犯意

北川 悠

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麗奈と麗子

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 澄み切った青空と爽やかな風。季節外れの大雨の後、関東地方は久しぶりの秋晴れとなった。十月も下旬だというのに気温が上がり、今日は半袖の陽気である。
 麗奈はスーツのジャケットを脱いで脇に抱えた。薄紫色のブラウスが身体に密着し、胸の大きさを強調している。すれ違う人々の多くは男女に関わらず一瞬、麗奈に視線を向ける。百七十センチ越えの身長で抜群のスタイルと美貌。男性は思わず見とれ、女性は、神様は不公平だという事を思い知る。

 千葉県警察本部のガラス張りの部屋で麗奈れなが武男を待っていた。
先日、武男は麗奈の知恵を借りるため、都内の彼女の事務所に出向く。と連絡したところ、彼女の方も、話したい事があるからと、ここ県警本部で会う事になったのである。

 麗奈が着いてから約三十分後、武男が来客室にやってきた。ダークグレーのスーツにライトグレーのシャツ、タイはソリッドのダークグリーン。そのタイは麗奈よりプレゼントされたものだ。
「二十分ルールはどうしたの?」
 武男のネクタイを直しながら、別に怒っていないわよ。という顔をして麗奈は微笑んだ。
「すまない。わざわざ来てもらったのに―夕方のニュースで流れると思うが、今朝、江戸川の河川敷から女性の遺体が発見されたんだ。昨日の大雨で、埋められていた遺体が顔を出したという訳だ。それでゴタゴタしている」
武男はレンズに少しだけブルーの入った銀縁の眼鏡を右手の中指で押し上げた。
「千葉の管轄?」
「そうらしい」
「行かなくていいの?」
「俺はボスだからね」
 武男は人差し指を立てて左右に振った。
 辺りが騒がしくなってきた。佐島麗奈さじまれなが来ている事を知った職員が続々とやってきてガラスに張り付いてこちらをみている。
 麗奈は三十歳、独身で、都内に事務所を構えるフリージャーナリストだ。大学を卒業後、フランスに留学。帰国後、大手の通信会社に勤務していたが、数年前に独立した。以前はテレビのコメンテーターとしても活躍していたので、ちょっとした有名人である。
 そんな彼女にも裏の顔があり、Marikoという別名で女流緊縛写真家としても活動している。昨年は都内で個展も開いている。しかし、麗奈とMarikoが同一人物だと知る者は少ない。写真家として仕事をする時はメイクも服装も髪型も変えるので、一部のプロデューサー以外、その事実を知らない。麗奈には別にどうでもいい事であったが、テレビという媒体での仕事もある以上、彼女を使う局の提案だった。以前に比べたら、確かにメディアへの露出は減ったが、それでも、依然として根強い人気がある事には変わりがない。美人のくせに、下ネタOK、歯に衣を着せぬ言い方が好評だ。
 見ると小出や津島、鳴沢まで見にきている。武男がドアを開けて追い払おうとした時、大きな声がした。
「姉さん! こんなところで何してるの」
 麗子だった。その場にいた皆が麗子と麗奈を見比べた。言われてみれば似ている。
 武男は野次馬を追い払い、チームの連中を荒川の現場に行かせた後、一階にある珈琲ショップで、話をする事にした。呼んでいないのに麗子も同席している。
「へえ~最近の警察にはこんなお洒落なカフェがあるのね」
 麗奈と武男はブレンドを注文した。
 武男は例の動画から切り出した画像を麗奈の前に置いた「どう思う?」田代香苗の画像を中指でたたいた。
「この縛り方は素人じゃないわね。少なくともSM的な意味では」
 麗奈はボールペンを使って、画像の三か所に赤い丸を付けた「ここと、ここと、ここ。いい?この縛り方は凝っていない分、短時間で縛ることが出来る。でも、それはあくまでも経験者。全くの素人だったらこんな縛り方は出来ないわ。仮に教本を見ながら縛ったとしても、初めてだったら時間はかかるし、こんなにしっかりと縛ることは出来ないわね」  
 麗奈はボールペンの端を噛みながら言った。その癖は相変わらずらしい。
「で、その三か所の赤い丸は?」麗子が聞いた。
「下方の胸縄を左右の肩に向かって吊り上げている二本の縄、その根元が2回ねじられているでしょ。この縄は胸を 強調する為のものだけど、ねじる事によって見た目も良くなるし、緩みにくくなるの」麗奈は真ん中の赤い丸を指して言った。
「見た目的にはよくわからんが、奥が深いんだな」武男は2度頷いた。
「で、左右に掛けられた縦の縄はかんぬき。これが無いと胸と腕を縛っている重要な縄がすぐ緩んじゃうの。だから、本格的に緊縛をする人は必ずかんぬきを入れるわね」
 麗奈は左右の赤い丸をボールペンの端でたたいた「以上の事から、この子を縛った人物は緊縛の経験が豊富な人物。あるいはプロだと思うわ」
 そう言うと麗奈はドーナツを注文した。またボールペンの端を噛んでいる。
「私は専ら女の子を縛って撮影するんだけど、ほんとはエムなの。今度教えてあげるから、私のこと縛ってね」麗奈は冗談とも本気とも取れない口調で武男に語りかけた。
「ちょっと姉さん! 本気で怒るわよ! 彼は私のボスよ! へんな誘惑は止めて!」
どうやら麗子は本気で怒っているようだ。
「あら、武男は今、独身でしょ。いいじゃない」麗奈は武男に向けてウインクをした。
「よくないに決まってるでしょ! ボスはまだ亡くなった奥さんの事を想っているのよ!それに姉さんみたいなアバズレは相手を不幸にするわ」
 麗子の眼はきつかった。
「えらい言われようね。私は好きな人としかセックスしないわよ」
 麗奈は落ち着いている。
 この二人は似た顔をしているが随分と性格は違う。しかし、二人とも美人で背が高く、尚且つ秀才であるというところは一致している。天は二物を与えたようで、まったくもって羨ましい限りである。
「さっきからイケメン君が外でこちらを見ているみたいだけど、麗子、貴女を待っているんじゃないの?」
 麗奈はそう言って窓の外を指さした。
 そこには、チラチラとこちらを見ている津島がいた。
「いけない! 忘れてた」
 麗子は両手で口を覆って立ち上がった。
 武男は津島を店内に呼んで麗奈を紹介した。
「光栄です。麗奈さん。クイ、いや麗子さんのお姉さんなんですね」
 この二人が姉妹だという事に津島もビックリしたようである。
「サイン……頂けますか?」
 津島は新品のノートを手に持っている。今その為に、そこの売店で買ったノートだろう。
「あら、嬉しい」
 麗奈はバックの中から黒いボールペンを取り出して、サインをした「良かったらこのボールペンも 差し上げます」
 今使ったボールペンも一緒に津島に渡した。それは麗奈の会社のボールペンで、側面にRena CCと印刷されている。ノック部分には麗奈が噛んだ跡がついている。それに気づいた麗奈が慌てて、もう一本新しいボールペンを取り出したが、津島は最初にもらったボールペンを握り締めてお礼を言った。
 麗子はキツイ眼で麗奈と津島を睨めつけてから、席を立った。その後を津島がついていく。どちらが先輩なのか分からない。
「あの子、私の事が大嫌いなのよ」麗奈は少し遠い目をして言った。
「何か理由でもあるのか?」
「今も、貴方とイケメン君が私に取られると思ったのよ」
「どういう事だ?」
「昔からなのよ。あの子の中では武男も、さっきのイケメン君も自分のものなの。だから、ちょっかい出した私が気に入らないのよ」
「意味がわからんが?」
「その内わかるわよ」麗奈は新しいボールペンの端を噛みながら、言った。
「俺にも分かるように説明してくれないか? 今では麗子は俺の大事な部下だからな」
 武男はこの二人が仲良くしている姿を見た事がなかった。大抵は口喧嘩をしている。
「昔からそう、あの子は私を追いかけてくるの。高校も同じ、大学も同じ、おまけに学年トップを取ってフランスへの奨学生留学まで……あの子は私から悪意を持っていろいろなものを奪っていく。友達も男も。私に負けるという事はあの子の中では、死ぬほどの屈辱なの」
「俺には、そんな風には見えんが、何か原因があるのか?」
「あるわよ。私達は父親が違うの。母は私を生んですぐ夫と別れ、今の夫と再婚した。その男、つまり麗子の父親は、自分の本当の娘である麗子のみを可愛がったわ。だから私は麗子が高校生になる頃くらいまで、徹底的に彼女を虐めたの。麗子が憎かったから。で、恨まれてるってわけ」
「今も、お互いその気持ちが続いていると?」
「私はもう、そんな昔の事忘れちゃったわ。父も母も麗子が大学を卒業してフランスに留学が決まった時に、アイルランドに移住しちゃったし」
「アイルランド?」
「そうよ、アイルランド。母はイギリス人のハーフで売れない小説家、再婚した夫は翻訳家で、主にイギリスとアイルランド人の小説を翻訳していたの。元々お金持ちだったみたいで、まあ道楽みたいな仕事だと言ってたわ。で、よくわからないけれど、アイルランドへの移住は二人の夢だったみたい。羨ましい自由人ね」
 麗奈の言葉はまるで他人の事のように聞こえた。そうか、それで麗子も麗奈も何となく日本人離れした印象を受けるのか。武男は妙に納得した。
 武男と麗奈は知り合って四年程になる。当時彼女はストーカー被害を受けていた。精神的にも疲労困憊し、その後病院にも通っていた時期がある。武男がその件を担当したわけではないが、何度か彼女とは話をした。その時からの知り合いである。麗子は、その姉のストーカー事件がきっかけで警察官を志したようだ。

