ったく、注文が細けぇのなんの」
そう呟きながらも、その顔にはわずかに笑みが浮かんでいる。
依頼されていたのは、香りの強い果実と、酒の風味を引き立てる木の実数種。
すべて選りすぐって採ってきたものだ。フェイにとっては、こうした信頼を裏切らないことも、ささやかな誇りの一つであった。
しかし、酒場へと続く通りの角を曲がったところで、異変に気づく。
「……?」
酒場の前が、妙に騒がしい。
ただ人が集まっているだけではない。どこか殺気混じりの空気が、夜気に乗って漂ってくる。
ふだんなら和やかな笑い声が漏れてくる場所に、今は低くざわめく声と、笑えない緊張が走っていた。
店の入り口前には、何人もの村人たちが集まり、肩越しに中を覗き込んでいる。
一種の好奇心と、軽い恐れが入り混じった表情。その中に、フェイが見覚えのある顔を見つけた。
「よう、どうしたんだい? 人だかりなんて、トットルバじゃ珍しいね」
声をかけると、年配の交易人が顔を向ける。
灰色の口髭をさすりながら、少し面白がるように口を開いた。
「ああ、フェイか。どうやら美人の騎士様と、酔っ払いどもが揉めてるらしくてな。珍しいもんだから皆、見に来てるってわけさ」
「……美人の騎士? それはまた、ずいぶん物珍しいことだね」
「この村に騎士が来るだけでも珍しいのに、そいつが女で、しかもなかなかの器量持ちとくれば、そりゃ野次馬も増えるってもんよ」
交易人は肩をすくめ、軽く笑った。
だがフェイは、その言葉の裏に含まれる微かな違和感を感じ取りながら、目を細めて酒場の方へ視線を向けた。
そして──その視線の先に、立っていた。
店の入り口近く。少し高い石段の上に、一人の騎士が凛として立っていた。
甲冑は簡素な造りながら、よく手入れされており、戦う者の覚悟と自負が感じられる。
腰には一本の細剣。陽光の代わりに月明かりを浴び、それは白銀のようにきらめいていた。
その女性騎士は、落ち着いた面持ちで相手を見据えている。
風が髪を揺らし、薄赤の髪が揺らめくたびに、その佇まいの端々に宿る静かな威圧が広がる。
(……あれは……)
フェイの目が細くなる。
ただの女騎士ではない。その剣の構え、隙のない姿勢、そして内に潜ませた練度の高さ。
森で生き抜く者の直感が、彼女が“本物”だと告げていた。
その騎士の前に立ち塞がっていたのは、村でも名の知れた札付きの男、ダラクとその仲間たちだった。
酒で気が大きくなったのか、それとも日頃の鬱憤を晴らしたかったのか──どちらにせよ、酔った勢いで相手にして良い相手ではない。
だが、彼らはそれが分からないほど酔っているようだった。
「おいおい、女が剣なんて……それで騎士様とは片腹痛いぜぇ? 俺様とちょっと手合わせでも──」
「お止めになってください。これ以上は、あなた方の名誉に関わります」
エヴァ──そう、その女性騎士こそ、探し人を求めてやってきたエヴァ・ムーン・カルザであった。
声に濁りはない。静かだが芯の通った、意思のこもった声だ。
それが、周囲に集まった野次馬たちの喧騒をも飲み込むような凄みを持っていた。
フェイは明らかにこの女性騎士の方が実力が上だということにすぐ気づいた。しかもかなりの実力に差がある。女性騎士は落ち着き払い、相手を冷静に見つめている。
エヴァ・ムーン・カルザは、愛馬のたてがみをそっと撫でながら、風の向きと空の色を見上げる。
空は晴れ渡っていたが、木々の上空にはかすかに鷲が舞い、遠くでは何かの獣の咆哮が木霊していた。
(思った通り……ヴァレスティアは甘くない)
彼女の目指す地——ヴァレスティア森林は、地図には載らないほど複雑な地形を持ち、なおかつ内部の環境は外部とは比べものにならないほど過酷だ。
ただ闇雲に突き進んだところで、探し人が見つかる保証などどこにもない。
ましてや、かの者、“フェイ”がそう簡単に見つかるとは思えなかった。
「……やっぱり、直接森に入るより、まずは周辺を探った方が良さそうね」
エヴァは馬の手綱を軽く引いて、一度呼吸を整える。
この世界における主要な移動手段は、今もなお“馬”が主流だ。
速度も安定し、荷物も運べる。なにより、この広大なレトナーク大陸を移動するには、人の足では限界がある。
とはいえ、馬も生き物だ。無理をさせてはならない。
エヴァは、道中の気温や起伏、馬の様子を見ながら、最も疲労の少ないテンポで旅を続けていた。
(……そういえば)
エヴァの脳裏に、一つの地名が浮かぶ。
「トットルバ……」
その名を口に出すと、彼女の記憶の奥底が揺れ動いた。
それはかつて騎士団に入る前、まだ民間の調査任務などをこなしていた頃に一度だけ訪れたことのある村だ。
