魔法の薬は猫印。

長島 江永

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序章7

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 夜、レレは布団の中で目を閉じても中々寝付けないでいた。
 洗い物などの手伝いを済ませた後、パルマを交えて入学に向けた詳しい話が進められた。
 明日の間に、シモンが学院にレレを推薦する事を伝えるという。元より学生の勧誘が目的の一つであった遠征なので、入学手続きに必要な書類は手元にあるらしい。
 つまり、シモンの連絡で特に問題が無ければ、バリエストンへの入学がその場でほぼ決定してしまうだろう。
 ベルに乗せられる形で返事をしてしまったが、冷静になるとやはり正しい選択なのか分からなくなってしまった。
 短い半生の内の多くの時間を過ごしたこの町を出るという事が、今のレレには全く想像出来ないのだ。
 別の土地──特に都会──への憧れと同じ位、知人が一人もいないという環境への不安が大きい。
 考えれば考える程、次々と不安な事が浮かんで来てしまい、ついにベッドから跳ね起きてしまった。
(うーん、駄目だ……全然寝られないし、水でも飲もうかな)
 眠れない理由としてもう一つ考えられるのは、話し合いの後に、またくだらない理由でベルと口論になり、その勢いで何故か始まった酒飲み対決だろう。
 意外にも堅物そうなベルは酒に強く、勝負は程々のところでパルマの仲裁で引き分けとなった。
 レレはつい最近十八歳で成人となり、ようやく飲酒デビューをしたばかりだ。それなのに無茶な飲み方をしたせいか、酷い頭痛に襲われていた。
 頭を抑えながらキッチンの扉を、音を立てないようにそっと開ける。
 レレやパルマの部屋は食堂や客間とは直接繋がっておらず、キッチンを挟んで逆側にある。
 ここのキッチンは直接井戸水が汲めるようになっているため、外に出る必要が無く、特に着替える必要は無いだろうと、折り畳んだタオルケットを羽織って部屋を出た。
 キッチンに入り、井戸ポンプのレバーをガチャガチャと操作して水を汲み上げていると、食堂の方に微かな灯りが見えた。
 誰だろうかと確認に行くと、ベルがランプの僅かな光で書き物をしていた。
「なーにやっているの?」
「お前か……」
 ベルは筆を置いてレレの方を見た。
 そしてぎょっとした表情になり、溜息をついて額に手を当てた。
「なんて格好しているんだ、お前は」
 確かに自分の恰好を改めて見ると、タオルケットの下の寝巻は素足が大きく露出しており、胸元もルーズで、少なくとも男性の前に出る服装としては適切では無いかもしれない。
 しかし、ここで素直に反省するのも何となく癪なので、気にしていない素振りで通す事にした。
「私の家なんだから、私の勝手でしょ」
「ここは客のための空間で、俺は客だ」
 あれこれと口が回る男だ。
「で、なにしてるの?」
「……今日学んだ事をまとめている。せめて座学では負けたく無いからな」
「誰かと争っているの?」
「お前」
「へっ?」
「お前を含む、全員だ」
 今日学んだ内容、とやらを書き終えたようで、ベルは静かに筆を置いた。
 ベルは、レレの方を見てから一瞬躊躇ったように見えたが、静かに語り始めた。
「俺は、魔法を扱う才能が無い。魔力の量があまりにも少ないんだ」
 一口に魔法の才能と言っても、様々な観点で評価出来るが、魔法を扱う際に必要なエネルギーである魔力は、その中でも基礎的な指標と言えるだろう。
 魔力が少なければ、短時間に複数回の魔法を使用する事が難しく、高位の魔法はそもそも発動すらも出来ない。
 その点についてはレレにも心当たりがあり、昼間のケイヴワームとの戦闘で、魔法の使用を渋るような様子はずっと気になっていた。
