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2話 夜の蝶
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彼女との出会いはネオン輝く夜の街で、彼女は紛れもなく夜の蝶だった。
ぼんやりと「夜の蝶とはよく言ったもんだ」なんて考えながら、最初にこの言葉を考えた人には何かしらの文学賞を与えてもいいんじゃないかなんて発想を飛躍させていた。
彼女は、ともすれば毒々しいとさえ思えるほどに人目を引く鮮やかさを持つ女性だった。
ただ単に造形が美しいだとか、着飾りがハイレベルだとか、そんな浅はかな表面上のものではない。
たとえ彼女がサナギのように声を上げず静かに立ち尽くしていたとしても、大多数の男が目を奪われたであろう。
かくいう俺も一目で心を奪われていた。
実は彼女は毒蝶か何かの類だったのかもしれない。
煌びやかなドレスの隙間から、人を引き付ける麻薬のような鱗粉を絶え間なく撒き散らしているのではなかろうか?
そんなバカなことさえ真剣に考えてしまった。
最初に彼女を見かけたのは、休み前に無理矢理上司に夜の街に連れ出されたある日のこと。
どちらかというと内気な俺は、ネオン輝く夜の街に繰り出すタイプではなく、夜遊びというものの経験がなかった。
上司だって普段はそんな俺を誘ったりはしない。
いわゆるパリピ? と呼ばれる同僚達は軒並み予定が入っていたようで、1人で行くのもなんだからと、やむなくといった感じで声をかけられただけだった。
俺はその上司に感謝しているのだが、同時に憎んでもいる。
あの日彼が俺を誘わなければ、彼女と出会うことはなかったと思う。
しかし彼女と出会ったせいで、その後の俺の人生が鬱屈としたものになるのだから、手放しで喜ぶわけにもいかなかった。
いわゆるキャバ嬢と呼ばれる職に就いてい彼女は、凛とした立ち姿に彼女の気位の高さが伺えた。
古い言い方をすれば『華金』だったあの日、陽気な人でごった返す繁華街の中、彼女は媚びることのない澄んだ目で、品定めするかのように夜の街を見渡してた。
蝶が蜜を吸う花を見定めるが如く、美しく注意深く視線を巡らせていた。
「あっ……」
透徹した彼女の視線に捉えられた時、俺は思わず目を逸らした。
社会人として安定した稼ぎを得ていたが、その実、周りに流されるように就職し、言われるがままに仕事をこなしているだけの自分が無性に恥ずかしくなった。
通りすがりの男の事情などもちろん彼女が知る由もないのだが、あまりにも無垢で冷たい視線に空っぽな自分が暴かれた気がして、足早にその場を後にした。
その後の上司との飲みは気もそぞろなままに時間が過ぎ、特に盛り上がることもないままにお開きとなった。
タクシーに乗る上司を見送っていると、去り際に「やっぱり別のやつを誘えばよかった」と小さな愚痴を投げられた。
俺はそれを右から左へと受け流し、動き出したタクシーに形だけは深々とお辞儀をし、帰路に就いた。
酔い覚ましがてら、普段は通ることのない煌びやかな道を1人歩いた。
色とりどりのネオンが慣れない目にチカチカと眩しく、お前の居場所はここにはないぞと警告するかのように点滅していた。
――わかってるよ、社会の付き合いさ。
煌々としたネオンに心の中で言い訳をしてさらに歩幅を広げる。
途中キャッチと呼ばれる客引きの男に何回か声をかけられたが、サラリーマン特有のの愛想笑いで「すみません、別件がありまして」とすべて流してやった。
しばらく歩いてようやっと繁華街を抜けた時、これまでに感じたことのない心臓の鼓動に気づいた。
日頃の運動不足が祟ったのか、それとも初めての夜の街に子どものように知らず興奮していたのか、それとも街角で目が合っただけの蝶に心奪われたのか。
原因不明の鼓動は収まることを知らなかった。
――このまま家に帰ってもいいのか?
おそらくもう二度と体験することのない眩しい世界。
そこで得た高揚を、惰性の帰宅で鎮火させることが正しいのか、不意に疑問が生じた。
指先に刺さったトゲ程度だったはずの疑問は歩くうちに成長を遂げ、終いには怪物のような大きさになって俺を飲み込んだ。
必要最低限の家具と多少の漫画本、朝寝坊のせいで出せなかったゴミ袋が待つだけの部屋に舞い戻り、「あれは夢だったんだよ」と、シワだらけのシーツのベッドに潜り込むことが今夜の正解なのか?