「たしか、あそこは……流れ村の一つだったわね」
“流れ村”とは、森からの産物を卸したり、交易の拠点となる小規模な村々のことだ。
都市では高値で取引される森の恵み——薬草、鉱石、獣の革、果実などを、森の住民たちが持ち寄る場所であり、言わば森と都市の“橋渡し”となる存在。
中でもトットルバは、比較的規模が大きく、情報も集まりやすいことで知られていた。
「森に住むなら……まず、あの村で何か聞けるかもしれない」
手綱を引く指に力が入る。
馬の足取りも徐々に力強くなり、進行方向にある緩やかな山道を登っていく。
騎士団員としての仕事が忙しくなってからというもの、こういった辺境の村を訪れることなどなくなっていた。
だが、そのぶん、今のエヴァには“騎士団員”という看板がある。
村人が相手であれば、それだけで信頼を得られるはずだ。
目指すは、ヴァレスティア森林の北西側。
だが、トットルバはその前段階。重要な情報を手に入れる最初の拠点。
(この旅は、長くなりそうね)
エヴァは空を見上げながら、思わず小さく笑った。
風は穏やかに、だがどこかしら神妙な匂いを運んでくる。
それはまるで、この先に待つ何かを、静かに予感させているようだった。
「よし……行こう、トットルバへ」
エヴァは馬に語りかけるように言うと、再び手綱を握りしめ、森を目指して走り出した。
ーーー
フェイ・オーディンの生活は、いわば“森と共にある”という言葉が似合うものだった。
彼の主食は、ヴァレスティア森林に自生する木の実や植物たち。太陽の恩恵をたっぷりと受けて育ったそれらは、滋養に富み、素朴ながらも味わい深い。果実の甘み、根菜の土臭さ、葉菜のほのかな苦み──季節ごとに変わる味を楽しみながら、フェイは森の恵みと静かに共に生きていた。
たんぱく質については、ほとんど口にしない。
だが、ごく稀に、自然死した獣の遺骸を見つけることがある。傷の少ない個体であれば、血抜きと解体を慎重に行い、保存処理を施して干し肉にする。狩りをしてまで命を奪うことはない。
森に生きる一員として、他の命を「頂く」ときには、森にひと声「いただきます」とつぶやいてから骨を埋め、残りは森に還す。
それが、彼なりの流儀だった。
希少な薬草や鉱石、たまに採れる珍しい食材。そういった森の産物を持って、フェイは定期的に“村”へと下りることがあった。
といっても、生活の多くは自給自足。金銭を必要とするのは、せいぜい畑用の種、塩や香辛料、たまに布や道具の補修材程度だ。
取引はもっぱら物々交換で行われる。顔馴染みの取引人に、必要なものを必要なだけ渡す。値切りや駆け引きなど一切ない、信頼に根ざした静かな商いだ。
そんな彼の足が向いたのは、森の入り口近くにある“流れ村”のひとつ、トットルバ。
ヴァレスティア森林の物産を集める中継地として、昔から一定の役割を担ってきたこの村は、決して広くはない。だが、素朴な木造の家々と、地を踏みしめる音がよく響く土の道には、どこか懐かしい温もりがあった。
木材で組まれた物品交換所、通りに並ぶ大小の宿屋、片隅には鍛冶屋や道具屋。
そして村の中心には、いつもどこからか笑い声が漏れている、にぎやかな大きな酒場がある。
その風景は、まるで西部劇にでも出てくるような、質素ながらも活気に満ちた空間だった。
フェイがトットルバに着いたのは、昼の陽が天高く昇りきった頃。
彼は街の入り口で一息つくと、まず今日泊まる予定の宿へ向かった。
とんぼ返りも不可能ではなかったが、無理はしない。
夜の森林は不意の危険が多すぎる。下手をすれば野営中に命を落としかねないのだ。
「いつもの部屋、空いてるかな……っと」
素朴な木造の看板が吊るされた宿屋ライ麦亭の扉を押すと、馴染みの宿主が顔を出した。
口数の少ないフェイでも、ここでは常連として迎え入れられる。
予約を済ませ、ついでに併設された食堂で腹を満たすことにした。
今日の昼食は、根菜のスープと厚めに切った黒パン。ほんのり酸味のある木の実のペーストが添えられている。
(……うまい)
フェイは無言でパンをちぎり、ゆっくりとスープに浸す。
調味料の塩梅もちょうどよく、食材本来の味を活かした一品だ。
彼はこういう“手間をかけた素朴な料理”が好きだった。
食後、休憩もそこそこに、フェイは交換所へと足を運ぶ。
今回の取引品は、渓流沿いの岩場で採れた少量の鉱石、そして珍しい茸類。
茸は鮮度が重要なため、今朝採取したばかりのものを丁寧に竹籠に詰めて持ってきていた。
卸し相手の店主は目を見張るようにそれを見つめ、軽く頷くと、慣れた様子で引き取っていく。
「例の調味料と……ほら、前に頼んでた種も入ってるぜ。あと、これが差額分な」
