魔法の薬は猫印。

長島 江永

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学院新生活5

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 レレがフィアノの町に来て二週間。あっという間に時は過ぎて、学院の入学式の日になった。
 城塞のように巨大で複雑な敷地の中は、新入生歓迎ムードでどこもかしこも賑やかだ。
 研究機関という事もあり、質素で形式的なものになると思っていたが、その予想は見事に裏切られ、壮大で華やかな出迎えで学院生活一日目は幕を開けた。
(はあああああああああ……)
 しかし、心の中で大きくため息をつく程に、レレの気持ちは盛り上がりに欠けていた。
 その理由は明確だった。入学式が開催される九月までの間に起こった、レレにとって完全に想定外の出来事が原因だ。
 「それ」は突如として知らされ、彼女にとって最悪の結果をもたらした。
 ──今彼女は、「魔法基礎Ⅰ」の講義に出席している。
 式が終わればすぐに講義が始まるのはどの学生も同じだ。
 しかし、レレの場合は他の同期学生と少し様子が違っていた。溜息をつきながら横目で見た手帳には、一週間全ての曜日で朝から夕までびっしりと講義で埋め尽くされた、空き無しの時間割がメモされている。
 レレは特別推薦という枠で入学をしているため、一般受験の学生と圧倒的に異なる点が一つある。
 それは、座学試験を受けていないという大きな差だ。
 特別推薦制度の規定上、何か一つでも魔法に関する飛び抜けた才能を有していれば推薦の対象になり得るため、他分野への理解や基礎学力の有無については一切考慮されない場合が多い。
 しかし入学してからもそのまま、という訳には当然いかない。
 レレを含む特別推薦の対象者は、入学式の一週間前に学院に呼び出され、とある試験を受ける事になっていた。この事はシモンが伝え忘れており、試験前日に偶然ベルから話題が出た事で発覚した。
 では前もって試験の存在を知っていれば、彼女の結果は変わっただろうか。
 きっとそんな事は無く、それでも変わらずレレはこうして頭を抱えていただろう。
 その試験の結果次第で入学が取り消しになるという事は一切無いが、点数の低かった分野に対応した、推薦者向けの特別な基礎講義を追加で受講しなければならなくなる。
「──魔法を最も大雑把に分類するのであれば、防御魔法や空間魔法を始めとする基礎魔法、火炎魔法や氷結魔法のような自然魔法、聖魔法と闇魔法は二元魔法……そして錬金術のような、いずれにも属さない新約魔法、という四つのグループに当てはめるのが一般的で──」
 講師が黒板に書いては消していく文字を必死で追いかけながらノートに記していく。
 講義室の中には数人の学生しかおらず、特別推薦の学生の中でもごく一部の者しか、この講義の受講対象になっていないようだ。
 それもそのはず。講義の内容は通常は中等教育課程で習うもので、バリエストンのような高等教育機関で習うレベルでは無い。
 中等教育課程を修了していない事自体は、貴族などの上流家庭に生まれ無ければ、決して珍しい事ではない。
 しかし、バリエストン学院を目指すような人間が、中等教育を学んでいないという事もまた珍しいのだ。いるとすれば、レレのように大人になってから偶然才能を見出された者か、初等教育時点でバリエストンに推薦された天才児ぐらいだ。
「先生、質問があります」
 隣の席の、眼鏡をかけた大人しそうな女生徒が遠慮がちに挙手をした。
 彼女は白、黒、茶、のまだら模様の髪の毛をしており、襟元や袖口から同じような色の羽毛が顔を覗かせている。
「はいどうぞ、ミス・オーフェリア」
「先ほど魔法の種類による適性について簡単に説明がありましたが、なぜ人によって得意魔法が変わるのでしょうか。属性毎に理論が全く違うので、人によって理解しやすいものが異なるため、という理由は勿論あると思うのですが……」
「半分は貴女のおっしゃる通りです。そしてもう一つ大きな原因となるのが魔力の質、です。そもそも人によって魔力の質自体が異なっており、それによって適性のある魔法もある程度決まってしまうのです。《轟炎》の異名で知られている、あの伝説の火炎魔法の使い手エーレンフリートも、氷結魔法は二番台のものまでしか使えなかったと言われています──」
