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国境の町(最終話)
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ある日を境に伯爵家から三女が姿を消した。
それは彼女の専属侍女が、しばらく厨房に顔を出さなくなったことを切っ掛けに発覚したことだった。
令嬢は侍女とともに姿を消していた。
伯爵家の令嬢が姿を消したというのに、たいした騒ぎにはならなかったのは、報告を受けた伯爵が「そうか」の一言で済ませたからだ。
しばらくして伯爵の元に縁談が舞い込んだ。
婚姻により縁を結べば、伯爵にとって有利な取引が出来る可能性が高いものだった。
しかし、未婚の次女を嫁がせるには相手が格下すぎる。次女には他に好条件の相手との縁談話が出ている。
その時になって初めて伯爵は思い出す。あの役立たずな三女がいればと。
惜しいことをしたと思ったようだが、些細なことだとすぐに忘れることにしたようだった。
数年後。
国境近くにあるグリーンナイフ領の町では、交易のための通過地点として数多くの商人や旅人が行き交っていた。
大通りには露天商が商売を行い、串焼きなどの屋台が建ち並び賑わいを見せていた。
大通りから1つはずれた通り沿いに、狩猟ギルドはある。
そこへフード付きの外套を羽織った人物が、血抜きされたイノシシを木の板に乗せ、ロープで引きずって運んできた。
不思議なことに、板を引きずったはずの地面には跡が付いていない。
ギルドの入り口前にある階段で引っかかることなく、イノシシを乗せた板はスムーズにギルドに入った。
まるで板が浮いているかのようだった。
ギルドに入ると、顔見知りの職員が声をかけてきた。
「いやぁ、これまたずいぶん立派なイノシシだね。カナリア1人で獲ったのかい?」
「そうよ。すごいでしょ。買い取りお願いね」
「はいよ」
カナリアは埃よけのために着ていた外套のフードを外した。
成長した彼女は、スラリとした手足に健康的に日焼けをしている。
すっかり大人になってしまった彼女だが、美しい金の髪は幼い頃のままだ。
「ふむ。あいかわらず傷が少なくて良い状態だ。血抜きもしっかりされている」
「たぶん、討伐依頼が出てたやつだと思うんだけど、違うかしら?」
「あぁ、調べるからちょっと待っててくれ」
「お願いね」
買い取りの査定が終わるまで、カナリアは顔見知りのギルド職員と雑談を交わすことにした。
「やあ、カナリア。今日は1人かい?」
「そうよ。トムはアナが来てくれなくて、残念だったかしら?」
「え、いや、そんなことは・・・」
「聞いてくれよカナリア、トムのやつ、『最近アナが来ないんだが、病気でもしてるんじゃないだろうか』ってずっとうるせぇんだよ」
「このままじゃトムが仕事になんねぇから、アナちゃんにたまには顔を出してくれるよう言ってやってくれ」
「おい、うるせぇよ!」
「言ってあげても良いけど、ここに来るかどうかはアナ次第ね」
彼女がトムをからかうと、書類整理をしていた他の職員達が口を挟んできた。
トムはギルド職員の1人で、彼がアナに片思いしていることは職員だけじゃなくギルドを訪れる人ならば知っていることだった。
一方のアナはというと「彼が直接私にアプローチをかけてこないので、私からどうにかするつもりはありませんよ」とどこか他人事のように静観するスタイルを貫いていた。
――そもそも片思いの相手に恋心がバレてしまっているのだから、自ら行動しなければいつまでたってもトムに春は来ない。
このままではトムとアナに春が来る前に、アナだけに春が訪れる可能性もあり得る。
トムには頑張って欲しいが、この件でカナリアがお節介を焼くつもりはない。
「カナリア、待たせたな。討伐依頼が出ていたやつだったから、買取額に報酬を上乗せしてある」
「ありがと。じゃあね」
「ああ。また頼むぜ」
「アナにも顔を出すように言ってやってくれ。じゃないとトムが泣いちまうからな」
「うるせぇよ!」
買い取り金額を受け取ると、カナリアは騒々しいギルドを後にした。
