捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希

文字の大きさ
58 / 67

コンラッドは、ひとつの可能性に行き当たってしまう。

しおりを挟む
 ドクン……ドクン……

 心臓がこれまでにあり得ないくらいに、大きな音を立てている。

(……嘘、なん……で……)

 聞き覚えのある声。
 ヨナを抱きしめ、そのままうつむいた状態のユーリは、その場で体をこわばらせた。

 心臓の音がうるさい。
 体が不安と恐怖で、ガタガタと震える……。

「母様?」

 そんな母親の変化をいち早く感じたヨナリウスは、母親に尋ねた。
 ヨナリウスの不安そうな自分を呼ぶ声に、ユーリははっと我に返った。

「ユリアーナが、ヨナリウスの母親? 一体どうして……。」

 頭上からは、驚きを隠せないコンラッドの声が聞こえた。

(――その名は五年前に捨てたの)

 ユーリは自分に言い聞かせるよう、心の中で強くつぶやいた。

 そして。

「……あ、あの……。」

 意を決し、勇気を振り絞って声を出した。

 そう。
 きっと大丈夫。
 
 髪の色も、瞳の色も変えた。
 髪も肩で切りそろえ、癖も隠し、別人になりすまして――この国では「ユーリ」と名乗っている。

 今まで誰にもバレていないのだ、きっと今回もやり過ごせる。
 
 そうしてみせる、ヨナとの明るい未来のためにも……。
 
 ユーリはゆっくりと顔を上げ、目の前の彼に一言だけ伝えた。

「……人違いですわ。」

 喉が震えた。
 震えを隠すように、ユーリはヨナを抱きしめ直す。

「私はユーリといいます。ただの平民です。申し訳ありませんが、ユリアーナという名には、心当たりはございません。」

 それだけを、まくし立てるように告げると、ユーリは視線を地に落とし、再度ヨナリウスをぎゅっと抱きしめた。

「か、母様、どうしたの? 僕が約束破っちゃったから、怒っているの?」

 ヨナリウスは今にも泣きそうな声で、ユーリに聞いてくる。

「怒っているわけではないの、ただ驚いただけよ。でもヨナの顔を見たら安心したわ。さあ、母様と一緒におうちに帰りましょう。」

 ヨナリウスから体を離し、まっすぐに彼を見てユーリはそう言うと、立ち上がった。

「待ってくれ!」

 そう言ってユーリの肩を掴もうとするコンラッドの手は――

「ユーリ、どうしたんだ?」

 ドモンの手によって阻まれた。

「君は?」

 自分の手の行く先を遮り、その手首を掴んでくる相手を、コンラッドは睨みつけた。

「貴族様といえど、うちのパーティーメンバーに気安く触るのは、やめてもらえますか?」

 ユーリとヨナリウスを背にしたドモンも、負けじとコンラッドを睨み返していた。

「パーティーメンバー?」

 コンラッドは驚いたように、目を見開いた。

「はい。私たちは冒険者です。」

「冒険者? その……彼女も?」

「ええ。うちの大事なメンバーですが、彼女がどうかしたのですか?」

 警戒心はそのままに、しかし相手が貴族なだけに、ドモンは慎重に尋ねた。

「……彼女はずっと、君と一緒に冒険者の仕事を?」

「ええ。五年前からずっとですが……。それが何か?」

「五年前?」

 コンラッドの様子に、ドモンは反射的に掴んだ手を放してしまった。
 「五年前」という言葉に、明らかに反応していることに、何かの引っかかりを感じたからである。

「では、ヨナリウスの父親は、まさか君なのか?」

 しかし。
 急に思ってもないことを言われ、そして先ほど以上に険しい表情で睨み返してくるコンラッドに一瞬だけ、ドモンは後ろずさってしまった。

「え? は? 俺がヨナの父親? は?」

(え?何言ってんのこいつ……どう見ても俺は、ユーリのお兄さんポジションだろう? そうだろう?)

 花街に何人もの女性がいる、今や冒険者ギルドで一番強いパーティーメンバーのリーダーとして有名な俺が?
 結婚の「け」の字も考えたことのない、この俺が?

 なにがどうしてヨナの父親に? え?

 彼もまた、メリンダ同様にたくさんの相手がいるために、あえて結婚を考えたことのない一人なのである。

 ドモンは、目をパチパチと激しく瞬きしながら、そのまま思考停止状態に陥る。

「ドモン、しっかりして。貴族様相手に失礼よ。」

 後ろから聞こえたユーリの言葉に、ドモンは現実へと引き戻される。

「ヨナリウス、君は一体何歳なんだ?」

 そこで、コンラッドは初めてヨナリウスに年齢を聞いた。

「ぼく? 四歳だよ?」

 ヨナリウスは反射的に、右手で親指以外を立て、コンラッドへ向かって「四」を作ってみせた。

「四歳……だったのか……」

 コンラッドは、ヨナリウスの答えに言葉を失う。

「ヨナ。あなたも貴族様に失礼ですよ?」

 ユーリはそう言うと、ヨナリウスの小さな手を自分の手で素早く隠す。

「なんで? あのおじさん、いい人だよ? ぼく、あのおじさんに助けてもらったの。」

 ヨナリウスは、ユーリの顔色をうかがうように、不安そうな視線を向けながらそういった。

「そ、そうなのね? でもあのお方は貴族様よ? 私たちが簡単に関わってはいけない相手なの。」

 ユーリは、ヨナリウスに言って聞かせようとした。
 これ以上、彼に関わってもらっては困る。
 自分たちの生活を守るため、ユーリは混乱する頭の中を懸命に整理し言葉を探しながら、ヨナリウスに言って聞かせた。

