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丸洗い
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リンリーが目を覚ましたのは午前7時だった。
昨日の大掃除の疲れが出たようで、寝坊をしてしまった。
慌てて制服に着替えると、厨房へと向かった。
厨房の入り口に立つと、昨日の料理人見習いがリンリーを目ざとく見つけ、声をかけてきた。
「2番サマの食事はそこに置いてあるよ」
「ありがとうございます。――あの、後でお湯を貰いに来ても良いでしょうか」
「お湯? お茶でも淹れるのか?」
料理人は不思議そうに首をかしげる。
「いえ、お掃除のためです。バケツに4、5杯頂きたいのです。バケツは後で持ってきますので」
「ああ、それならすぐ用意できるから、必要なときに言ってくれ」
「ありがとうございます」
頼み事を終えると、リンリーは朝食のトレイを持って3階へと上がった。
コン、コン。
「おはようございます、アッシュ様。お食事をお持ちいたしました」
「…は…い…」
「…失礼します」
返事があったことに少し驚きつつ、トレイを片手に持ち替えてからドアを開けた。
アッシュはベッドに腰掛けてこちらを見ていた。
その視線はリンリーの手元に注がれている。
使用人と同じ朝食――バゲットとスープにゆで卵だ。
湧き上がる不快感を隠し、昨晩と同様に机に置いて椅子を引いてやると、アッシュはさっさと椅子に座った。
「…いただきます…」
か細い声を出し、アッシュはバゲットに手を伸ばした。
彼が食べ始めたのを認めて、リンリーは一声掛けてから退室した。
昨晩はアッシュが食べて終わるのを部屋の隅で待っていたのだが、なかなかに苦痛な時間だった。
彼の食事中に何か作業をしている方が、ずっと効率的だし精神的にいい。
予定では待ち時間を利用して、湯の準備を行うつもりだったのだが、まずは腹ごしらえだ。
リンリーも朝食をとるため、食堂へと向かった。
朝食を終えたリンリーは、使用人棟の物置部屋へとやってきた。
ここを訪れるのは3日連続である。
リンリーは奥の方に仕舞われていた盥を引っ張り出した。
膝を抱えた彼女がなんとか入り込める程度のサイズである。
文具類が納められている棚から、ハサミを一挺取り出すと、腕に抱えた盥に入れた。
雑巾にするために籠に入れられている使い古されたタオルを数枚取り出し、さらに盥に入れると、部屋から出た。
その足で向いの風呂場へと入った。
年若い使用人たちが風呂場の掃除に勤しんでいるのを尻目に、備品が入った棚から未使用の石鹸を1つ頂く。
――もちろん、許可はとっている。決して泥棒をしているわけではない。
リンリーは昨晩、遅い時間に食堂に現れた執事長を捕まえて、様々な備品の使用許可を取っていたのだ。
アッシュを風呂に入れたいが、使用人用の風呂を使用するのは憚られた。
執事長も渋い顔をしたし、リンリーも彼が入った後の風呂に入りたいと思えない。
アッシュが入った後、リンリーが丹念に掃除をするなら許可されそうであったが、使用人用の風呂はそれなりに広い。
だったら盥に湯を張って洗う方が良いと思い執事長に言ったところ、そちらはあっさりと許可が下りた。
どうせアッシュの洋服やシーツを洗うために盥は必要になるのだから、専用の盥を持っていた方が良いだろうと言われ、物置部屋から1つ持ち出すことを許可された。
タオルは新品では無く、雑巾になる直前の古びたタオルならいくらでも持って行って良いと言われている。
盥一式を持って伯爵邸の3階まで上がると、トイレに入り持ってきた物を邪魔にならぬよう壁際に置いた。
この階段脇にあるトイレは主に使用人達が利用するためのものであり、伯爵一家が使用するトイレは本館の別のエリアにある。
美しい壁紙や調度品などが置いてある広々としたトイレとは異なり、使用人用のトイレの壁と床はすべてタイル張りになっている。
入り口の左手に個室が1つあり、正面には手洗い場がある。
床には排水口があるため、ちょっとした洗い物ならばここで済ますことが出来る。
リンリーは再び1階へと降りると、今度は邸の外にある物置小屋からバケツを2つ持ち出した。
バケツは使用人棟の物置部屋ではなく、物置小屋の方にあるのだと執事長から事前に聞いていた。
