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第一章 忍冬
十六 兄に聴こえる声
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翌日、再び朱翔の指令で、蒼亞達四人は黄怜殿に兄を迎えに行き連れ出した。百ある石段を上り黒龍殿の門前に立ち、五人は振り返って景色を一望する。中央宮で一番高いこの位置からは、遠方にある白龍殿がよく見えた。その間の地面は黒く焼け焦げ、一面広々とした空間が広がる。一昨日まで主だった金龍殿の周囲を、侍女達が賑やかに水を撒いて掃除していた。長年存在感を誇示してきた物でも、記憶する者がいなくなれば、全ては無なのだ。
玄史が背後から言う。
「蒼万様、朱翔様は遅いですね」
兄は間を置き顔だけ振り向く。
「蒼亞、朱翔は何と」
「ただ私達で、兄上だけここに連れて来るようにと…」
「わかった」
兄は訝しむ様子もなく、再び景色を眺めた。何故この状況を、大人しく待っているのだろうか。
「兄上」
「何だ」
「兄上は朱翔様に恩があるのですか?」
兄は伏し目向く。
「…そうだ」
「聞いても、宜しいですか?」
「…過去、志瑞也が力の制御で苦しんでいた時、誰よりも側で救ったのが朱翔だ」
朱翔の拳と怒り、七年前、やはり恩義の関係か。
「だから指示に従うのですか?」
兄はゆっくり体ごと振り向く。
「私は従ってなどいない」
「でも…」
朱翔は悪い人ではない、ただ時に兄を見下し、顎で使っているようにも見える。昨夜の話から、もしや弱味を握られているのか、それとも、義に熱い兄に付け込んでいるのか。兄と朱翔の性分は決して相性は良くない。今回深く接する事で、それを強く感じた。朱翔が策士なら兄もまた同じ、本来なら、友として相容れないはずだ。
「蒼亞、私と朱翔の間に優劣はない、他の者達も同様だ、朱翔がする事は全て私と志瑞也のためだ、だから私は聞き入れている。無論、あいつの探究心を満たしているのも事実だが、それだけで動くような奴ではない、共にいる玄弥でも間違った事は〝違う〟と私や葵、皆にも告げる」
「義兄上がですか?」
誰が見ても分かる程、義兄は兄を尊敬し崇拝している。しかも、兄の仲間達の中では黄虎の次に年下だ。姉に対しては常に控えめで、惚れた弱みで尻に敷かれていると思っていた。
「そうだ、あいつは手は出さないが意志をしっかり持っている、その芯は誰よりも強い」
兄と玄史は頷き合う。
「私は黄怜とは友ではない、だがあいつらは友だった、あいつらは黄怜が抱えていた事情を知らずに失ったのだ〝知っていれば〟と悔んでいるはずだ、お前ならその思い、分かるだろ?」
兄は壱黄、海虎、玄史に視線を向ける。
「はい」
蒼亞は友と微笑む。
「あいつらは再び友を失わないよう、私と志瑞也の事は全て把握して置きたいだけだ、友として守れるようにな」
そう言って、兄は四人に微笑み一人ずつ頭をなでた。〝全ての共有〟その言葉が、四人の脳裏に浮かんだ。昨夜の話し合いも、四人に共有の仕方を指導したのだ。
「そうだったんですね」
兄は頷いて言う。
「お陰で昨夜、発情した際の志瑞也の声に力が込められていると知った」
やはり、朱翔の推測は正しかった。
「兄上は知らなかったんですね…」
「私には志瑞也の神力は、全て〝温かい〟としか感じないのだ」