(お願いヨナ。もうこれ以上、彼に関わらないで……)

 心の中で必死にそう願いながら……。

「そうなんだ。ごめんなさい、おじさん……っていっていいのかな? 公爵様? で合っていますか?」

 今にも泣きそうな顔をしているユーリを見て、ヨナリウスは突然、コンラッドに対する言葉遣いを改めた。
 その他人行儀なもの言いに……急に遠くなってしまった距離感に、コンラッドは寂しさとそれ以上に、心臓がまるで破裂でもしてしまうくらいに、大きく高鳴った。

「……いや、今まで通りに「おじさん」で問題ないのだ……。」

(おじさんではなく……)

 コンラッドは混乱していた。
 そして混乱の中、突然思い出したことがある。

(確かあのとき、侍女長が……)

 そう。
 ユーリ=ユリアーナが失踪したその日。
 侯爵家侍女たち一団による、『公爵しつけ大会』が開かれた今思い出しただけでも、鳩尾がしくしくと痛くなる、あの屈辱的な一日を。

(まさか……)

 ここで一つ、コンラッドは思い当たることがあった。

(だからあの時、ディーバリーはしつこくヨナリウスに母君のことを……)

 確かに。
 今目の前にいる『ユーリ』と名乗る女性は、髪の色も瞳の色も違う。
 どちらもこの世界ではありふれた、ごく一般的な色だ。
 本物のユリアーナのあの特徴的な髪と瞳の色とは、全く異なる。

 しかし。
 ヨナリウスの顔立ちは、明らかに自分にそっくりで、そして髪の色と瞳の色は、『ユリアーナ』そのもので……。

 何よりも。
 目の前にいる『ユーリ』と名乗る女性は、間違いなく『ユリアーナ』のはずなのに……。

「……まだ、怒っているのか?」

 コンラッドは、ドモンの後ろに隠れているユーリに対し、一言だけ尋ねた。

 その声は明らかに、悲痛に満ちた、今にも消え入りそうなか細い声だった。

「怒る? とは一体、何のことなのでしょうか?」

 ユーリはあくまでもしらを切って見せた。

(怒っている? 当たり前でしょう? あんなことを言っておきながら、しかもいつの間にあんなにヨナと親しく……)

 ヨナリウスは、仲間以外の男性とは基本的に距離を取る。
 例外は、兄弟のように仲がいいウィリアムと、ローウェン・ヴァレン辺境伯、そしてバーナード・ハイランズ伯爵くらいだ。

 それなのに……。

 「ヨナ」という愛称まで許し、しかも自分に対して庇ってまで見せるほど、この短期間で仲良くなってしまっているコンラッドに対し、ユーリの警戒心はますます強まってしまうのであった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。

パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、 クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。 「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。 完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、 “何も持たずに”去ったその先にあったものとは。 これは誰かのために生きることをやめ、 「私自身の幸せ」を選びなおした、 ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

7歳の侯爵夫人

凛江
恋愛
ある日7歳の公爵令嬢コンスタンスが目覚めると、世界は全く変わっていたー。 自分は現在19歳の侯爵夫人で、23歳の夫がいるというのだ。 どうやら彼女は事故に遭って12年分の記憶を失っているらしい。 目覚める前日、たしかに自分は王太子と婚約したはずだった。 王太子妃になるはずだった自分が何故侯爵夫人になっているのかー? 見知らぬ夫に戸惑う妻(中身は幼女)と、突然幼女になってしまった妻に戸惑う夫。 23歳の夫と7歳の妻の奇妙な関係が始まるー。

【完結】結婚しておりませんけど?

との
恋愛
「アリーシャ⋯⋯愛してる」 「私も愛してるわ、イーサン」 真実の愛復活で盛り上がる2人ですが、イーサン・ボクスと私サラ・モーガンは今日婚約したばかりなんですけどね。 しかもこの2人、結婚式やら愛の巣やらの準備をはじめた上に私にその費用を負担させようとしはじめました。頭大丈夫ですかね〜。 盛大なるざまぁ⋯⋯いえ、バリエーション豊かなざまぁを楽しんでいただきます。 だって、私の友達が張り切っていまして⋯⋯。どうせならみんなで盛り上がろうと、これはもう『ざまぁパーティー』ですかね。 「俺の苺ちゃんがあ〜」 「早い者勝ち」 ーーーーーー ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。 完結しました。HOT2位感謝です\(//∇//)\ R15は念の為・・

家出を決行した結果

恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。 デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。 自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。 ※なろうさんにも公開しています。

勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました

鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」 そう言ったのは、王太子アレス。 そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。 外交も財政も軍備も―― すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。 けれど功績はすべて王太子のもの。 感謝も敬意も、ただの一度もない。 そして迎えた舞踏会の夜。 「便利だったが、飾りには向かん」 公開婚約破棄。 それならば、とレイナは微笑む。 「では業務も終了でよろしいですね?」 王太子が望んだ通り、 彼女は“確認”をやめた。 保証を外し、責任を返し、 そして最後に―― 「ご確認を」と差し出した書類に、 彼は何も読まずに署名した。 国は契約で成り立っている。 確認しない者に、王の資格はない。 働きたくない公爵令嬢と、 責任を理解しなかった王太子。 静かな契約ざまぁ劇、開幕。 ---

処理中です...