厨房でバケツにお湯を張って貰い、3階まで持って行く。
かなりの重労働であった。
置いておいた盥に湯を入れると、空になったバケツを持ってもう一度厨房まで戻った。
再びバケツに2杯分のお湯を持ってくると、盥には入れずにそのまま壁際に置く。
「リンリーです。入室してもよろしいでしょうか」
「…どうぞ」
「失礼いたします」
アッシュの部屋に入ると、彼は既に食事を終え定位置であるベッドの上にいた。
机の上の食器は空になっている。
クローゼットからバケツと、アッシュの着替え一式、それから椅子を持ち出すとトイレへと向かった。
何事かと見ているアッシュの視線を無視して、着々と準備を進める。
トイレのドア横に椅子を置き、着替え一式と物置部屋から持ってきたタオル類を置いた。
バケツは湯を張った盥の側に持って行き、湯を少し掬うとタオルを一枚その中に放り込んだ。
「これでよし…」
準備を終えたリンリーはアッシュの部屋に戻った。
「アッシュ様、どうぞこちらに」
「…?」
不思議そうな顔をするアッシュをトイレの前まで連れて行った。
アッシュは湯の張った盥を見つけて目を見張る。
これから何をされるのか察したのだろう彼は、チラリとリンリーの顔を見た。
「本日はアッシュ様のお体をお清めいたします。それから御髪を整えさせていただきます」
「…」
「まずはこちらで服を脱いで頂きます。よろしいでしょうか」
「…うん…」
アッシュは頷くと、リンリーに服を脱がせて貰った。
廊下で主人の服を脱がせるのはどうかと思うが、トイレの中で脱がせるよりはマシなのではないかとリンリーは思う。
それに基本的に3階には誰も来ない。
トイレ掃除をする使用人も、朝方にさっさと掃除を済ませると後は一切近寄らないらしい。
誰にも見られる心配が無い。
脱がせた服を椅子の下に置くと、アッシュに盥の中に入るように促した。
ゆっくりと盥に片足をつけるアッシュを見ながら、リンリーは腕まくりをした。
どうしようもない嫌悪感を胸に抱いたまま、リンリーは深く深呼吸して気持ちを落ち着かせるとバケツの中に浸しておいたタオルを手に取った。
「…」
「立ったままでは危ないので、そのまま盥の中に座ってください」
リンリーの指示通り、盥の湯の中に腰を下ろしたアッシュは、温かい湯にほうっと息を吐いた。
湯をたっぷり吸ったタオルを、アッシュの頭の上に乗せる。
絡まりきった髪の毛をゆっくり濡らしていく。
頭皮の汚れを落とすために、まずは湯でふやかしてやるのだ。
「これから御髪にハサミを入れます。危険ですので、動かないでくださいね」
「…わかった…」
アッシュの髪の毛は腰に届きそうなほど長い。
貴族に限らず、また男女問わず、髪の毛の長さは人によりけりだ。長くても短くても問題ない。
――であれば、洗って乾かしやすい様に短くしてしまった方が、リンリーの手間が減って良い。
執事長から事前に許可を得ているため、リンリーは一房手に取ると、肩の上あたりの長さに躊躇無くハサミを入れた。
固まっているところが硬くなっていて切りづらい。
ジャキジャキとハサミを入れ、切り離された髪の毛の房を、近くに置いておいたゴミ入れに放り込む。
それを数度繰り返すことで、伸びっぱなしで絡まり固まっていた髪の毛の大部分を本体から除去できた。
お湯を吸わせるために一度、頭皮を濡らすためのタオルを外すと、アッシュは軽くなった頭に驚いているようだった。
ゆるゆると首を振って、重さを確認している。
彼の前髪は伸びきってセンター分けになっている。
アッシュの額は吹き出物だらけのため、余計な刺激を与えないように、あえて前髪は作らない方がよいだろう。
リンリーは散髪師ではないので見栄え良く整えることが出来ない。カットするのはここまでにしておく。
再び湯に浸したタオルをアッシュの頭に乗せると、指で軽く頭皮をマッサージする。
頭皮の汚れが浮かせるためだ。
一通り揉んだあとタオルを外すと、タオルは黒く汚れていた。
汚れが浮いてきた証である。
リンリーは石鹸を手に取り、泡立てると、アッシュの髪へと泡を乗せていった。
「御髪を洗いますね。石鹸が目に入ると傷みますので、私が良いと言うまでは目を瞑っていてください」
「…うん…」
アッシュが頷くのを確認してから、リンリーは泡まみれにした頭を洗い始めた。