 レレと出会う前にどれだけ戦闘があったかは不明だが、休憩後にも関わらず、憑依型の弐番魔法を一度使用した程度で、治癒魔法が使用できない程になっていたという事は、彼の魔力量は相当少ない事が予想できる。
 そして、どれ程訓練を積んでも、魔力量を劇的に増加する事は非常に難しい。
 そのため魔力量が少ない人間は、そもそも魔導士など、魔法を扱う職業を目指すという発想にすらならない事が多い。
「……それでも、学院に入るんだね」
「ああ。魔導士として俺が脚光を浴びる未来は絶対に無い。それでも俺は魔法を学ばないと、この先もずっと納得出来ないままなんだ」
 ベルの「納得」という言葉がレレの胸にも刺さる。
(納得、かあ……お母さんもそうだったのかな。自分を納得させるために、ずっと机と向き合っていたのかな)
 レレの記憶の中の母は、いつも机に向かっており、背中を見せている。そんな気がした。
「ベルは座学で良い点を取れば……論文が学会で認められれば、それで自分に納得出来るの?」
「……それは今は分からない。でもやってみないと、一生わからないままだからな」
「ふうん、大真面目なんだね、本当に」
「お前は、結局まだ入学について迷っているのか」
「さっきまではね。でも、やっぱり頑張ってみる事にした」
 ベルの隣に座って、大きく伸びをした。尻尾の毛はふわりとしていて、月明かりに照らされた毛並みは綺麗に整っている。
「ベルみたいに小難しい言葉は並べない。ただやらずに後悔したくないって思っただけ」
「結局俺と同じじゃないのか?」
「そ、要約してあげたの」
「……嫌味な奴だな」
 ベルは少しだけふわりと笑った。出会ってからベルが初めて見た柔らかい表情だった。
「……ねえ」
「まだ何かあるのか」
 レレは日中、鉱山にいる時からずっと感じていた違和感について確認をしたくなった。
「都会には獣人がいっぱいいるの? 私みたいなウェアキャットもいる?」
 違和感の正体。それは、二人がレレを獣人として区別して接してこなかった事だ。
 魔法の分析上、レレをウェアキャットと見る瞬間はあったが、コミュニケーション上はあくまで対等な人間として扱われていた。
 パルマおばさんや工房のおじさんなど、数少ない人間が向けてくれる普通の視線を、初対面の二人からも向けられて困惑していたのだ。
 だから普段は避けるような口喧嘩にも興が乗ってしまった。くだらない喧嘩すらも、少し心地良く感じてしまったからだ。
「そうだな……バリエストンのある地域の話で言えば、この町に比べると確実に多い。何度かウェアキャットも見かけた事がある」
 だが、とベルは付け足した。
「全員が彼らに良い感情を向けているとは限らないのが現実だ。そういうくだらない輩はどこに行ってもいるだろう。だから……気にするなと言うのもおかしいかもしれないが、一々相手にしない方が良いと思うぞ」
 ベルが慎重に言葉を選んでくれている事が伝わり、レレはふやけた笑顔になった。
「分かった、ありがとうね。私は少なくとも、ベル達がいてくれれば何とかなると思う」
「…………そうか」
 ベルは先程のように一瞬固まったかと思えば、筆とノートを片づけ始めた。
「明日の返事については大丈夫そうだな。俺はもう寝るぞ」
「あ、待って待って」
 客室のある二階に戻ろうとするベルを呼び止めて、本日最後の質問を投げかけた。
「何で私の背中を押してくれたの? てっきり嫌われているかと思っていたのだけれど」
「借りを作ったままじゃ気持ち悪いからな」
「解毒薬の事? あれは私が原因だって言っているのに……本当に真面目なんだから」
「とにかく、これで貸し借り無しだ。俺は寝る」
「あ、うん。また明日!」
 階段を登って行くベルの背中を見送った後、レレも自室へと戻る事にした。
 ベッドに入り、目を閉じて丸くなると、さっきまでの寝苦しさが嘘だったかのように、一瞬で夢の世界へと意識が沈んでいった。