 武男は地下の証拠品保管室から、田代香苗を縛っていた縄とボールギャグを持ち出し、隣の部屋で麗奈に見せた。
 証拠品は別々のビニール袋に入れられ、ラベルが貼られている。証拠品に共通して言える事だが、こうして手に取ると、事件の生々しさが脳裏に甦ってくる。

「出してみてもいいかしら?」
「構わないよ」

 田代香苗を縛っていた縄は約十五メートルで、広範囲にわたって赤黒く染まっている。それが入谷健吾の血液だという事は説明を受けなくてもわかるだろう。ボールの部分が赤いプラスチックの口枷にも血液が付着している。文字通り田代は血のシャワーを浴びたのだ。

「鑑識の報告だと、どちらからも、田代香苗と入谷健吾のDNAしか検出されていない。当然だが犯人は手袋をしていただろう」
「この縄はプロやマニアが使うものじゃないわね。ちゃんとした緊縛用のものだと主流は七メートルか十メートルだし、もっといい材質よ。これは多分、大量に出回っている安価な粗悪品。出所を探るのは難しいと思うわ。このボールギャグもそうね。ベルトの部分がビニールだから、大量生産品よ」
「だろうな……」
「ごめんなさい。役に立たなくて」
「いや、参考になったよ、ありがとう」
「もうお昼よ、お腹空いたわね。出れる? 私も聞いてもらいたい事があるの」
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