「違う!!」
思わず叫んでしまった声に、ちらほらといた通行人が振り返る。
彼らの視線すらも俺の背中を押して、羞恥と衝動のままに駆け出した。
満月と夏の大三角が綺麗に見て取れる、美しい美しい夏の夜の出来事だった。
ぼんやりと「夜の蝶とはよく言ったもんだ」なんて考えながら、最初にこの言葉を考えた人には何かしらの文学賞を与えてもいいんじゃないかなんて発想を飛躍させていた。
彼女は、ともすれば毒々しいとさえ思えるほどに人目を引く鮮やかさを持つ女性だった。
ただ単に造形が美しいだとか、着飾りがハイレベルだとか、そんな浅はかな表面上のものではない。
たとえ彼女がサナギのように声を上げず静かに立ち尽くしていたとしても、大多数の男が目を奪われたであろう。
かくいう俺も一目で心を奪われていた。
実は彼女は毒蝶か何かの類だったのかもしれない。
煌びやかなドレスの隙間から、人を引き付ける麻薬のような鱗粉を絶え間なく撒き散らしているのではなかろうか?
そんなバカなことさえ真剣に考えてしまった。
最初に彼女を見かけたのは、休み前に無理矢理上司に夜の街に連れ出されたある日のこと。
どちらかというと内気な俺は、ネオン輝く夜の街に繰り出すタイプではなく、夜遊びというものの経験がなかった。
上司だって普段はそんな俺を誘ったりはしない。
いわゆるパリピ? と呼ばれる同僚達は軒並み予定が入っていたようで、1人で行くのもなんだからと、やむなくといった感じで声をかけられただけだった。
俺はその上司に感謝しているのだが、同時に憎んでもいる。
あの日彼が俺を誘わなければ、彼女と出会うことはなかったと思う。
しかし彼女と出会ったせいで、その後の俺の人生が鬱屈としたものになるのだから、手放しで喜ぶわけにもいかなかった。
いわゆるキャバ嬢と呼ばれる職に就いてい彼女は、凛とした立ち姿に彼女の気位の高さが伺えた。
古い言い方をすれば『華金』だったあの日、陽気な人でごった返す繁華街の中、彼女は媚びることのない澄んだ目で、品定めするかのように夜の街を見渡してた。
蝶が蜜を吸う花を見定めるが如く、美しく注意深く視線を巡らせていた。
「あっ……」
透徹した彼女の視線に捉えられた時、俺は思わず目を逸らした。
社会人として安定した稼ぎを得ていたが、その実、周りに流されるように就職し、言われるがままに仕事をこなしているだけの自分が無性に恥ずかしくなった。
通りすがりの男の事情などもちろん彼女が知る由もないのだが、あまりにも無垢で冷たい視線に空っぽな自分が暴かれた気がして、足早にその場を後にした。
その後の上司との飲みは気もそぞろなままに時間が過ぎ、特に盛り上がることもないままにお開きとなった。
タクシーに乗る上司を見送っていると、去り際に「やっぱり別のやつを誘えばよかった」と小さな愚痴を投げられた。
俺はそれを右から左へと受け流し、動き出したタクシーに形だけは深々とお辞儀をし、帰路に就いた。
酔い覚ましがてら、普段は通ることのない煌びやかな道を1人歩いた。
色とりどりのネオンが慣れない目にチカチカと眩しく、お前の居場所はここにはないぞと警告するかのように点滅していた。
――わかってるよ、社会の付き合いさ。
煌々としたネオンに心の中で言い訳をしてさらに歩幅を広げる。
途中キャッチと呼ばれる客引きの男に何回か声をかけられたが、サラリーマン特有のの愛想笑いで「すみません、別件がありまして」とすべて流してやった。
しばらく歩いてようやっと繁華街を抜けた時、これまでに感じたことのない心臓の鼓動に気づいた。
日頃の運動不足が祟ったのか、それとも初めての夜の街に子どものように知らず興奮していたのか、それとも街角で目が合っただけの蝶に心奪われたのか。
原因不明の鼓動は収まることを知らなかった。
――このまま家に帰ってもいいのか?
おそらくもう二度と体験することのない眩しい世界。
そこで得た高揚を、惰性の帰宅で鎮火させることが正しいのか、不意に疑問が生じた。
指先に刺さったトゲ程度だったはずの疑問は歩くうちに成長を遂げ、終いには怪物のような大きさになって俺を飲み込んだ。
必要最低限の家具と多少の漫画本、朝寝坊のせいで出せなかったゴミ袋が待つだけの部屋に舞い戻り、「あれは夢だったんだよ」と、シワだらけのシーツのベッドに潜り込むことが今夜の正解なのか?
「違う!!」
思わず叫んでしまった声に、ちらほらといた通行人が振り返る。
彼らの視線すらも俺の背中を押して、羞恥と衝動のままに駆け出した。
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