泡をいっぱい付けたにもかかわらず、数回指で頭皮を揉んだだけで泡は黒くなり消えていった。
汚れが酷いらしい。
バケツの湯で手と石鹸を塗らしながら追加で泡を作り乗せ、頭をもみ洗いするのを繰り返した。
(いったいどのくらいお風呂に入っていなかいのかしら…。汚れが強すぎるわ…)
リンリーが辟易するほど、アッシュの汚れは酷かった。
十数分かけて何度も洗ううちに、ようやく石鹸の白い泡が髪の毛に行き渡ってきた。
髪の毛はもう十分だろう。
「泡を洗い流しますね。そのまま目を瞑っていてください」
リンリーは厨房から貰ってきた湯の入ったバケツのうち1つを持つと、アッシュの頭めがけてゆっくりと傾ける。
お湯を掛けて頭の泡を洗い流していった。
「もう目を開けて大丈夫ですよ。次はお背中をお流しします」
アッシュが浸かっている盥のお湯は、汚れが溶け出し黒くなっている。
石鹸を泡立ててタオルに乗せると、それでアッシュの背中を擦る。
ぽろぽろと垢が取れていく。
途中で何度かタオルをゆすぎ石鹸の泡を付け直しながら、アッシュの体を丁寧に洗っていった。
「終わりました…」
アッシュの丸洗いが終わり新しい服に着替えさせると、リンリーはどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。
素人が切ったため整ってはいないものの、こざっぱりとした髪。
垢を落として石鹸の良い匂いがする体と綺麗な服に、アッシュはどこか嬉しそうであった。
「…あ…」
「アッシュ様はお部屋へお戻りください。私はこちらを片付けた後で昼食を取ってまいりますので、それまでごゆっくりとおくつろぎくださいませ」
何かを言おうとしたアッシュを遮り、リンリーは一礼するとトイレを片付け始めた。
トイレ前の廊下でしばらくウロウロとした後、リンリーが忙しそうにしているのを見て、アッシュは部屋へと戻っていった。
(…言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに。…そもそも、御礼なんて言って欲しくないし…)
こっちは仕事でやっているのだ。
わざわざ感謝されるようなことではない。
すべては金のためである。
なんともいえない不満や不快感を胸に抱えたまま、リンリーは黙々とその場を片付けた。
昨日の大掃除の疲れが出たようで、寝坊をしてしまった。
慌てて制服に着替えると、厨房へと向かった。
厨房の入り口に立つと、昨日の料理人見習いがリンリーを目ざとく見つけ、声をかけてきた。
「2番サマの食事はそこに置いてあるよ」
「ありがとうございます。――あの、後でお湯を貰いに来ても良いでしょうか」
「お湯? お茶でも淹れるのか?」
料理人は不思議そうに首をかしげる。
「いえ、お掃除のためです。バケツに4、5杯頂きたいのです。バケツは後で持ってきますので」
「ああ、それならすぐ用意できるから、必要なときに言ってくれ」
「ありがとうございます」
頼み事を終えると、リンリーは朝食のトレイを持って3階へと上がった。
コン、コン。
「おはようございます、アッシュ様。お食事をお持ちいたしました」
「…は…い…」
「…失礼します」
返事があったことに少し驚きつつ、トレイを片手に持ち替えてからドアを開けた。
アッシュはベッドに腰掛けてこちらを見ていた。
その視線はリンリーの手元に注がれている。
使用人と同じ朝食――バゲットとスープにゆで卵だ。
湧き上がる不快感を隠し、昨晩と同様に机に置いて椅子を引いてやると、アッシュはさっさと椅子に座った。
「…いただきます…」
か細い声を出し、アッシュはバゲットに手を伸ばした。
彼が食べ始めたのを認めて、リンリーは一声掛けてから退室した。
昨晩はアッシュが食べて終わるのを部屋の隅で待っていたのだが、なかなかに苦痛な時間だった。
彼の食事中に何か作業をしている方が、ずっと効率的だし精神的にいい。
予定では待ち時間を利用して、湯の準備を行うつもりだったのだが、まずは腹ごしらえだ。
リンリーも朝食をとるため、食堂へと向かった。
朝食を終えたリンリーは、使用人棟の物置部屋へとやってきた。
ここを訪れるのは3日連続である。
リンリーは奥の方に仕舞われていた盥を引っ張り出した。
膝を抱えた彼女がなんとか入り込める程度のサイズである。
