魔法の薬は猫印。

長島 江永

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太古からの目覚め1

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「そ、そんな大変な事が……」
「そうなんだよー。しかも、講義の妨害をしたって理由で何故かベルも私も罰課題をもらっちゃったよ」
「ええっ!? おかしくないですか!」
 オーフェリアのチャームポイントである、レンズの大きな眼鏡が驚きの拍子でずり落ちた。眼鏡の位置を直す彼女に、レレは机にだらりと上半身を預けながら説明した。
「私さ、一部の貴族女子には嫌われているみたいで……田舎者だし、獣人だし」
「そ、それは……」
 オーフェリアにも痛いほど心当たりがある話だった。
 亜人は魔法への適性が高い者が多く、例えばレレの魔力量は目を見張るものがある。
 もちろんジャンのような怪物には敵わないが。
 一方、王国貴族にとって魔法とは誇りであり、権威の源でもある。
 そのため田舎生まれの獣人の小娘が、魔法実技で高得点を取る様は気に食わないのだろう。
 また、レレはベルに指摘された通り、その明るい性格に反して友人知人が少ないが、裏では男子学生からの人気が高い。
 この辺りでは珍しい浅黒い肌と、健康的な体つきのためか、レレの名前は男性陣の──あまり上品ではない話に頻繁に出てくる。
 そのため、嫉妬からか、一部ではレレが尻軽であるという噂を流す者もいるという。
「酷い話ですね……」
「もう慣れたもんだけどね」
 レレは全く気にしていないと笑顔を作るが、オーフェリアの顔は曇ったままだ。
「あれ、それではベルさんの方はどうして?」
「ベルはベルでね……平民男子からの嫌がらせみたい」
「な、なるほど……」
 不出来な末子と呼ばれてはいるが、公爵家の人間だ。
 普段は面と向かって何かをする度胸が無い者が、ここぞとばかりに、ある事ない事を指導課にタレコミをしたのだ。
「もういい歳なのに、こういうくだらない事は変わらずなんだねえ……」
 むしろ年齢が上がるほど陰湿さも増していくようだ。
 講義の合間に罰課題を解いているレレの方を見てクスクスと笑う女生徒たち。ベルの陰口でニヤニヤとしている男子生徒たち。
 そんな連中の様子を、本当にくだらない、とレレは無視をして課題の用紙へと視線を落とした。



 それから間もなくして、講義室に講師が入ってきた。
 人間の女性で、齢は推定で三十の半ば程。マラッタという姓で、専門は亜人学。学師一年目から受講可能な選択科目の一つである「生物と進化と魔法」の担当講師で、指導課の課長も兼任している。
 つまりレレに罰課題を課した張本人である。
「そろそろ講義を始めるぞ。ほら、お前らさっさと座れ」
 若干くたびれた様子のマラッタは、痛んでボサボサの髪を指でくるくるといじりながら板書を開始した。
「前回の復習だが……そうだな、内職で忙しそうなレレ・ルゥルゥに答えてもらおうか」
「はっ、はいいっ!?」
 いきなり指名されると思っていなかったレレは、裏返った素っ頓狂な声で返事をしてしまった。
「モンスターとはなんだ? 簡潔に答えてみろ」
「動物が何らかの原因で魔力を持った存在、ですよね……?」
「そうだ。そして我々が遭遇する多くのモンスターは種として定着したものだ。つまり……そうだな。例えばグラウンドボアというモンスターがいるが、あれはその辺の猪がある日突然魔力を持った特異個体が大量発生した、というわけではなく、わずかでも魔力の適性がある特異個体が群れを成し、子を成して種族として徐々に定着していったものだ」
 マラッタは黒板に残っている前の講義の板書を消しながら、今日の抗議の補足資料を魔法で浮かせて各座席へと配布していった。
「今日は進化について詳細が判明しているモンスターの中でも、特に代表的な種について学んでいくぞ。基礎的な話が多いから講義中に理解するように。いいな?」
 マラッタ自身は淡々とした性格で、お世辞にも人付き合いが特異なタイプではないが、彼女の講義は非常にわかりやすく人気が高い。
 しかしそんな講義の内容も、今日のレレの頭には全く入ってこない。
「はあ……」
 頬杖をつきながらため息が漏れる。
 レレの気分が晴れないのは、罰課題が終わらないからでは無い。ここ最近抱えていたとある悩みが、ベルとジャンの戦いの日以来大きく膨れ上がってしまったからだ。
 明らかに講義に集中できていないレレを見て、マラッタは顔をしかめた。
「おいルゥルゥ……せめて聞いているフリだけでもしてくれ。課題を増やされたいのか?」
「す、すみません……」
 至極真っ当な理由で説教されるレレを、また例の女学生たちがクスクスと笑って見ているが、レレにとってそんな事はどうでも良かった。
「あら、獣は昼寝の時間なんじゃないですの?」
「あはは、そうかもねー。獣臭いからさ、森へ帰りなさいよ」
「ちょっと、言い過ぎ……ふふっ」
 貴族子女らはいつもの通りレレへの挑発を始めた。
 レレは完全に無視。隣のオーフェリアは気まずそうに俯いてしまった。
 マラッタは見かねて、手元の資料を丸めて女学生たちの頭を軽く叩いた。
「王国の未来を担う貴族子女の発言ではないな」
「ちょっと、暴力は反対ですわよ」
 グループの中心人物であるジュゼットがマラッタを睨む。
「この程度で暴力とは笑わせるな。普段のお前の言動にもう少し気を付けておいた方が良さそうだな」
「……いやですわ、ちょっとした冗談じゃないですの」
 講師を長いことやっていると、この手合いの学生の相手も慣れたものなのだろう。
 彼女の含みのある言い方に、ジュゼットも薄ら笑いを浮かべつつも素直に静かになった。
「……内容としては少し先取りになるが、残りの時間は獣人について少し触れようか」
 マラッタが再びチョークを走らせた。
「学生諸君、獣人とは何か正しく理解しているだろうか」
「獣が人間のまねごとをしているのでしょう」
 再びジュゼットが口を開いた。
 ただしこれはレレたちへの挑発というより、世間での一般的な認識を述べたに過ぎない。
「そう考える者が多いが、それは誤りだ」
 マラッタは黒板に書いた「人間」の文字から矢印を伸ばして、その先に「獣人」と書き加えた。
「それらの認識はまったくの逆で、獣人とは人間が獣を目指して新しいステージに立った姿────つまりは、人間がより進化した存在が獣人ということになるな」
 教室がざわつく。
 それもそのはずで、王国では時に被差別者として扱われる事もある獣人が実は人間であり、更に言うのであれば人間より進化した存在であるというのであれば、色々と「問題」が出てくる。
「まあ知らないのも無理は無いだろう。この学説はここ数年でようやく認められ、論文として発表することが許されたのだからな」
「で、ですが……!」
 ジュゼットたちの顔が若干ひきつる。
 レレや他に数名いる獣人の学生たちも含めて初耳の者がほとんどのようだ。
「実は随分と昔からある学説なんだが、一部の人間にとってあまり都合の良い話では無いからな…………時間がかかったが、ようやく大陸学会でも主流の説として定着してきた」
 そう語るマラッタも、この学説を以前から支持していた学者の一人だ。
「そもそも考えてみてくれ。獣人が人間とまったく別種なら、どうして獣人と人間の混血が出来るんだ?」
 終鈴が鳴り終わった後も講義室のあちこちで議論が白熱しており、学生のあるべき姿に満足したのかマラッタは珍しく笑顔でその様子を見ていた。
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