 オーフェリアと呼ばれた梟の獣人もレレと同じような境遇で学院に来ており、入学前の抜き打ち試験の日に知り合って、すぐに二人は仲良くなった。
 オーフェリアはレレの故郷のコギの町よりも更に小さな田舎の村で生まれ育った。
 幼い頃に旅のエルフと出会った際に、極めて特殊な風魔法を伝授されており、それが偶然学院講師の目に留まり、今回特別推薦で入学するに至った。
 日曜学校すらも無い辺境の地で育ったため、レレ以上に基礎学問や魔法に関する知識を学ぶ機会に恵まれなかった。
 正直に言うと、レレは自分だけではなかった事に少し安心していた。
 しかし、オーフェリアの卓上のノートを見て思わず声が出そうになってしまった。
(すっごい書き込みの量……!)
 明らかに今日の講義の内容だけではない、大量の文字や図がオーフェリアのノートを埋め尽くしている。
 推薦者向け試験の翌日にはその結果が発表されており、その際に各自に必要なテキストも配布されていた。
 オーフェリアはそこから一週間弱、机にかじり付いてテキストの内容を勉強していたという事だ。
 ノートを凝視していたレレの顔を、オーフェリアが「どうしたの?」と覗き込む。眼鏡のフレームが歪んでいるのか、顔を傾けた反動で少しずれてしまったが、本人は気にしていない様子だ。
「いや、えっとね、もうそんなに勉強したんだなって、驚いちゃって……」
「わ、私は今年の入学者の中でも特に遅れている方だと思うから……少しでも追いつくために頑張ろうって……」
「そ、そっかあ……」
 同じ境遇でのスタートのはずなのに、もう既に大きく差を離されているような気がしてくる。レレの中で、焦燥感がぐんぐんと大きく膨れ上がっていった。
 その原因は、オーフェリアだけではない。
 また別の講義では、13歳の若さで入学したという天才児が講師と議論を繰り広げていた。
 一般入学者もいる通常の実技科目では、今年度入学者の中で一番の魔力量を持つという男が放つ、絶大な威力の魔法を目の当たりにした。
 自分より脚の速い者もいれば、遥かに腕力が勝る者もいる。
 入学してから数日で、レレは自分自身が何者でもないという感覚にどっぷりと浸かってしまっていた。
 そんなモチベーションが最悪の状態で一日の講義を終えると、次は研究室に向かわなければならない。
「……またいつにも増して酷い顔だな」
「うるさい……」
 研究室のデスクで書き物をしていたベルが顔を上げると、レレが覇気の無い表情で入口に立っていた。髪はボサボサで、耳も弱々しく垂れている。
「うー、お酒お酒……」
 流石は天下のバリエストン。研究室に魔法駆動の冷蔵庫が備え付けられている。
 中で冷やしてあるはずの酒を求めて、フラフラとした足取りで冷蔵庫に近づくレレの手をベルが掴んで制止する。
「馬鹿、今日は素材採取の日だろ」
「あ、そうだった」
 研究で使用する素材は、一般的に出回っているものを除いて自分達で採取する事が多い。
 学院が大都市サンヴェロナから離れている理由の一つがそこにある。この辺りでは徒歩や馬移動を少しするだけでも、素材を確保するのに適したフィールドが多くあり、学生や研究者は頻繁に探索に赴いている。
「じゃあ、今はお水にしておこうか」
「いつでもそうしてくれ」
 冷蔵庫からしっかりと冷やされた瓶を取り出し、口をつけて中身を流し込む。きんと冷えた水が喉を伝っていく感覚が心地よい。
「ぷはあ! 生き返るー!」
「じゃあ生き返った所で出発するか」
「もう少し休みたいかもしれないなー」
「あのなあ、もう日が暮れるぞ。キノシタ草を使うって言ったのはお前だからな。あれを夜に探すのは面倒だぞ」
「って、本当だ! もう日があんなに低く……!」
 レレは急いで装備を整えて研究室を飛び出した。その後ろを少し遅れてベルが追いかける形になる。
(本当に慌ただしい奴だ……!)
 内心で文句を言いつつも、すでに慣れ始めている自分がいる事も自覚しており、いつか完全に彼女に染まってしまうのではないか、と嫌な予感が頭を過る今日この頃だった。
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