それは血による繋がり、兄は腕を組んで遠くの空を眺めた。凛とした姿勢の良い佇まい、龍髭の様に靡く前髪、神族として逞しく、美しく、誇り高い。神族に限らず人間も含め、通りすがりに見た者は皆、兄に目を奪われその場で立ち止まる。だが、その姿はあまりにも完璧過ぎて、誰も寄せ付けず、話しかける者などいない。そんな兄の側に彼が居るだけで、とても柔らかく優しく見える。兄も彼も知らない事を仲間達は拾い集め、兄は彼のために、彼は兄のために、そして、蒼亞もまた、二人のために変わっていく。
兄がぴくっと眉を動かし、突然「…ふっ」鼻で笑う。
海虎が不思議そうに尋ねる。
「蒼万様、いかがされましたか?」
「ふっ流石朱翔だ、これは私も知らなかった」
「兄上?」
蒼亞は首を傾げる。
「お前達戻るぞ」
玄史が言う。
「朱翔様を待たなくて良いのですか?」
「戻って来るよう呼ばれたのだ」
兄は微笑んで頷く。
四人は訳が分からないまま、兄と共に石段を下りた。
ギーバタン…
黄怜殿の扉を開け中に入り見渡すが、殿に人の気配がなく庭園の奥へと向かう。
「本当だ! 朱翔の言った通りだっ」
彼と兄の仲間達は、驚いた顔で近づいてきた。朱翔だけは兄を見て腕を組み、勝ち誇った様に片方の口角を上げて笑う。この顔は、何か企んでいたに違いない。
指令を出した本人に玄史が尋ねる。
「朱翔様、どういう事ですか?」
問われるのを待っていたと言わんばかりに、朱翔は自身に満ちた顔で説明する。
「昨夜もう一つ気づいたことがあってな、確かめるにあたって、蒼万は事前に内容を知らないほうがより確証が得られたんだ、だからお前達にも内容は伏せて蒼万を連れ出してもらったのさ、ちゃんと黒龍殿にいたか?」
「はい」
四人は納得し頷く。
壱黄が尋ねる。
「朱翔様、伯父上の何を確かめたのですか?」
「お前達が着く頃合いを見てだな、試しにここから志瑞也に叫ばせたんだ、かなりの距離だから壱黄と海虎と玄史には当然無理だ、蒼亞は聴こえたか?」
「いいえ、私は何も」
「そうか」
朱翔はやはりと頷く。
彼は四人の様子に首を傾げ兄に近づく。
「蒼万、もしかして単に戻って来ただけか?」
「……」
兄は無言でいきなり彼を抱きしめた。
「そっ蒼万っ、皆見てるだろっ、どうしたんだ?」
兄は彼を抱きしめたまま言う。
「お前の声が聴こえた、嬉しかった」
彼は兄をそっと抱き返す。
「良かった、何て聞こえたんだ?」
「『会いたい』と『ここにいる』と」
「ん、俺は蒼万の名前を呼んだだけだぞ?」
朱翔は楽しそうに言う。
「それはだな志瑞也、お前が無意識にそう求めて蒼万の名を叫んだからだ」
「どういう意味だ?」
「蒼万なら今の意味、わかるな?」
兄は頷いて言う。
「朱翔ありがとう、お陰で私の謎も解けた」
朱翔は眉を寄せる。
「お前の謎?」
「している時に呼ぶ私の名が違う言葉に聞こえるのだ、今まで私の錯覚かと思っていた」
──全員に嫌な予感が走る。
「そっ蒼万何言うんだよっ…」
彼が離れようとするも、兄に離す気などない。彼は仕方なく、声を細めて言う。
「な、何て聞こえるんだ?」
兄は彼の耳元で小声で言って、頬に口づけした。
「なっ何するんだよ蒼万っ、それに俺そんな事言ってないよっ」
「ふっ、私にはそう聞こえる、だから止まらないのだ」
……。
朱翔は眉尻を吊り上げる。
「お前達、私は聞こえてるの分かっているのか?」
「もうー、朱翔は耳が良過ぎるんだよ、いちいち気にしてられないだろ? なあ蒼万」
彼は朱翔の能力に、全く魅力を感じていないようだ。
「違うだろっ、そういう事は二人の時に言えよっ」
「すまない朱翔、嬉しくてな」
微笑む兄の顔を、彼はむっとして掴む。
「蒼万、それ以上は笑っちゃ駄目だからなっ」
「ふっ、今朝もしただろ? まだ酒が抜けていないのか?」
「ちっ違うよ、言うなよっ…蒼万が嬉しいと、俺も嬉しいんだ、へへへ」
二人は甘く見つめ合う。