このまま真っ直ぐ家に帰るつもりだったが、屋台の誘惑に抗えず、鶏の串焼きを購入する。
塩焼きなら自分でも作れるが、タレの付いた串焼きは屋台でしか味わえない。
焼きたてを食べるのが一番美味しいからと、その場で味わう。
家に帰るまで待てなかった。
(美味しい。――今日の夕飯は何かしら)
串焼きを頬張りながらも、考えることは食べ物のことばかりだった。
うら若き乙女らしからぬ思考のカナリアは、食べ終えた串を屋台脇のゴミ箱に放り込み、その場を後にした。
住宅街にある古びたアパートの4階が、彼女の――彼女達の住居だ。
「ただいま」
「お帰りなさい、カナリア」
「アナ、見てみて。今日獲ったイノシシが討伐依頼出てたやつだったから、報奨金が結構出たのよ」
「あら、すごい」
鞄から取り出した報奨金入りの袋を、キッチンで鍋をかき回していたアナに自慢気に見せる。
「ふっふっふー、これだけあれば・・・『ひまわり亭』のステーキ丼とふわふわオムライスの大盛りが食べられるわ!・・・あぁ、あと『レモンの木』のチョコレートケーキも食べられるわね・・・」
報奨金の使い道を考えると、ついよだれが出てきてしまう。
だらしない顔で町の飲食店に思いを馳せるカナリアを見て、スープをじっくりコトコト煮込んでいるアナはあきれたように言う。
「――たまには綺麗なお洋服の1つでも買えばいいのに」
「その言葉、アナにそっくりそのまま返すわよ。――アナには良い人はいないわけ? 例えばギルドとか、ギルド職員とか、トムとかトムとかトムとか・・・」
「トムだけじゃないですか・・・。私にだってイケメンの資産家とか将来安泰な銀行員がアプローチをかけてくる可能性が0ではないんですよ」
「そんな人いるの?」
「いませんね」
しれっというアナだった。
ひとまず報酬をアナの異空間倉庫に保管して貰う。
後で用途別に分けてから、いくらかは銀行に預けに行くつもりだ。
泥棒対策としてはアナに保存して貰うのが一番安全だが、彼女が不在の時にカナリアが自由に出来るお金がなくなる可能性があるので、カナリアの分は銀行に預金していた。
「ねえ、アナ。今日のお夕飯は何?」
「前にカナリアが狩ってきてくれた黒牛のシチューですよ」
「私のは大盛りにしてね!」
「はいはい」
カナリアは部屋着に着替えるために自室に戻る。
荷物を放り投げ、衣服を雑に脱ぎ捨てると、部屋着にしているワンピースに着替えた。
窓を開けると、大通りの喧噪がここまで聞こえてくる。
空には赤みが差しており、もうじき日が暮れる。
(もう20歳になったのね・・・)
窓の外をぼんやりと見つめながら、カナリアは思う。
旅はカナリアの想像以上に大変な物だった。
食料が尽きかけて、カナリアを優先して何も食べようとしないアナに怒って、彼女の口に無理矢理パンを詰め込んだこと。
獣を倒したと思ったら、魔獣が出てきて獲物を横取りされたこと。
山で足を滑らせてそのまま沼に落ち、泥だらけになったこと。
盗賊を返り討ちにしたこと。
魔獣の糞に滑って転んだときは、心が折れて泣いてしまった。
それでもカナリアは、あの家に帰りたいと思うことが一度もなかった。
田舎は人の繋がりが強いから、よそ者は馴染みにくいはずだというアナの言うとおり、最終的に彼女達が腰を落ち着けたのは人の出入りが激しい国境の町だった。
彼女達がこの町で暮らしてから、もう3年になる。
アナの狙い通りによそ者という概念があまりないこの町で、2人は難なく溶け込むことが出来た。
現在、彼女達は狩猟ギルドに所属して、野山に入って獣や魔獣を狩っている。
2人で狩ることもあれば、カナリア1人で行くことも多い。
自分の食い扶持は自分で稼ぐ必要があるが、カナリアは今の生活を気に入っている。
旅をして変わったことは、アナがカナリアのことをお嬢様と呼ばなくなったことくらいか。
彼女の側には今も変わらずアナがいる。
きっとアナが――もしかしたらカナリアが先になるかもしれないが、結婚しても変わらず付き合いが続くことを祈っている。
