魔法の薬は猫印。

長島 江永

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序章6

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 夕食の時間となり、宿泊客以外にも食事や酒類が目的の人々で食堂が混み始めた頃。
 客から注文のあった料理の配膳を終えて、キッチンへ戻ろうとしたレレをシモンが呼び止めた。
「レレさん、ちょっといいかな」
「えっと、長くなりそうでしたら、もう少し客足が落ち着いてからでも良いですか?」
「良いんだよ」
 まだ忙しい時間のため、少し待ってもらおうとすると、レレの背後から宿の主であるパルマが声をかけてきた。
「パ、パルマおばさん?」
「あんたのためになる話だから、席についてよーく聞いておきな。店の手伝いは今日はもういいよ。……それじゃあよろしくお願いしますね、先生」
 状況が飲み込めないレレに対して、シモンはニコニコと向かいの席に座るように促す。
 昼に少しは打ち解けたと思っていたベルが、また不機嫌そうな顔をしている。
 彼が少し横に避けて出来たスペースにレレが座ると、シモンは単刀直入に本題へと入った。
「レレさんをバリエストン学院の特別枠に推薦したいと思っているんだけど、興味はあるかな」
「………………………………………………………………えっ?」
 レレの思考が停止してから、ようやくその一言が出てくるまで、シモンはパンを二切れ、スープを三掬い楽しむ時間があった。
「えええええっ!? 何で! 何でですか!?」
「鉱山で見せてくれた、チタットの魔法体系が源流のオリジナルの術の数々……その齢で使いこなせているのは凄い事だからね! あれだけで十分に推薦に値するよ。それに僕としては、その知識をレレさん個人に閉じずに、学問としてもっと発展させて欲しいという気持ちもあるかな」
「で、でも、あれはほとんどお母さんの受け売りだし……」
「魔法はその理論を理解しないと使う事は出来ない。でもレレさんは、教科書に無いような特殊な魔法をきちんと学んだ上で、適切に使えている。それに、レレさんが改良や開発した術も沢山あるんだよね。それは学院に入学する上で求められる素養が十分ある事を示しているよ」
「そ、そうですかね……えへへ……」
 褒められた事は素直に嬉しいが、レレ自身にそこまで大層な事をしているという自覚はない。
 推薦枠というのは、とても優秀な人が取るものであって、レレのような平凡な人間が選ばれるものではないはずだ。
 レレが困惑しているところ、ベルがぼそりと呟く。
「錬金・薬学辺りの研究室は今年、軒並み超定員割れ。中でもシモン先生の研究室は不人気で学生が全然足りていないからな。当然のように推薦枠もスカスカだ」
「ベ、ベル君……!」
「ええと、つまり、学生が全然足りないから補充したいって事?」
「所属人数に応じて研究予算も変わるからな。学生のスカウトも今回の遠征の目的の一つだったんだ」
 なるほど、とレレは若干の苦笑いになる。学科の人気事情は分からないが、名門校で学生が足りないとは、一体何があったのだろうか。
「だが、誰でも推薦を受けられるという訳ではないぞ。シモン先生がお前の事を認めて推薦しようとしているのは確かだ」
「そ、そうだよ! 誰でも良いって訳じゃなくて、レレさんだからお願いしたいんだ」
「そう言って頂けるのは光栄なんですが、私、学費なんて払えないですし……」
 実質的に、貴族学生にのみ門戸が開かれているような王立学院と異なり、バリエストンは一般家庭の学生も多い。
 だからと言っても、宿の手伝いと個人規模の薬売りで貯めたお金で通える程安くもない。
「そこは心配要らないよ。講師自ら推薦した学生には、特別奨学金の制度があるからね」
 特別奨学金制度の対象になると、まず学費は全て免除される。生活費は自己負担が必要だが、指定の寮に入る場合こちらの賃料も不要となる。
「それは……魅力的ですね……」
 学費も部屋の賃料も不要で、最高峰の学院で学べる。こんな機会は今後二度と訪れないだろう。
 「でも」と、レレはカウンターにいるパルマの方を見た。
 遠い異国から頼る人もなく旅をしてきた、獣人の親子を受け入れてくれ、母が難病に倒れた時も追い出す事はせずに看病を手伝い、レレをここまで大きく育ててくれた。
 二人目の母親と言うべきパルマを置いて、この地を離れるという選択肢を取れる気がしなかった。
 レレの視線に気が付いたパルマが、配膳のついでに三人の卓に歩いて来た。
「私の事なんか気にするんじゃないよ」
「でも……」
「あのね、私はあんたらが来る前は、一人でこの宿を切り盛りしていたんだ。それが元に戻るだけだろう」
 それに、と、昼間にレレから受け取った、腰痛薬の入った小瓶を手に取って話を続けた。
「あんたの母親が亡くなった後も、こうやって売り物にするためだけじゃなくて、寝る間も惜しんで薬の勉強に打ち込んでいただろう。私が何も知らないと思っているのかい」
「……」
「やりたい事が実現するかもしれないっていう、絶好の機会が目の前にあるのに、みすみす逃すのは愚かなんじゃないかい」
「パルマおばさん……」
 それでも、とレレの顔に迷いが残っている最中、次に口を開いたのは意外な人物だった。
「やる気が無いなら来ない方が良いぞ」
 アッシュの髪が美しい、容姿端麗なこの男が、ぴしゃりと。
「学院に行きたくても、色々な事情で行けない人はいくらでもいる。さっきの提案に即答できないような奴には勿体無い場所だ」
 本当にこの男は。
「それに、入れたところで卒業……いや、進級すら出来るのか──」
 一々癇に障る。
 レレはベルの木製ジョッキを奪い、ごくりとビールを平らげ、テーブルに壊れない程度の力で叩きつけた。
「あの! 私、バリエストンに入学したいです!!!!」
 勢いよく椅子から立ち上がり、両手でシモンの手を握った。
「わっ!?」
 突然の大声と心変わりに、シモンは驚いて腰を後ろにひっくり返りそうになる。
 レレは、テーブルを挟んで対面に座るシモンの方へ上半身を乗り出したまま、首を横に回して隣のベルを睨み付けた。
「残念でしたっ! 私、入学する事にしたから!」
「……別に俺に決定権は無いから、勝手にすれば良い」
 当のベルは、特に気にしていない様子で食事を続けていた。
 その様子があまりにも拍子抜けするものだったので、どういう事なのかと少し考えてみた。
(も、もしかして乗せられた……?)
 見事にしてやられたと気が付いて、みるみるうちに顔が熱くなる。
 その様子をちらりと見たベルは、にやりと笑って、再び食事へと戻って行った。
「ねえ! 君の事本当に嫌いになった!!」
 尻尾の毛を逆立てて、心の底から叫んだ。
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