朱翔は両手で頭をくしゃっと掻きむしる。
「ゔああああぁぁ───っ!」
全員が雄叫びに耳を塞いだ。
「ったく朱翔はうるさいよっ、耳いいのに声でかいって意味わかんないよ、なあ蒼万アハハハハ」
「そうだなアハハハ」
四人は思った、意外と二人は自由なのでは……と。
─ 第一章 終 ─
玄史が背後から言う。
「蒼万様、朱翔様は遅いですね」
兄は間を置き顔だけ振り向く。
「蒼亞、朱翔は何と」
「ただ私達で、兄上だけここに連れて来るようにと…」
「わかった」
兄は訝しむ様子もなく、再び景色を眺めた。何故この状況を、大人しく待っているのだろうか。
「兄上」
「何だ」
「兄上は朱翔様に恩があるのですか?」
兄は伏し目向く。
「…そうだ」
「聞いても、宜しいですか?」
「…過去、志瑞也が力の制御で苦しんでいた時、誰よりも側で救ったのが朱翔だ」
朱翔の拳と怒り、七年前、やはり恩義の関係か。
「だから指示に従うのですか?」
兄はゆっくり体ごと振り向く。
「私は従ってなどいない」
「でも…」
朱翔は悪い人ではない、ただ時に兄を見下し、顎で使っているようにも見える。昨夜の話から、もしや弱味を握られているのか、それとも、義に熱い兄に付け込んでいるのか。兄と朱翔の性分は決して相性は良くない。今回深く接する事で、それを強く感じた。朱翔が策士なら兄もまた同じ、本来なら、友として相容れないはずだ。
「蒼亞、私と朱翔の間に優劣はない、他の者達も同様だ、朱翔がする事は全て私と志瑞也のためだ、だから私は聞き入れている。無論、あいつの探究心を満たしているのも事実だが、それだけで動くような奴ではない、共にいる玄弥でも間違った事は〝違う〟と私や葵、皆にも告げる」
「義兄上がですか?」
誰が見ても分かる程、義兄は兄を尊敬し崇拝している。しかも、兄の仲間達の中では黄虎の次に年下だ。姉に対しては常に控えめで、惚れた弱みで尻に敷かれていると思っていた。
「そうだ、あいつは手は出さないが意志をしっかり持っている、その芯は誰よりも強い」
兄と玄史は頷き合う。
「私は黄怜とは友ではない、だがあいつらは友だった、あいつらは黄怜が抱えていた事情を知らずに失ったのだ〝知っていれば〟と悔んでいるはずだ、お前ならその思い、分かるだろ?」
兄は壱黄、海虎、玄史に視線を向ける。
「はい」
蒼亞は友と微笑む。
「あいつらは再び友を失わないよう、私と志瑞也の事は全て把握して置きたいだけだ、友として守れるようにな」
そう言って、兄は四人に微笑み一人ずつ頭をなでた。〝全ての共有〟その言葉が、四人の脳裏に浮かんだ。昨夜の話し合いも、四人に共有の仕方を指導したのだ。
「そうだったんですね」
兄は頷いて言う。
「お陰で昨夜、発情した際の志瑞也の声に力が込められていると知った」
やはり、朱翔の推測は正しかった。
「兄上は知らなかったんですね…」
「私には志瑞也の神力は、全て〝温かい〟としか感じないのだ」
それは血による繋がり、兄は腕を組んで遠くの空を眺めた。凛とした姿勢の良い佇まい、龍髭の様に靡く前髪、神族として逞しく、美しく、誇り高い。神族に限らず人間も含め、通りすがりに見た者は皆、兄に目を奪われその場で立ち止まる。だが、その姿はあまりにも完璧過ぎて、誰も寄せ付けず、話しかける者などいない。そんな兄の側に彼が居るだけで、とても柔らかく優しく見える。兄も彼も知らない事を仲間達は拾い集め、兄は彼のために、彼は兄のために、そして、蒼亞もまた、二人のために変わっていく。
兄がぴくっと眉を動かし、突然「…ふっ」鼻で笑う。
海虎が不思議そうに尋ねる。
「蒼万様、いかがされましたか?」