故郷を捨てたことを後悔はしていないし、もし誰かに尋ねられても、カナリアは胸を張っていえる自信がある。
私は今、幸せだと。
それは彼女の専属侍女が、しばらく厨房に顔を出さなくなったことを切っ掛けに発覚したことだった。
令嬢は侍女とともに姿を消していた。
伯爵家の令嬢が姿を消したというのに、たいした騒ぎにはならなかったのは、報告を受けた伯爵が「そうか」の一言で済ませたからだ。
しばらくして伯爵の元に縁談が舞い込んだ。
婚姻により縁を結べば、伯爵にとって有利な取引が出来る可能性が高いものだった。
しかし、未婚の次女を嫁がせるには相手が格下すぎる。次女には他に好条件の相手との縁談話が出ている。
その時になって初めて伯爵は思い出す。あの役立たずな三女がいればと。
惜しいことをしたと思ったようだが、些細なことだとすぐに忘れることにしたようだった。
数年後。
国境近くにあるグリーンナイフ領の町では、交易のための通過地点として数多くの商人や旅人が行き交っていた。
大通りには露天商が商売を行い、串焼きなどの屋台が建ち並び賑わいを見せていた。
大通りから1つはずれた通り沿いに、狩猟ギルドはある。
そこへフード付きの外套を羽織った人物が、血抜きされたイノシシを木の板に乗せ、ロープで引きずって運んできた。
不思議なことに、板を引きずったはずの地面には跡が付いていない。
ギルドの入り口前にある階段で引っかかることなく、イノシシを乗せた板はスムーズにギルドに入った。
まるで板が浮いているかのようだった。
ギルドに入ると、顔見知りの職員が声をかけてきた。
「いやぁ、これまたずいぶん立派なイノシシだね。カナリア1人で獲ったのかい?」
「そうよ。すごいでしょ。買い取りお願いね」
「はいよ」
カナリアは埃よけのために着ていた外套のフードを外した。
成長した彼女は、スラリとした手足に健康的に日焼けをしている。
すっかり大人になってしまった彼女だが、美しい金の髪は幼い頃のままだ。
「ふむ。あいかわらず傷が少なくて良い状態だ。血抜きもしっかりされている」
「たぶん、討伐依頼が出てたやつだと思うんだけど、違うかしら?」
「あぁ、調べるからちょっと待っててくれ」
「お願いね」
買い取りの査定が終わるまで、カナリアは顔見知りのギルド職員と雑談を交わすことにした。
「やあ、カナリア。今日は1人かい?」
「そうよ。トムはアナが来てくれなくて、残念だったかしら?」
「え、いや、そんなことは・・・」
「聞いてくれよカナリア、トムのやつ、『最近アナが来ないんだが、病気でもしてるんじゃないだろうか』ってずっとうるせぇんだよ」
「このままじゃトムが仕事になんねぇから、アナちゃんにたまには顔を出してくれるよう言ってやってくれ」
「おい、うるせぇよ!」
「言ってあげても良いけど、ここに来るかどうかはアナ次第ね」
彼女がトムをからかうと、書類整理をしていた他の職員達が口を挟んできた。
トムはギルド職員の1人で、彼がアナに片思いしていることは職員だけじゃなくギルドを訪れる人ならば知っていることだった。
一方のアナはというと「彼が直接私にアプローチをかけてこないので、私からどうにかするつもりはありませんよ」とどこか他人事のように静観するスタイルを貫いていた。
――そもそも片思いの相手に恋心がバレてしまっているのだから、自ら行動しなければいつまでたってもトムに春は来ない。
このままではトムとアナに春が来る前に、アナだけに春が訪れる可能性もあり得る。
トムには頑張って欲しいが、この件でカナリアがお節介を焼くつもりはない。
「カナリア、待たせたな。討伐依頼が出ていたやつだったから、買取額に報酬を上乗せしてある」
「ありがと。じゃあね」
「ああ。また頼むぜ」
「アナにも顔を出すように言ってやってくれ。じゃないとトムが泣いちまうからな」
「うるせぇよ!」
買い取り金額を受け取ると、カナリアは騒々しいギルドを後にした。
このまま真っ直ぐ家に帰るつもりだったが、屋台の誘惑に抗えず、鶏の串焼きを購入する。
塩焼きなら自分でも作れるが、タレの付いた串焼きは屋台でしか味わえない。