文具類が納められている棚から、ハサミを一挺取り出すと、腕に抱えた盥に入れた。
雑巾にするために籠に入れられている使い古されたタオルを数枚取り出し、さらに盥に入れると、部屋から出た。
その足で向いの風呂場へと入った。
年若い使用人たちが風呂場の掃除に勤しんでいるのを尻目に、備品が入った棚から未使用の石鹸を1つ頂く。
――もちろん、許可はとっている。決して泥棒をしているわけではない。
リンリーは昨晩、遅い時間に食堂に現れた執事長を捕まえて、様々な備品の使用許可を取っていたのだ。
アッシュを風呂に入れたいが、使用人用の風呂を使用するのは憚られた。
執事長も渋い顔をしたし、リンリーも彼が入った後の風呂に入りたいと思えない。
アッシュが入った後、リンリーが丹念に掃除をするなら許可されそうであったが、使用人用の風呂はそれなりに広い。
だったら盥に湯を張って洗う方が良いと思い執事長に言ったところ、そちらはあっさりと許可が下りた。
どうせアッシュの洋服やシーツを洗うために盥は必要になるのだから、専用の盥を持っていた方が良いだろうと言われ、物置部屋から1つ持ち出すことを許可された。
タオルは新品では無く、雑巾になる直前の古びたタオルならいくらでも持って行って良いと言われている。
盥一式を持って伯爵邸の3階まで上がると、トイレに入り持ってきた物を邪魔にならぬよう壁際に置いた。
この階段脇にあるトイレは主に使用人達が利用するためのものであり、伯爵一家が使用するトイレは本館の別のエリアにある。
美しい壁紙や調度品などが置いてある広々としたトイレとは異なり、使用人用のトイレの壁と床はすべてタイル張りになっている。
入り口の左手に個室が1つあり、正面には手洗い場がある。
床には排水口があるため、ちょっとした洗い物ならばここで済ますことが出来る。
リンリーは再び1階へと降りると、今度は邸の外にある物置小屋からバケツを2つ持ち出した。
バケツは使用人棟の物置部屋ではなく、物置小屋の方にあるのだと執事長から事前に聞いていた。
厨房でバケツにお湯を張って貰い、3階まで持って行く。
かなりの重労働であった。
置いておいた盥に湯を入れると、空になったバケツを持ってもう一度厨房まで戻った。
再びバケツに2杯分のお湯を持ってくると、盥には入れずにそのまま壁際に置く。
「リンリーです。入室してもよろしいでしょうか」
「…どうぞ」
「失礼いたします」
アッシュの部屋に入ると、彼は既に食事を終え定位置であるベッドの上にいた。
机の上の食器は空になっている。
クローゼットからバケツと、アッシュの着替え一式、それから椅子を持ち出すとトイレへと向かった。
何事かと見ているアッシュの視線を無視して、着々と準備を進める。
トイレのドア横に椅子を置き、着替え一式と物置部屋から持ってきたタオル類を置いた。
バケツは湯を張った盥の側に持って行き、湯を少し掬うとタオルを一枚その中に放り込んだ。
「これでよし…」
準備を終えたリンリーはアッシュの部屋に戻った。
「アッシュ様、どうぞこちらに」
「…?」
不思議そうな顔をするアッシュをトイレの前まで連れて行った。
アッシュは湯の張った盥を見つけて目を見張る。
これから何をされるのか察したのだろう彼は、チラリとリンリーの顔を見た。
「本日はアッシュ様のお体をお清めいたします。それから御髪を整えさせていただきます」
「…」
「まずはこちらで服を脱いで頂きます。よろしいでしょうか」
「…うん…」
アッシュは頷くと、リンリーに服を脱がせて貰った。
廊下で主人の服を脱がせるのはどうかと思うが、トイレの中で脱がせるよりはマシなのではないかとリンリーは思う。
それに基本的に3階には誰も来ない。
トイレ掃除をする使用人も、朝方にさっさと掃除を済ませると後は一切近寄らないらしい。
誰にも見られる心配が無い。
脱がせた服を椅子の下に置くと、アッシュに盥の中に入るように促した。
ゆっくりと盥に片足をつけるアッシュを見ながら、リンリーは腕まくりをした。
どうしようもない嫌悪感を胸に抱いたまま、リンリーは深く深呼吸して気持ちを落ち着かせるとバケツの中に浸しておいたタオルを手に取った。
「…」
「立ったままでは危ないので、そのまま盥の中に座ってください」