「ふっ流石朱翔だ、これは私も知らなかった」
「兄上?」
蒼亞は首を傾げる。
「お前達戻るぞ」
玄史が言う。
「朱翔様を待たなくて良いのですか?」
「戻って来るよう呼ばれたのだ」
兄は微笑んで頷く。
四人は訳が分からないまま、兄と共に石段を下りた。
ギーバタン…
黄怜殿の扉を開け中に入り見渡すが、殿に人の気配がなく庭園の奥へと向かう。
「本当だ! 朱翔の言った通りだっ」
彼と兄の仲間達は、驚いた顔で近づいてきた。朱翔だけは兄を見て腕を組み、勝ち誇った様に片方の口角を上げて笑う。この顔は、何か企んでいたに違いない。
指令を出した本人に玄史が尋ねる。
「朱翔様、どういう事ですか?」
問われるのを待っていたと言わんばかりに、朱翔は自身に満ちた顔で説明する。
「昨夜もう一つ気づいたことがあってな、確かめるにあたって、蒼万は事前に内容を知らないほうがより確証が得られたんだ、だからお前達にも内容は伏せて蒼万を連れ出してもらったのさ、ちゃんと黒龍殿にいたか?」
「はい」
四人は納得し頷く。
壱黄が尋ねる。
「朱翔様、伯父上の何を確かめたのですか?」
「お前達が着く頃合いを見てだな、試しにここから志瑞也に叫ばせたんだ、かなりの距離だから壱黄と海虎と玄史には当然無理だ、蒼亞は聴こえたか?」
「いいえ、私は何も」
「そうか」
朱翔はやはりと頷く。
彼は四人の様子に首を傾げ兄に近づく。
「蒼万、もしかして単に戻って来ただけか?」
「……」
兄は無言でいきなり彼を抱きしめた。
「そっ蒼万っ、皆見てるだろっ、どうしたんだ?」
兄は彼を抱きしめたまま言う。
「お前の声が聴こえた、嬉しかった」
彼は兄をそっと抱き返す。
「良かった、何て聞こえたんだ?」
「『会いたい』と『ここにいる』と」
「ん、俺は蒼万の名前を呼んだだけだぞ?」
朱翔は楽しそうに言う。
「それはだな志瑞也、お前が無意識にそう求めて蒼万の名を叫んだからだ」
「どういう意味だ?」
「蒼万なら今の意味、わかるな?」
兄は頷いて言う。
「朱翔ありがとう、お陰で私の謎も解けた」
朱翔は眉を寄せる。
「お前の謎?」
「している時に呼ぶ私の名が違う言葉に聞こえるのだ、今まで私の錯覚かと思っていた」
──全員に嫌な予感が走る。
「そっ蒼万何言うんだよっ…」
彼が離れようとするも、兄に離す気などない。彼は仕方なく、声を細めて言う。
「な、何て聞こえるんだ?」
兄は彼の耳元で小声で言って、頬に口づけした。
「なっ何するんだよ蒼万っ、それに俺そんな事言ってないよっ」
「ふっ、私にはそう聞こえる、だから止まらないのだ」
……。
朱翔は眉尻を吊り上げる。
「お前達、私は聞こえてるの分かっているのか?」
「もうー、朱翔は耳が良過ぎるんだよ、いちいち気にしてられないだろ? なあ蒼万」
彼は朱翔の能力に、全く魅力を感じていないようだ。
「違うだろっ、そういう事は二人の時に言えよっ」
「すまない朱翔、嬉しくてな」
微笑む兄の顔を、彼はむっとして掴む。
「蒼万、それ以上は笑っちゃ駄目だからなっ」
「ふっ、今朝もしただろ? まだ酒が抜けていないのか?」
「ちっ違うよ、言うなよっ…蒼万が嬉しいと、俺も嬉しいんだ、へへへ」
二人は甘く見つめ合う。
朱翔は両手で頭をくしゃっと掻きむしる。
「ゔああああぁぁ───っ!」
全員が雄叫びに耳を塞いだ。
「ったく朱翔はうるさいよっ、耳いいのに声でかいって意味わかんないよ、なあ蒼万アハハハハ」
「そうだなアハハハ」
四人は思った、意外と二人は自由なのでは……と。
─ 第一章 終 ─
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