焼きたてを食べるのが一番美味しいからと、その場で味わう。
家に帰るまで待てなかった。
(美味しい。――今日の夕飯は何かしら)
串焼きを頬張りながらも、考えることは食べ物のことばかりだった。
うら若き乙女らしからぬ思考のカナリアは、食べ終えた串を屋台脇のゴミ箱に放り込み、その場を後にした。
住宅街にある古びたアパートの4階が、彼女の――彼女達の住居だ。
「ただいま」
「お帰りなさい、カナリア」
「アナ、見てみて。今日獲ったイノシシが討伐依頼出てたやつだったから、報奨金が結構出たのよ」
「あら、すごい」
鞄から取り出した報奨金入りの袋を、キッチンで鍋をかき回していたアナに自慢気に見せる。
「ふっふっふー、これだけあれば・・・『ひまわり亭』のステーキ丼とふわふわオムライスの大盛りが食べられるわ!・・・あぁ、あと『レモンの木』のチョコレートケーキも食べられるわね・・・」
報奨金の使い道を考えると、ついよだれが出てきてしまう。
だらしない顔で町の飲食店に思いを馳せるカナリアを見て、スープをじっくりコトコト煮込んでいるアナはあきれたように言う。
「――たまには綺麗なお洋服の1つでも買えばいいのに」
「その言葉、アナにそっくりそのまま返すわよ。――アナには良い人はいないわけ? 例えばギルドとか、ギルド職員とか、トムとかトムとかトムとか・・・」
「トムだけじゃないですか・・・。私にだってイケメンの資産家とか将来安泰な銀行員がアプローチをかけてくる可能性が0ではないんですよ」
「そんな人いるの?」
「いませんね」
しれっというアナだった。
ひとまず報酬をアナの異空間倉庫に保管して貰う。
後で用途別に分けてから、いくらかは銀行に預けに行くつもりだ。
泥棒対策としてはアナに保存して貰うのが一番安全だが、彼女が不在の時にカナリアが自由に出来るお金がなくなる可能性があるので、カナリアの分は銀行に預金していた。
「ねえ、アナ。今日のお夕飯は何?」
「前にカナリアが狩ってきてくれた黒牛のシチューですよ」
「私のは大盛りにしてね!」
「はいはい」
カナリアは部屋着に着替えるために自室に戻る。
荷物を放り投げ、衣服を雑に脱ぎ捨てると、部屋着にしているワンピースに着替えた。
窓を開けると、大通りの喧噪がここまで聞こえてくる。
空には赤みが差しており、もうじき日が暮れる。
(もう20歳になったのね・・・)
窓の外をぼんやりと見つめながら、カナリアは思う。
旅はカナリアの想像以上に大変な物だった。
食料が尽きかけて、カナリアを優先して何も食べようとしないアナに怒って、彼女の口に無理矢理パンを詰め込んだこと。
獣を倒したと思ったら、魔獣が出てきて獲物を横取りされたこと。
山で足を滑らせてそのまま沼に落ち、泥だらけになったこと。
盗賊を返り討ちにしたこと。
魔獣の糞に滑って転んだときは、心が折れて泣いてしまった。
それでもカナリアは、あの家に帰りたいと思うことが一度もなかった。
田舎は人の繋がりが強いから、よそ者は馴染みにくいはずだというアナの言うとおり、最終的に彼女達が腰を落ち着けたのは人の出入りが激しい国境の町だった。
彼女達がこの町で暮らしてから、もう3年になる。
アナの狙い通りによそ者という概念があまりないこの町で、2人は難なく溶け込むことが出来た。
現在、彼女達は狩猟ギルドに所属して、野山に入って獣や魔獣を狩っている。
2人で狩ることもあれば、カナリア1人で行くことも多い。
自分の食い扶持は自分で稼ぐ必要があるが、カナリアは今の生活を気に入っている。
旅をして変わったことは、アナがカナリアのことをお嬢様と呼ばなくなったことくらいか。
彼女の側には今も変わらずアナがいる。
きっとアナが――もしかしたらカナリアが先になるかもしれないが、結婚しても変わらず付き合いが続くことを祈っている。
故郷を捨てたことを後悔はしていないし、もし誰かに尋ねられても、カナリアは胸を張っていえる自信がある。
私は今、幸せだと。
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