リンリーの指示通り、盥の湯の中に腰を下ろしたアッシュは、温かい湯にほうっと息を吐いた。
湯をたっぷり吸ったタオルを、アッシュの頭の上に乗せる。
絡まりきった髪の毛をゆっくり濡らしていく。
頭皮の汚れを落とすために、まずは湯でふやかしてやるのだ。
「これから御髪にハサミを入れます。危険ですので、動かないでくださいね」
「…わかった…」
アッシュの髪の毛は腰に届きそうなほど長い。
貴族に限らず、また男女問わず、髪の毛の長さは人によりけりだ。長くても短くても問題ない。
――であれば、洗って乾かしやすい様に短くしてしまった方が、リンリーの手間が減って良い。
執事長から事前に許可を得ているため、リンリーは一房手に取ると、肩の上あたりの長さに躊躇無くハサミを入れた。
固まっているところが硬くなっていて切りづらい。
ジャキジャキとハサミを入れ、切り離された髪の毛の房を、近くに置いておいたゴミ入れに放り込む。
それを数度繰り返すことで、伸びっぱなしで絡まり固まっていた髪の毛の大部分を本体から除去できた。
お湯を吸わせるために一度、頭皮を濡らすためのタオルを外すと、アッシュは軽くなった頭に驚いているようだった。
ゆるゆると首を振って、重さを確認している。
彼の前髪は伸びきってセンター分けになっている。
アッシュの額は吹き出物だらけのため、余計な刺激を与えないように、あえて前髪は作らない方がよいだろう。
リンリーは散髪師ではないので見栄え良く整えることが出来ない。カットするのはここまでにしておく。
再び湯に浸したタオルをアッシュの頭に乗せると、指で軽く頭皮をマッサージする。
頭皮の汚れが浮かせるためだ。
一通り揉んだあとタオルを外すと、タオルは黒く汚れていた。
汚れが浮いてきた証である。
リンリーは石鹸を手に取り、泡立てると、アッシュの髪へと泡を乗せていった。
「御髪を洗いますね。石鹸が目に入ると傷みますので、私が良いと言うまでは目を瞑っていてください」
「…うん…」
アッシュが頷くのを確認してから、リンリーは泡まみれにした頭を洗い始めた。
泡をいっぱい付けたにもかかわらず、数回指で頭皮を揉んだだけで泡は黒くなり消えていった。
汚れが酷いらしい。
バケツの湯で手と石鹸を塗らしながら追加で泡を作り乗せ、頭をもみ洗いするのを繰り返した。
(いったいどのくらいお風呂に入っていなかいのかしら…。汚れが強すぎるわ…)
リンリーが辟易するほど、アッシュの汚れは酷かった。
十数分かけて何度も洗ううちに、ようやく石鹸の白い泡が髪の毛に行き渡ってきた。
髪の毛はもう十分だろう。
「泡を洗い流しますね。そのまま目を瞑っていてください」
リンリーは厨房から貰ってきた湯の入ったバケツのうち1つを持つと、アッシュの頭めがけてゆっくりと傾ける。
お湯を掛けて頭の泡を洗い流していった。
「もう目を開けて大丈夫ですよ。次はお背中をお流しします」
アッシュが浸かっている盥のお湯は、汚れが溶け出し黒くなっている。
石鹸を泡立ててタオルに乗せると、それでアッシュの背中を擦る。
ぽろぽろと垢が取れていく。
途中で何度かタオルをゆすぎ石鹸の泡を付け直しながら、アッシュの体を丁寧に洗っていった。
「終わりました…」
アッシュの丸洗いが終わり新しい服に着替えさせると、リンリーはどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。
素人が切ったため整ってはいないものの、こざっぱりとした髪。
垢を落として石鹸の良い匂いがする体と綺麗な服に、アッシュはどこか嬉しそうであった。
「…あ…」
「アッシュ様はお部屋へお戻りください。私はこちらを片付けた後で昼食を取ってまいりますので、それまでごゆっくりとおくつろぎくださいませ」
何かを言おうとしたアッシュを遮り、リンリーは一礼するとトイレを片付け始めた。
トイレ前の廊下でしばらくウロウロとした後、リンリーが忙しそうにしているのを見て、アッシュは部屋へと戻っていった。
(…言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに。…そもそも、御礼なんて言って欲しくないし…)
こっちは仕事でやっているのだ。
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