これから新生活へおくる君に言っておきたいことがある

しがついつか

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荒波に揉まれた社会人からのお言葉

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昨年末に祖父が入院して以来、普段はこの家は無人である。
時折ロースケの母や伯母が、祖父の見舞いのついでに掃除しに来ているようで、あまり埃っぽくはない。


マツリはロースケが来るまで台所で人数分の小皿を洗っていた。
箸は割り箸を用意してあるため不要だが、伯母が用意した煮物などの副菜や叔父が持ってくる揚げ物などを取り分ける際に、祖母宅にある小皿を使えるようにしている。
紙皿を用意すれば準備も片付けも楽ではあるのだが、寿司を購入したときに必ず貰える割り箸と違い、紙皿は別途購入しなければならない。


マツリが洗った食器の泡を水で流していき、水切り籠の上にどんどん置いていく。
ロースケは置かれた皿を手に取ると、マツリに渡された真新しい布巾で拭いていった。


「ロースケってもう大学卒業するんだっけ?」
「うん。来週、卒業式」
「早いな~」
「来月からはもう会社始まるし…不安でしかないよ…」
「そっか…そうよね。一人暮らしするの?」
「いや、実家から通うよ。引っ越す資金とか溜まってないし」


アルバイトはしていたが、欲しいものや行きたい所があり、貯金に回せた額は少ない。
仮にアパートを決めたとしても、家電を買う余裕がない。

また会社から提示されている初任給は少ない。
5、6万の家賃だけでなく、毎月の水道光熱費や食費を賄えるかというと、厳しいと思った。

一人暮らしを始めるための資金を親に出してもらうという手も無くはないが、ロースケの場合は母が『NO』という未来しか見えない。
近くはないとはいえ最寄り駅まで電車1本で行けるし、自宅から通えるのだ。
働いて自分で資金をためてから引っ越せと言われるに決まっている。


ロースケの回答に、マツリは大きく頷いた。


「家から通えるなら、絶対その方がいいよ。会社入ると、学生時代と違うことが多くてかなり疲れると思うし。
 まあ最初の2か月くらいは新入社員研修だろうから、毎日定時で帰れるだろうけど。
 それでも、会社っていう初めての環境にプラスして、一人暮らしっていう初めてのことを合わせるとかなり精神的に疲れるからね」

「マツリ姉ちゃんは会社入るとき一人暮らしだった?」

「いーや、私も実家から。一人暮らしを始めたのは、入社3年目の秋だったかな。
 さすがに片道1時間半の通勤が面倒になってたし、何より学生時代からの友達が一人暮らしを初めたから、羨ましくなったのよ」


タイミング的にはちょうどよかったかな。
マツリはその時を思い出しているのか、わずかに目を細めた。


「ロースケのメンタルが強いなら、一人暮らしと入社を同時期にしてもいいと思うけど」
「メンタル?」


ロースケは首をかしげる。


「そう、メンタル。メンタルが弱いと、会社というで心折られて立ち上がれなくなっちゃうからね」
「え…どうゆうこと?」


一通り皿の泡を流し終えたマツリは、新しい布巾を一枚取り出すと、ロースケと一緒に皿の水気を拭きとり始めた。


「『会社は学校とは違う』って、聞いたことない?」
「ああ、うん。どっかで聞いたと思う」
「どう思った?」
「え?…いや、まあそりゃそうだろって思ったかな。学校と違って、会社は仕事するところだし、給料もらうために働くところだから…?」
「うんうん。そう、そうなのよ。会社は働く場所なのよね」


ロースケの言葉に、マツリは大きく頷く。


「ただ、それだけじゃないのよね」
「?」
「学校って、基本的には生徒のために『こうするとこうなります』『こういう時はこうしましょう』とか、わりと懇切丁寧に教えてくれるじゃない?
 テストだって『こういう条件の時こうするとどうなりますか?』っていう問題ばっかりで『こういう結果にするためにはどうしたらいいでしょう?』っていうのが無いのよね」

「うん」
「けど会社が求めるのは『こういう結果を出しなさい』だけなのよ。『こうしてください』っていちいち明確な指示を出してもらえないのよね。まあ、職種によるんだけど」
「…うん、わかる気がする」

「だから、会社だと自分からガンガン聞いていかないといけないのよ。学校では、待ってれば勝手に先生とか事務の人が声かけてくれたかもしれないけど。
 仕事の内容とか、期日とか、作業手順なんかは自分から聞いていかないといけない。
 新卒で入社して一年目の新人なら、知らなくて当然――むしろ何も知らないはずだから、ちゃんと作業手順を教えてくれる。
 でも、中途採用とか部署異動してきた人だと『前の仕事で経験してるかもしれない』という思いがあるから、本人から質問してきてくれないと共有し忘れることがあるのよね」
「えぇ…」


(それは、周りがちょっと配慮してあげればいいだけなんじゃないの?)


ロースケはそう思うが、口には出さなかった。



「会社って、確かに教育係の先輩はいるのよ。その人から色々教えられる体制は整えられるのよ。
 ――でもね、教育係とはいえ先輩にも仕事はあるの。
 学校の教員は生徒に教えることがメインの仕事なんだけど、先輩は『ついでに後輩にも教えておいて』っていう感じなのね。
 自分の仕事もこなしながら、後輩の指導をするのよ。
 しかも指導の仕方はマニュアル化なんてされてないし、先輩と後輩のコミュニケーション能力――つまり、個人差がすごいの。
 すごく頭が良くて仕事の呑み込みも早くて、なおかつ面倒見の良い先輩が担当してくれたら大当たりよ。
 新人ちゃんのわからないことはちゃんと教えてくれるし、新人ちゃんがうまく質問できなくても怒らないし、ちゃんと意見をくみ取ってくれる。
 個別指導の先生みたいに、つきっきりで相手してくれるかも。
 …でもね、みんながみんなそうじゃないのよね。
 人づきあいが苦手な先輩はいるし、仕事の能力が低い先輩もいる。
 後輩に気軽に話しかけられない人は、後輩が困っていても声をかけることができない。後輩の方から声をかけてくれるのを待っちゃうの。
 能力が低い先輩は、自分の仕事で手一杯で、後輩の様子を気にかけている暇はない」



マツリは皿を拭く手を止めて深いため息をつく。


「先輩は後輩の家族でも個別指導の先生でもないのよ…」


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