 レレの入学の手続きは拍子抜けする程あっさりと終了し、二か月後の九月には学院の一員となる事が決定した。
 試験もせずに入学出来るのかと半信半疑だったが、どうやらシモンは想像以上に裁量を持った立場にあるようだ。
 レレには弱気で頼りないおじさんにしか見えないのだが、もしかしたらとてつもない力を隠し持っているのかもしれない。
 それからは慌ただしく、気が付けば一か月の時間が流れ、コギの町を発つ日となった。
 シモンとベルは、あの後すぐに学院へと戻って行ったため、商隊の定期便に混ぜて貰うとはいえ、基本的にレレ一人での旅となる。
 母を亡くしてから別の町へ行くことはほとんど無く、特にこれ程の長距離を一人で行くのは人生で初めてとなる。
「緊張してきた……」
「なーに言ってんだい。もうすぐ出発の時間だよ」
「でもー……無事に辿り着けるか不安で……」
 学院までの行き方を記したメモも、路銀も、その他の荷物も、何度も鞄や箱をひっくり返して確認をしたが、それでも不安は増すばかりだ。
 普段の様子と違い、うじうじとしているレレの背中を、パルマは平手でドンと叩いた。
「痛っ!?」
「たかだが二週間の旅路にビビっているんじゃないよ! あんたはこれから最高峰の学院で天才達と競っていくんだろう! しっかり背筋伸ばして行ってきな!!」
「パルマおばさん……」
 母が亡くなる前も、後も、二人目の母親として厳しく育ててくれたパルマ。昔から彼女に喝を入れられると、丸まっていた背中が自然と伸びる。
「うん、私、頑張って来るね……!」
 レレの荷物も含めて全ての積載が終わったらしく、商隊の隊長の呼ぶ声が聞こえる。
 レレを含めた数名の女性に宛がわれた馬車に乗り込もうとした時、一人の男が彼女を呼び止めた。
「工房の親父さん!」
「ギリギリ間に合ったか。レレちゃんに渡したいものがあってな」
 ドワーフの工房長が懐から取り出したのは、シンプルながら丁寧にしつらえられた鞘に収まった大振りのナイフだ。
「レレちゃんはナイフの扱いが雑だからな。すぐに駄目にならないようにタマネハガ鋼で打った特別製だ。魔法刻印との相性も良いはずだ」
「こ、こんな高級なもの受け取れないよ……!」
「餞別……それと成人祝いだ。お前にも、お前の母親……パラにも、俺は何もしてやれなかったからな。これぐらいは受け取ってくれ」
「親父さん……」
 工房長はそれ以上は何も言わずにナイフを差し出す。
 レレもまた、それ以上は言葉を重ねずに、両手でしっかりと受け取った。
「大切にするね」
「馬鹿野郎。しっかり使ってやれ」
「……うん!」
 いよいよ出発の時間となり、先頭の馬車が町の外へ向かって進行を始めた。それから少し遅れて、レレが乗る後方の馬車の車輪もギシリと音を立てて回り始めた。
 馬車の後部から顔を出すと、パルマや工房長だけでなく、買い物の度におまけをしてくれた八百屋の店主や、暇な時にはよく遊んであげた子供達など、レレと仲良くしてくれた人達が見送りに来てくれていた。
「みんな!」
 嫌な記憶が沢山ある一方で、それ以上に大事にしてもらった思い出もあると、改めて思い出した。なんだかんだ言っても、ここが自分の故郷なんだと思うと、目頭が熱くなるのを感じた。
 でも、とレレは涙を拭って、笑顔で皆に手を振った。
「皆ありがとう!! 長期の休みが取れたら必ず帰ってくるから!!」
 別れこそ笑顔で。その方が自分らしいと思う。

 すっかりと馬車が見えなくなり、パルマが宿の方へ戻ろうとすると、工房長が煙草に火を点けながら「静かになるな」と呟いた。
「なに、寂しいのかい」
 パルマが鼻で笑うと、工房長は煙草の煙を大きく吸い、ゆっくりと吐き出してから笑った。
「それはお前もじゃないか」
「ふん、当たり前だろう。だけど、それ以上に誇らしい気持ちが大きいのさ。一人娘が随分と立派になってくれたからね」
 パルマと別れて工房へと向かう途中、明日からレレの朝食配達が無い事を思い出して、ドワーフの老人は頭を掻いた。
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