渡された小袋には、ほんのわずかな硬貨と、封蝋された種袋。
一見すれば物品の割に報酬が少なく見えるが、そこにはすでに今晩の宿代と食費が含まれている。
これもまた、フェイと店主の間で長年続く信頼に基づいた取り決めだった。
「毎度あり。気をつけて帰んなよ」
軽い声と共に品物を引き取られ、フェイは無言で一礼すると、静かにその場を後にした。
それは特別な一日ではなかった。
だが、彼にとっては“いつも通り”がなによりも尊い。
日が傾き始めた空の下で、村のざわめきを背に、フェイは静かに宿屋へと戻っていった。
交換所での取引をすべて終えた頃には、空の色もすっかり変わっていた。
西の空にかかる夕焼けはとうに沈み、代わって濃紺が空を染め始める。森の外にあるこの村でも、夜の帳が下りれば、すべてが色を失っていく。
それでも街道沿いの灯籠には、ぽつぽつと火が灯されはじめ、トットルバにも夜の活気が生まれ始めていた。
フェイは肩にかけていた袋の重みを少し持ち替えると、村の中央にある酒場エルムの手へと足を向けた。
ここへ来るのも、毎度のルーティンの一つだ。公式な取引とは別に、酒場の店主からは、個人的に“肴”の依頼を受けていた。
「酒の味がわかる奴は、つまみにもうるさい……ったく、注文が細けぇのなんの」
そう呟きながらも、その顔にはわずかに笑みが浮かんでいる。
依頼されていたのは、香りの強い果実と、酒の風味を引き立てる木の実数種。
すべて選りすぐって採ってきたものだ。フェイにとっては、こうした信頼を裏切らないことも、ささやかな誇りの一つであった。
しかし、酒場へと続く通りの角を曲がったところで、異変に気づく。
「……?」
酒場の前が、妙に騒がしい。
ただ人が集まっているだけではない。どこか殺気混じりの空気が、夜気に乗って漂ってくる。
ふだんなら和やかな笑い声が漏れてくる場所に、今は低くざわめく声と、笑えない緊張が走っていた。
店の入り口前には、何人もの村人たちが集まり、肩越しに中を覗き込んでいる。
一種の好奇心と、軽い恐れが入り混じった表情。その中に、フェイが見覚えのある顔を見つけた。
「よう、どうしたんだい? 人だかりなんて、トットルバじゃ珍しいね」
声をかけると、年配の交易人が顔を向ける。
灰色の口髭をさすりながら、少し面白がるように口を開いた。
「ああ、フェイか。どうやら美人の騎士様と、酔っ払いどもが揉めてるらしくてな。珍しいもんだから皆、見に来てるってわけさ」
「……美人の騎士? それはまた、ずいぶん物珍しいことだね」
「この村に騎士が来るだけでも珍しいのに、そいつが女で、しかもなかなかの器量持ちとくれば、そりゃ野次馬も増えるってもんよ」
交易人は肩をすくめ、軽く笑った。
だがフェイは、その言葉の裏に含まれる微かな違和感を感じ取りながら、目を細めて酒場の方へ視線を向けた。
そして──その視線の先に、立っていた。
店の入り口近く。少し高い石段の上に、一人の騎士が凛として立っていた。
甲冑は簡素な造りながら、よく手入れされており、戦う者の覚悟と自負が感じられる。
腰には一本の細剣。陽光の代わりに月明かりを浴び、それは白銀のようにきらめいていた。
その女性騎士は、落ち着いた面持ちで相手を見据えている。
風が髪を揺らし、薄赤の髪が揺らめくたびに、その佇まいの端々に宿る静かな威圧が広がる。
(……あれは……)
フェイの目が細くなる。
ただの女騎士ではない。その剣の構え、隙のない姿勢、そして内に潜ませた練度の高さ。
森で生き抜く者の直感が、彼女が“本物”だと告げていた。
その騎士の前に立ち塞がっていたのは、村でも名の知れた札付きの男、ダラクとその仲間たちだった。
酒で気が大きくなったのか、それとも日頃の鬱憤を晴らしたかったのか──どちらにせよ、酔った勢いで相手にして良い相手ではない。
だが、彼らはそれが分からないほど酔っているようだった。
「おいおい、女が剣なんて……それで騎士様とは片腹痛いぜぇ? 俺様とちょっと手合わせでも──」
「お止めになってください。これ以上は、あなた方の名誉に関わります」
エヴァ──そう、その女性騎士こそ、探し人を求めてやってきたエヴァ・ムーン・カルザであった。
声に濁りはない。静かだが芯の通った、意思のこもった声だ。
それが、周囲に集まった野次馬たちの喧騒をも飲み込むような凄みを持っていた。
フェイは明らかにこの女性騎士の方が実力が上だということにすぐ気づいた。しかもかなりの実力に差がある。女性騎士は落ち着き払い、相手を冷静に見つめている。
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